自ずから崖に落ちる

 ルーピン先生は確か、できればこのまま私が狼人間だという事を黙っておいてくれないか、と言っていた。そんなこと、名前にとってはどうでも良い事だった。彼にとってはどうでも良い、で済まされる問題ではないようだったが。確かに人狼は好ましい存在ではないし、名前だって好きではない。しかし、脱狼薬をきっちり飲んでいれば普通の人間と大して変わりはないし、それ以外でルーピンを拒むような理由はないのだ。曖昧に微笑んだルーピンに、確か名前は適当に頷き返した筈だ。
 ルーピンに言われた事の中で重要だったのは、別の事だった。
 ――そう、確か、ハリーと共に、吸魂鬼の影響を防ぐ為の術を学ばないかという事だった。何の呪文かと聞くと、守護霊の呪文を教えるつもりだと言う。
 名前はその呪文、パトローナス・チャームがNEWTレベル以上の呪文である事を予め知っていた。それは学期の始めに吸魂鬼について調べていた時に発見した事だった。
 吸魂鬼には守護霊の呪文しか効かない、そう本には書いてあった。しかしパトローナス・チャームは大人の魔法使いでも使える人が限定されるような難しい呪文らしく、だから名前は自分が会得するのを諦めて、ホグズミードに行かないことにしてまで、吸魂鬼に近付かないという方法を選んだのだ。
 ルーピンが言うには、これから行われる試合でも同じような事が起きては困るから、ハリーに守護霊の呪文を教える事になったのだが、もし良ければ名前も一緒に習うつもりはないかという事だ。ルーピン先生がやけにハリーを気に掛けている事は知っていたが、何故そこで名前が出てくるのか、解るようで解らなかった。その事をルーピンに聞くと、彼はこう答えた。
「実は、ハリーからの提案でね」
 一人より二人の方がハリーにとって心強いだろうし、私も君が守護霊を使えるようになるのには賛成なんだが、どうかね? とルーピンは付け足したのだ。

 守護霊の呪文を使えるようになるまで何日掛かるだとか、使えるようになったらどういう良い事があるだとかを全く考えずに、名前はハリーの名を聞いて頷いたのだった。要は、流されたのだ。名前は教師としてのルーピンは嫌いではなかったが、個人として見た彼は苦手の部類だった。もし名前がちゃんと彼の言う事を聞いて自分の頭で考えていたら、断っていたかもしれない。
 話は聞いていたが、単に聞いていただけだったのだ。
 ルーピンが「もちろん、教師が人狼で良ければの話なんだがね」とふざけて付け足した時には遅かった。諸々の事は追って知らせると言われ、そして気付けば部屋を出されていて、名前はとぼとぼと廊下を歩いていた。
 ルーピン先生が守護霊の呪文を教える事についてはどうとも思わなかったが、名前にとって問題だったのは、貴重な自由時間が削られる事だった。ただでさえ少なくなっているのに、その呪文とやらを自在に操れるようになるまでに、一体どれくらいの時間が掛かるのだろう。ルーピンはなかなか面倒見の良い性格をしているようだから、一度基本を教えて、さあ後は自分でやるといい、なんて言わず、きっとそれなりに守護霊が使えるようになるまで教えるに違いない。
 幸いだったのが、ルーピンが教えるつもりらしい呪文が、『守護霊の呪文』だった事だ。その呪文で出てくる守護霊は、大抵何かしらの動物の姿をしていると、本には書いてあった。自分の『守護霊』が何の動物なのか、知る事が出来るのは嬉しいかもしれない。その事が救いだった。

 そんな事をぼんやりと考えながら食べていたからか、ハンナに「どうしたの? 具合が悪いの?」と聞かれるまで、自分がどれだけゆっくり夕食を食べているのか解っていなかった。気が付けば、長テーブルには空席が目立っている。残っている生徒はわずかで、名前とハンナはその内の二人だった。
「放っておきなよ、ハンナ」たまたま近くの席に座っていたアーニーがそう言った。
「名前はサラダのブロッコリーが嫌いなのさ。意地張って食べまいとしているに相違ないね――でも名前、好き嫌いは感心しないな。そんなんじゃ、立派な魔法使いになることはできないね」
 最後の言葉は名前に付け足された。ついでに言っておくと、名前は別にブロッコリーが嫌いではない。茹ですぎではないかと思う場合もあるにはあるが、今日はそんな事はなくいつも通り美味しかった。名前が食べるのが遅かったのは、単に考え事をしていたからだ。
 守護霊の呪文の課外授業について、正直に言えば面倒だったが、ハリーも一緒だというし、さっきのような気まずい雰囲気ばかりにはならないだろう。名前は投げ遣りに、そう結論付けた。
「それはどうも。でもアーニー、だったらあんたがホウレンソウのソテーを食べようともしないのは、一体どういう了見なの? 何かのまじない?」
 勝った、と思った。彼はほうれん草の入ったシチューだとかにも、手を付けようとはしない。
「なっ! それとこれとは関係ないぞ!」
 まだらに顔を赤くさせて、アーニーは早足で行ってしまった。
 名前がくっくと笑っていると、ハンナが咎めるような視線を寄越した。あんまりからかうなという事らしい。考えてみればそろそろ夕食の時間は終わりだった。名前は皿に残っていたサラダを全て口に押し込み、席を立った。ハンナがこれみよがしに溜息をついたのを見て、名前は再びにやっと笑った。


 ルーピンが言った守護霊の訓練は年が明けてからになるとの事だったので、名前はルーピンと話した時以来、その事について考えてはいなかった。むしろ、頭の片隅に追いやっていた。ハリーに声を掛けられてから思い出したほどだ。
 それより、差し迫った問題があった。対レイブンクロー戦が十一月末に迫っていたのだ。
 びゅうびゅうと風が強くなり、雨が降る頻度が増す中、同様にハッフルパフ・チームの練習量も増えていた。ハッフルパフがレイブンクローに負けるのはある種の伝統になっていて、レイブンクローは一番の、いわゆる因縁の相手だった。頭脳戦が得意なレイブンクローとはどういうわけか、伝統的に相性が悪いのかもしれない。
 ザカリアスが「何でハッフルパフだけ連戦で戦わなくちゃならないんだ?」とぼやいていたけれど、他の選手の皆はその事に気が付いていない訳でもないだろうに、黙々と練習を重ねた。

 ある日の午後、名前はくたくたに疲れていた。
 前日は天文学で遅くまで起きていて、今日は占い学、呪文学と名前が苦手な授業が続き、その後のクィディッチ練習は地獄だった。自分が練習が始まる前から疲れていたという事もあったが、グリフィンドール戦で勝利出来たのは間一髪の差だったのだからと息巻いている皆に、名前は辟易していた。勢いづいたクアッフルを放ってくるチェイサー達や、執拗に狙ってくるビーター達にはほとほと呆れ果てた。
 名前はチェンバースの投げるボールも全て受け取ってみたし、コベットの放つ的確なブラッジャーも上手く避けられるようになっていた。真面目にやってるんだから当たり前かとも思いつつ、何故みんながこれほど熱心にするのか、名前には理解できなかった。クィディッチは楽しかったが、名前にはその面白さが皆ほどは理解することができず、ただ真剣に練習をしていた。
 今日の練習の中で唯一楽しかったのは、名前に自分の箒が手に入った事だ。新品のニンバス二○○一は名前の手によく馴染み、自在に動かす事が出来た。加速スピードも、もホグワーツにある流れ星なんかとは比べ物にならないぐらい素晴らしい。できればニンバスが欲しいと書いて名付け親に手紙を出したのだが、その一週間後に届いたこの箒に、これほど感動するとは思わなかった。断られる覚悟で(あの名付け親の事を考えれば、ノーの返事が来る確率の方が低いのだが、それでも最新型の二○○一が届いたのは驚きだし、夢みたいだ)ニンバスを希望して良かったと、練習の終わりには思うようになっていた。

「みんな良かったよ」集まった選手達にセドリックが言った。「そろそろ終わりにしよう」
 わいわいと今日の練習の出来を話し合っている選手達に続きながら、名前も歩いた。すると、ボールを仕舞う箱を持ったセドリックが名前に声を掛けた。
「名前、少し話さないか?」セドリックの表情は読めなかった。
「何を? 良いけど、ちょっと待っててもらえる? 用事があるの」
 名前はこの後、スナッフルに餌を届けに行く予定だった。朝は寝坊して禁断の森まで行く暇がなかったし、授業の後にフリットウィック先生に呼び止められて、クィディッチ練習が始まる前に届けられる時間は無かったのだ。名前はしもべ妖精たちに餌のハムやらパンやらをバスケットに詰めて貰い、そのまま練習に出てきていた。そのバスケットは、ロッカー・ルームに置いてある。
「ああ、なら――」セドリックは右手に持っていたボール・ケースを見遣った「僕もこれを置いてこなくちゃならないから、着替えてから会おう。入り口で待っててもらえるかい? 歩きながらでも話はできるから」
 名前は頷いて、そのまま別れた。それほど積もる話でもなさそうだし、それにセドリックなら例えスナッフルを見たとしても、嫌な顔はしないだろう。彼も名前ほどではないが、動物が好きな方だったからだ。問題が有るとすればセドリックが監督生だという事だが、最近では森の中まで入らなくとも、スナッフルは名前が禁じられた森に近付けば何故か出てくるので、おそらく大丈夫だろう。
 ――まあもしも、どうして森の方へ行くのかと聞かれても、と名前は思う。きっとセドリックなら、授業の事についてハグリッドに会いに行かねばならないのだと嘘を言ったとしても、それを嘘だと解った上で納得してくれると思ったのだ。

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