ルーピン先生という人

 ヒンキーパンク、つまりおいでおいで妖精についての復習の授業の後、名前はルーピン先生に呼び止められた。いつかと同じように、ヒンキーパンクの入っている檻を運ぶのを手伝いながら、ルーピンについて彼の自室に入った。檻を置き、前と変わらぬ質素なルーピンの研究室の中で、名前は促されるまま椅子に座った。
 その椅子も以前と同じで、この部屋に有る中で一番軋まない椅子だった。
「手伝わせてしまってすまなかったね。けれどこうでもしないと、君だけ一点マイナスになってしまったんだ」
 名前は自分の知らない内に、減点されるような何かをしてしまっただろうかと、首をかしげた。しかもそれが名前だけだという。授業中に寝ているのはいつもの事だから、違う筈だと名前は思った。確かに今日も、うつらうつらしてしまったけど。
 名前が考えているのを見て、ルーピンは小さく笑った。「この間スネイプ先生がお出しになったレポートの事だが、ハッフルパフだけでなく他の寮の生徒にも、出さなくて良いという事にしてね。しかし、熱心に提出に来た生徒には一点あげる事にしていたんだ。すると、ハッフルパフ生は君以外は全員出しに来てね。――何となく、差別してしまったようで決まりが悪くてね。手伝ってくれた事に一点をあげたいんだが、どう思うね?」ルーピンはにっこりした。
 名前が笑うと、「ハッフルパフに一点」とルーピン先生は微笑んだ。
「紅茶はいるかい、名前?」
 ルーピン先生はそう言ってから、ティーバッグだけどねと付け足した。名前がはいと頷くと、先生はすぐに湯を沸かし始めた。ごおという、ガスでおこされた火がやけに部屋に響いていて、ティーカップに最後の一滴が注がれるまで、二人は無言だった。

 渡されたカップに、暫くしてから一口紅茶を飲むと、ルーピン先生はようやく口を開いた。
「わざわざ来させてしまってすまなかった名前。どうしても、君が無事なのか自分の目で確かめておきたくてね。体の方はもう大丈夫かね?」
 名前にはこの間のクィディッチの事を言っているのだと、手に取るように解った。
「大丈夫です。マダムが完璧に治して下さいましたから。箒は壊れませんでしたし」
「ああ――」ルーピンは、ハリーの事だと察する事ができたらしい。「君の箒は借り物なんだったかな? スプラウト先生が、そう話してらっしゃるのを聞いたよ」
「そうか、大丈夫だと言うなら良いんだ。私は丁度病気になってしまって行けなかったのだが……酷い試合だったそうだね。ダンブルドアが怒り狂っているのを見たよ。吸魂鬼達も肝を冷やしただろうから、次の試合にあの連中が現れる事はないだろう」
 名前は取り敢えず頷いたが、一体ルーピン先生が何を言いたいのか解らなかった。次のレイブンクロー戦でも勝てる事を願っているだとか、次はプリンピーをやる予定なのだが解るかね?だとか、彼は他愛もない事を話し続けた。
 ルーピン先生が一通り話し終えた後、彼が再び口を開かない内に名前は言った。
「先生は大丈夫だったんですか?」
「……? 何がかね?」
 聞き返したルーピン先生に、名前は出来る限り、あっさり言い放った。
「だって先生、この間は満月だったでしょう?」

 名前が言ってから、ルーピン先生は不自然に黙り込んだ。しかし、先生の目は驚きによって見開かれている。どうして、と。
 名前は、彼と月に関係があることを知っていた。
 彼が授業を休んだ日、そしてハッフルパフとグリフィンドールの試合があった日。あの辺りは丁度満月だった。
 狼人間は満月前後一週間ほど脱狼薬という薬を飲み、自分の内の狼の心を自制する事ができる。しかし著しく体調を崩すらしく、満月の前日は殆ど動く事すらできないそうだ。ルーピン先生が授業を休んだのは、おそらくその日だった。夜間、退屈で死にそうだった医務室で見た月が丸かったのだから、間違いない。
 そして、もしかしてと思わせたのは、代理だったスネイプ先生が出した、狼人間のレポートだった。常々闇の魔術に対する防衛術を教えたいと思っている事と、先頃のボガートの一件で、ルーピン先生を恨んでいるらしいスネイプは、皮肉ってそれを出したのだろう。少なくとも先生方は、もしくは脱狼薬を煎じているのであろうスネイプと、校長であるダンブルドアは、ルーピン先生が人狼であると知っているに違いない。
 それだけで決め付ける事は不可能だが、予測する事はできた。そしてそれらの事を仮定として、彼が狼人間であると考えれば、名前にこうも構ってくる事と辻褄が合った。単に親切な教師と考えるより、そっちで考えた方がよっぽど信憑性があったのだ。
 まさか本人に確かめたわけではなかったが、名前にはルーピン先生が狼人間なのだろうと解っていた。

 暫くすると、ルーピン先生はひどく苦々しい顔で、名前に笑いかけた。何の冗談を言っているのかという意味か、それとも肯定の表情なのかは解らないが、こんな風に引きつった笑顔では、名前相手でなくとも失敗に終わるだろう。
 名前は彼が口を開く前に、紅茶を飲み干してしまっていた。
「……私が狼人間だと知っていたのかね?」
「先生が人狼だなんて、私は一言も言ってませんよ、先生?」
 後者だったらしいルーピン先生にあえて聞き返せば、彼は苦笑して「敵わないね」と言った。
「君が気付く事が出来たのは、スネイプ先生のレポートのおかげかな?」
「はい。それに、先生のボガートは満月に変身したそうですね。私は見てませんが、ハンナや、それにグリフィンドールのネビルにも聞きました」
 ルーピン先生は頷き、セブルスが喜ぶだろう、と小さく呟いた。
「君が考えた通り、私は人狼だ。後天性のね。私が解雇されていないという事は、君は私が狼人間だという事を見逃してくれているという事かな?」
「結果的に。去年や一昨年のような、授業にならない授業をするような人より、人狼だけど百倍良い授業をしてくれる、先生の方がマシという事です」
「辛辣だね」ルーピン先生は微笑んだ。


「私の事を知っているようだから率直に聞くことにするが…狼人間が憎いかね?」
 妙な事を聞く、と普通は思うかもしれない。しかし名前には、彼の真意をようやく解る事が出来た気がした。この人は最初から名前の事を知っていて、尚かつ名前に声を掛けていたのだ。本人はその気もなく、ただ純粋にそう聞いたのだろうが、名前には彼の秘めた考えが全て分かってしまった。
 名前はだんだんと、頭が冷えていくのを感じた。
「何とも思いません。父が死んだのは狼人間のせいでなく、あの男のせいです。先生は私に同情でもしてらっしゃるんですか? もしそうなら不愉快です。私は先生を憎いとも思いませんし、先生は勝手に私を哀れに思えば良いんです。勝手な気持ちの押しつけは止めて下さい」
 そう言うと、ルーピン先生は、少しだけ目を開いた。
「そうか、名前、君は……――」何かを言いかけて、ルーピン先生はそのまま口を噤んだ。隅に置かれたヒンキーパンクが、退屈だとでもいうようにカンテラをガシャンと檻にぶつけた。

 名前はこの時初めて、ルーピン先生をまじまじと見た。鳶色の髪には若いだろうに多く白髪が交じっている。顔にうっすらと残っている古傷は、脱狼薬が発明される以前、変身していた時に自分で付けた傷だろう。きっと顔だけでなく、体中にその痕が残っているに違いない。ぼろぼろで継ぎ接ぎだらけのローブを着ているのは、まともな職に有り付く事が出来なかったからか。
 名前は苦笑している、狼人間であるルーピン先生に対して同情しなかったし、哀れにも思わなかった。しかし目を細めて名前を見たルーピン先生のその瞳が、何の憂いも含んでいなかった事に、自分でも解らぬほどひどく動揺した。口がつけられないままのルーピンのティーカップからは、湯気はとっくに消えている。
「私は別に、君を哀れんでなどいない。むしろ、羨んでいた程だ。グレイバックに狙われて、こうして狼人間にならずにいられているだなんてね。憎まないでいられている事も、素晴らしいと思うよ。私は君のように考える事はできなかった。今も昔もね。恐らく、私が奴に噛まれなかったとしても、それは変わらなかっただろう――何故私は噛まれてしまったのか、あいつの事を調べ、そして君の事を知ってからずっと考えてきた。どうにかして逃れる方法は無かったのかとね」

 ルーピンはそこで、一度言葉を句切って名前の方を向いた。その瞳は、何の陰りもないリーマス・ルーピンの瞳だった。名前はルーピン先生が、これ以上何も言わなければ良いのにと思った。
「君を知った時は素直に羨ましいと思ったし、同時に共感も覚えた。ああこの子もか、とね。――しかし今は、君が噛まれていなくて本当に良かったと思っている。君に初めてホグワーツ特急で会った時に確信したよ。君は魔女だ。偉大なお父さんの血を受け継いだ、偉大な魔女だ。君は賢いし、咄嗟の判断も的確だった。人を思いやる事も出来る。しかし、それ以前に君は13才の、かよわい女の子なのだとね」


 名前はその後、一体何を話したかよく覚えていない。何かを言ったルーピンに素直に頷いた事と、ルーピンが冷め切った紅茶を飲み干して、そろそろ夕食の時間だから寮に戻ると良い、というような事を二言三言言った事は覚えている。夕食までにはまだ大分時間が有った事が解っていたのだが、しかしそれにも自分は素直に頷いた。素直に、というより適当に、の方が正しいかもしれない。話の内容を覚えていないのだから。
 寮に戻ってからハンナ達に呼ばれるまでずっと、名前はベッドに突っ伏していた。
 父親がグレイバックに殺された事に触れられて、辛かったわけじゃない。自分が一人、生き残った事を哀れまれて、嫌だったわけじゃない。しかし訳が解らないまま名前はひどく腹が立ったし、そして、何故か無性に悲しかった。

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