ハリーの告白

 聞いて欲しい事がある、そう言ってから、ハリーはしばらく黙っていた。口が開きそうになったと思ったらまた閉じ、それを何度か繰り返しているように思えた。名前は再び苛立っていくのを感じながら、根気よく待ってやる事にした。
 そして、名前がそろそろ自分から聞き出してやろうかと思った頃、ようやくハリーは口を開いた。
「君、死神犬って見たことあるかい?」
「……はあ?」
 何かと思ったら、グリムだなんて、いったい何の冗談なの?と、名前は言おうとしたが、ハリーの顔が思いの外真剣だったので、真面目に首を振ってやった。
 死神犬なんて、本の挿絵ぐらいでしか拝んだことはない。何せ死神犬というのは、それを見た数日後にはぽっくりと死んでしまう、恐ろしい魔力をもった犬の事だ。もし名前がそれを見たことがあったとすれば、今此処にはいない筈だ。
 名前が首を横に振るのを見てから、ハリーはゆっくりと、慎重に言った。
「僕、クィディッチ競技場で犬を見たんだ」
「……で?」名前は先を促した。
「真っ黒くて、凄く大きな犬なんだ。タイム・アウトを取った後――最初に雷が鳴った時、その犬が競技場の一番上の観客席に居たんだ。もしかしたら、あれは死神犬かもしれない。トレローニー先生は僕にグリムが取り憑いてるって言うし、僕は前にも、同じような犬を見たんだ」ハリーはゆっくり言った。「ダーズリーの所で」とも付け足した。
 一体それが何だというのか、今生きているから良いじゃないかとも名前は言おうとしたのだが、それではあまりに素っ気なさすぎるかもしれないと思い直し、「……違うんじゃない?」とだけ言った。ハリーが名前をじっと見ているので、やむなく「だってそうじゃない?」と名前は言って、それからもう一度口を開いた。
「もしそうなら、ハリーはとっくに死んでる筈じゃないの?」
「うん……そうだよね」ハリーは心底安心したという顔をして、そう言った。


「君、吸魂鬼に会った時、何か聞こえたりしない?」
 たっぷりと間が有った後、ハリーがそう聞いた。さっきグリムを名前が否定して、そして少し安心したという表情は、ハリーの顔から拭い去られていた。死神犬と口に出した時と、今こうして吸魂鬼と聞いた時と、一体どちらがより深刻な顔をしているのか、甲乙付けがたかった。ハリーが言った事はひどく馬鹿馬鹿しい事のように思えたが、またも名前は茶化さず、首を横に振った。
「何か聞こえたりってどういう事?」名前は聞いた。
「うん……」ハリーは言葉に迷ったようだったが、すぐに口を開いた。「あいつらが目の前に来ると、僕、頭の中に声が響いてくるんだ。昨日の競技場でもそうだった」
「あれは、僕の母さんの声なんだと思う。ヴォルデモートに殺される直前の――」
 名前は思わず身を震わせた。
「――母さんがあいつに命乞いする声が聞こえるんだ。あれを聞くと、僕は震えが止まらなくなって――。――名前、君も、……そうなんじゃないかと思って」
 ハリーは名前が吸魂鬼と遭遇した三回が、三回とも気絶したのでそう言ったのだろう。

 名前は何故、ハリーがそんな光景を見るのかを考えた。
 吸魂鬼は人の幸福を吸い取り、心の底にある絶望を表面へと誘う。ハリーの持っている絶望は、他の人のそれより遙かに大きいのだろう。ハリーは両親を、例のあの人に殺されている。ハリー自身も殺されるところだった。
 吸魂鬼が、ハリーの最悪の記憶を甦らせていたのだ。そのダメージは、他の人には計り知れないほど大きいものなのだろう、と名前は結論付けた。

 そして、何故ハリーがそれを名前に話すのかも考えた。僕、この事をロンとハーマイオニーにも言ってないんだ、と呟くようにハリーが言ったのを、名前は聞き漏らさなかった。
 名前には、ハリーが母親の声が聞こえるという事を打ち明けたかったのではなく、聞こえている自分をどう思うか、名前に聞きたかったのだという事がはっきりと解った。ロンやハーマイオニーに打ち明けづらいのだろうと察する事が出来たし、顔見知り、気の置くことの出来る友人、という程度の名前には相談し易かったのかもしれない。
 名前に率直な意見や、的確な助言をを求めているのか、それともただ単に誰かに知ってもらいたかったのかは解らないけれど。


 正直に言えば、ハリーが言った事と同じ事が、名前にも起きてはいた。ホグワーツ特急で吸魂鬼に会った時から、名前の頭の中には父親の死に顔がついて離れなかった。大怪我を負った父親が自分の目の前で息を引き取り、段々と冷たくなっていく様は、悪夢の中で何度も再生されていた。
 しかし何故か、その事を此処でハリーに言うのは、得策ではないと思った。

 うーん、とわざとらしく唸り、名前は考えているふりをした。
「ハリーには、そういうモノが見えたり聞こえたりするの?」
 名前は改めて聞いた。そしてハリーが頷いたのを見てから、ゆっくりと口を開いた。
「すっごく無責任に聞こえると思うんだけど……――聞いて? まず、私にそういうものはよく解らないわ。たしかにあたしはディメンターの影響を他の人よか受けている方だと思うけど、何かの声を聞いたりはしてないよ」
 名前が言うのを、ハリーは黙って聞いていた。
「そう、それで、あんまり気にしない方が良いんじゃないのかな。だって、ハリーはこうして今いるんだから。死神犬の事だって、トレローニー先生のいう事なんでしょう? あの人の言うことは、嘘っぱちすぎるもの。正直、信じる方もどうかしてると思うな。それに、ハリーが見たのは死神犬なんかじゃなくて、ファングの友達かもしれないじゃない?」
 あまりに無責任すぎたかもしれない、そう思って、名前は付け足した。
「ハリーが吸魂鬼が好きじゃないって事は解った。でも、あなたがあんな連中にビビったりしない人だって事の方が、あたしはよく知ってるよ」



 元から人の気が少ないせいか、段々とホグワーツ中が寝に入っていくのが解った。名前の寝ているベッドから見える窓にはいつの間にか月が昇っていて、時計は無かったが時間が大分経っている事は知る事が出来た。
 名前が言い終わった後、ハリーが口を開く前にマダム・ポンフリーがやってきたので、二人のお喋りの時間はおしまいになっていた。今はそのマダムも隣の部屋で眠っているに違いない。聞こえるのは、時折外から響いてくる何かの鳴き声だけだ。
 一日中ベッドに横になっていたからか、名前はなかなか寝付くことが出来なかったのだが、明日からはいつも通り授業を受けなければならないのだという事を思い出し、寝るのに専念する事にした。

 明日の授業はなんだっただろうと、うとうとと考えていると、不意にハリーが言った。そして、名前はそれににっこりして、「そう」と答えたのだ。丸い月の夜だった。

「僕、君に聞いてもらえて良かったよ、名前」

[ 583/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -