再びの医務室

 名前が目を覚ました時、いつのまにか夜になっていたらしく、辺りは薄暗かった。
 燭台の炎をぼんやりと見つめながら、何故自分が布団の上にいるのかを考えた。名前が思い出せる限りでは、自分はクィディッチをしていた筈なのだ。冷たい雨の中を、箒から落ちたハリーを助ける為に無我夢中で飛んでいた。落ちていくハリーを捕まえようと必死だった。急降下した後、一体どうなったんだろう? ハリーの腕を掴んだような、掴み損ねたような。名前はすぐに答えを見つけることができなかった。
 まず、此処が何処なのかすら解らなかった。闇に慣れてきた目で辺りを窺うと、見覚えがあるようで無いようなその天井は、白かった。もしハッフルパフの寝室で目を覚ましているのならば、ベッドの天蓋が見える筈だ。しかし見えるのは黄色く彩られた天蓋ではなく、白い天井だった。

 今嗅いでいる匂いはが何だったか、名前はそう頭を働かせて、此処が医務室であるという事をやっと理解する事が出来た。鼻の奥の方につんとくるこの匂いは、消毒液の匂いだ。
「名前!」
 聞き慣れない声が名前のすぐ側から聞こえた。それはハリーの声だ、と名前は認識した瞬間、その声が頭に痛いほど頭に響いている事を、すぐに理解した。
「うん……名前だから。もうちょっと声小さくしてくんない?」
 そう言うと、ハリーは急いで「ごめん」と言った。
 何をされたのかと疑ってしまうぐらいに痛む体をゆっくり起こすと、ハリーが名前の横たわっているベッドのすぐ隣の(普段ならベッドとベッドの間は衝立で分けられている筈だが、今はそれが無かった)ベッドに座って、此方を見ていた。気が付いたんだね、良かった、と言うハリーに、名前は一瞬何を言われたのか解らなかった。
「君、ずっと目を覚まさなかったんだよ。試合が終わった時からずっと。――ロンとハーマイオニーもさっきまで居たんだけど。ハッフルパフの人達も居たよ――今は消灯時間なんだ。僕、どうせ起きているのなら君が目を覚ましたら知らせてくれって、マダム・ポンフリーに言われてるんだ。だから今すぐに呼ぶよ――」
「お願い、ちょっとだけ、マダム呼ぶの待って」
 急いでそう言うと、ハリーは驚いた顔をしたが、呼ぶのを待ってくれるようだった。
 名前はひどく寒かった。今の今まで暖かい布団で寝ていたのに、寒いなんて事がある筈がない。医務室の中の室温は魔法で保たれているから、先程から本当に此処は医務室なのだろうかと違和感を感じていた。

「……ハリーは大丈夫なの?」
 一旦聞くと、後はもう止まらなかった。試合はどうなったのか、吸魂鬼は、他の皆は大丈夫なのか。名前は矢継ぎ早に訊いた。何か喋っている方が楽だった。身を起こしてから再び沸き起こっていた吐き気も、段々と静まっていくのを名前は感じた。
 ハリーは次々と飛び出る名前の質問を黙って聞き、そしてそれに丁寧に答えてくれた。
「僕は大丈夫だよ、名前。僕は君より先に目が覚めたし、マダムが診てくれたから。これはジョージに聞いたんだけど、君が僕を受け止めてくれたおかげで、僕は大怪我せずに済んだ――試合は、君達が勝ったよ。ハッフルパフの勝ちだ。僕と名前が落ちる前に、ディゴリーがスニッチを取っていたから――ディメンターはダンブルドアが追い払った。僕らが落ちてる時に競技場に駆け込んできて、僕らが落ちるスピードを緩めてくれた後、何かの魔法を使って――そしたら、吸魂鬼はすぐに競技場を出ていったって。他のみんなは無事だよ。みんな怪我してない。選手も、他のみんなも全員無事だよ」
 ハリーが言い終わると、名前は心底安心した。みんなに怪我が無いというのなら、万々歳だ。
 奥の部屋に居たマダム・ポンフリーは、ハリーが呼んでからすぐにやってきた。マダムはこんな時間なのに普段通りの格好をしていて、名前は自分の為に起きていてくれたのかと思う反面、申し訳ないとも思った。
 マダム・ポンフリーはそんな名前の思いを知ってか知らずか、名前の体に特に異常が無い事をすぐさま調べ終えた。そして名前の口に大きく割られたチョコレートの欠片を押し込むと、恐ろしく青い打ち身に効く薬と、山盛りになったチョコレートをベッド脇の小机に置いて、マダムは言った。
「それを全部飲むんですよ。勿論、一滴残さずにです――調べたところ、全身打撲以外の損傷は見られませんでした。しかし、いいですかミス・名字。今週末は医務室に入院してもらいます。私は隣の部屋に居ますから、もし何か異常があればすぐに呼ぶように――まったく、だから私は最初から吸魂鬼など反対だったんですよ。実害は出ない? 今まさに出ているわ」


 次の日目が覚めると、マダムの治療のおかげか、すっかり体中が元通りになっているようだった。一番痛みが酷かった左腕も、パジャマを捲ってみると青痣一つ残っていなかった。頭痛も治っている。吐き気がしないわけではなかったが、きっとそれは昨日の試合の影響ではなく、今学期から始まった吸魂鬼による、慢性的なものだろう。

 日曜日だったからか、たくさんの人がお見舞いに来た。ハンナは目が覚めて良かったと言って泣きそうになっていたし、一緒に来てくれたスーザンも似たような事を言った。昨日も気を失っている間に来てくれたらしく、朝ご飯も食べずに見舞いに来てくれた二人に、名前は申し訳なく思った。アーニーやジャスティンを始めに、ハッフルパフの皆もたくさん来てくれたし、レイブンクローの友達も見舞いに来てくれた。
 朝食の時間が過ぎたころにやってきたザカリアス・スミスは、クィディッチチームの皆を連れてきた。
「良くなったみたいで、本当に良かったわ」皆を代表して、コベットが言った。「昨日、試合に勝ったのにあんたが居なかったから、寮の中もパーティの準備はしてあったのに、まるで葬式してるみたいだったよ」
 勿論、ハリーを見舞いにくる人もたくさん居た。ハーマイオニー・グレンジャーとロン・ウィーズリーは、いち早くハリーの隣に腰掛け、他の皆からだというお見舞いの品をハリーに届けていた。

 グリフィンドールの選手達が総出で来ていた時は、名前は気まずくて寝たふりをしていたのだが、ハリーに声を掛けられて、仕方なく身を起こした。その場に居た全員の目が此方を向いていた時は名前も驚いて、危うくベッドから落ちる所だった。
「君がハリーを捕まえてくれて良かった。そうじゃなきゃ、うちのシーカーは死んでたかもしれない。感謝してる。ありがとう」
 キャプテンで、キーパーのオリバー・ウッド。彼はそう言って、名前と握手した。チェイサーの女の子達三人も、ハリーを助けてくれた事に感謝していると言ったし、双子のウィーズリーはそんな名前の為に歌を作ったなどと言って、出鱈目な歌を歌い出す始末だった。
「君の最後のシュートは良かったよ。もう少し内巻きの回転が掛かっていたら、もしかしたら入っていたかもしれない」ウッドはそう言って、名前ににっこりした。


「まさか二回も君を見舞うとは思ってなかったな」
 クラッブはそう言いながら、前回の時と同じように、名前の為に届けられた見舞いのお菓子の中から好き勝手に摘んでいた。もう少し静かに食べなければ怒ったマダム・ポンフリーが来てしまうかもしれないと名前は思ったが、考えてみれば先程から隣のベッドから聞こえてくるキンキン声の歌声の方が五月蠅かった。声の主は、昼頃にやってきたジニーがハリーに渡した、お見舞いカードだ。
 今は丁度、夕食の時間だった。いつもならクラッブは長い時間大広間で夕食を食べている筈なのに、今日は早めに切り上げて、名前のところに来てくれていた(と思ったら、まだ夕食を食べてすらいないのだそうだ。夕食前にお菓子を食べるなんてと名前は睨んでみせたが、ハニーデュークスとホグワーツの食事は別の胃袋に入っていくのだと笑った。名前もその考えには賛成だ)。もしかしたらクラッブは、ハリー・ポッターのベッドの側にはいつもハーマイオニー・グレンジャーとロン・ウィーズリーが居る事を知っていて、こんな時間に来たのかもしれないと、名前はそう思った。
「ねえ、どうせならチョコレートを食べてよ」
 名前が言うと、クラッブは不思議そうな顔をした。
「何で? 吸魂鬼にはチョコが良いんだろ?」
 今度は名前が不思議そうな顔をする番だった。「ルーピンが言ってた」
 納得していないという顔をしていたが、クラッブは素直にチョコレートのお菓子を食べだした。名前がチョコレートを勧めたのは、昨日と今日で、一生分のチョコを食べた気分だったからだ。

 クラッブがお菓子を食べながら、キンキン声の歌声に負けないように声を大きくして、名前に話した事を要約すると、こうだった。
 まず、どうしてニンバス2001が名前の手元にやってきたのか。
 それはまず、セオドール・ノットが何処からか名前がハッフルパフのチェイサーになったという事を仕入れてきた事から始まった。それはクラッブの耳に入り、彼は簡単に名前が箒を持っていないのだろうと予想をつけた。名前はクラッブの考える事や思っている事を大抵推し量る事が出来たし、それはクラッブも同じなのだ。
 しかしその情報を得てからも名前に焦っている様子が無かったので、クラッブも心配しなかったのだそうだ。だが今朝、名前が箒置き場の前で一時間以上佇んでいるのを見たクラッブは、急いで『まとも』な箒を借りられるアテを探した。彼は名前が、箒が無ければ備え付けの流れ星に乗るだろう、と予期していたのだ。
 自分の身近で箒を持っている人間と考えて、クラッブが最初に思い付いたのはマルフォイだった。彼はスリザリンのクィディッチ選手で、箒を持っている筈だったからだ。箒を名前に貸したいから貸してやれないだろうかと言いながら、クラッブはマルフォイの箒はスリザリンチームのものであって、個人の箒では無いという事を思い出していたそうなのだが、その時マルフォイは自分の箒を貸してやれと言ったのだそうだ。
「マルフォイがねえ……」名前が思わず呟くと、クラッブも頷いた。
「僕も驚いた。けどまあ君らが試合する事になったのは、ドラコが元だからっていうのがあるんじゃないのかな」
 的を射た発言に、名前も頷いた。
 クラッブが自分が箒を持っていない事を悟ってくれ、しかも箒を貸そうと尽力してくれた事に、名前はお礼を言った。流れ星なんかじゃ流石に無様じゃないか、と言ったクラッブに名前は怒ったふりをしてみせ、そしてそれから二人で笑った。ひとしきり笑い終わった後、名前は昨日から気になっていた事を聞いた。
「ねえ、そのマルフォイのニンバスはどうなったの? ハンナ達も知らないって言うの。まさか、壊れてないよね? 思いっきり墜落しちゃったから……。あたし、ニンバスなんて弁償できない」
「何だ知らなかったのか? あれはそのまま、マダム・フーチが箒置き場に戻しといてくれた」
 若干馬鹿にしたような顔をしたものの、クラッブはそう言った。
「そうなんだ? 良かった。マダムはあたしのじゃないって解ったんだね」
 名前が心底ホッとしながらそう言うと、クラッブは頷いた。そして彼はそのままお見舞いのお菓子の山に手を伸ばし、蛙チョコレートを取り出し口に放り込んだ。

 それから夕食の時間の終わりが近付いてくるまで、クラッブは医務室に居た。名前は自分がいかに果敢にシュートを決めに行ったか(二割増しで)話して聞かせた。しかし生憎と、そんな様子は雨に遮られて全く見えなかったらしい。
「まあ、君が馬鹿みたいに落ちてくのは見えたかな」名前が抗議の声を上げると、クラッブは笑った。
 一度ぐらい夕食を食べなくたって平気だし、もしそんな事になったら君の見舞いの菓子を全部貰いに来ると言って笑ったクラッブに、再度お礼を言ってから、彼が医務室から出ていくのを見届けた名前は、ベッド間にあったカーテンが取り除かれていて、ハリーが此方をジッと見つめている事に気が付いた。
「……君、あいつと仲良いの?」心底驚愕したという声だ。
「だったら?」
 名前が素っ気なく聞き返すと、ハリー・ポッターは「いや」とか「うん」とか曖昧な返事をした。ハリーの口から漏れた、理解が出来ないという音を含んでいる声に、名前は少しだけ苛立った。自分の親友をそんな風に言われれば、誰だって苛つく筈だ。

「ねえ、それって黙らせられないの?」名前が聞いた。
 それと言いながら、ジニーのお見舞いカードを指さした。彼が最初に貰った時より、段々とキンキン声の甲高さが増していた。流石に聞き苦しくなってきていたのだ。ジニーから貰ったのだからとは解っていても、超高音で歌われ続けては敵わない。
「ンー……さっきまで果物の籠の下に置いて静かにさせてたんだけど、その籠のリンゴを一つ食べたら効果が無くなっちゃったんだ。どうやっても静かにならないんだよ」
「成る程ね。じゃあこういうの試した? シレンシオ、黙れ!」
 名前が杖を振ると、カードは一瞬にして静かになった。
「凄いや」ハリーが言った。「名前って何でも出来ちゃうんだ。うん、便利な呪文だ」
「何でもっていうのは語弊があるね。あたしってホラ、ムラッ気が有りすぎるらしいから。コレは、知っておけば先生のお説教の時に便利かなと思っただけよ。実行した事はないけどね。――何なら調べてみると良いと思うよ。教科書に出てくるから」
 名前が言うと、ハリーは頷いた。「まあ説教されてる時にやるのはお勧めしないわ。倍になる事請け合いだから」と名前が付け足すと、ハリーはそれにも素直にこっくりと頷いて、名前は毒気を抜かれてしまった。


「僕、君に聞いて欲しい事があるんだ」ハリーがそう言ったのは、夕食後に来ていたロンとハーマイオニーが帰った、その後の事だった。

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