嵐の試合

 名前の腕を掴んだのは、ビンセント・クラッブだった。何処か不服そうな顔をしているクラッブは、そのまま名前を押しのけた。箒置き場でごそごそと動いていた彼が、振り返った時に手に持っていたのは、ニンバス2001だった。
「……え?」
「良いから。無いんだろう、箒」
 半ば無理矢理名前の手にニンバスを押しつけたクラッブに、名前は目を白黒させるばかりだった。この古くからの親友と、これほど意思の疎通が図れない事は初めてだった。
「これって、スリザリンチームの箒じゃないの?」
 名前が困惑しながら尋ねると、再びクラッブは「良いから」と言った。
「ドラコが貸してやれって言ったんだ。君が箒が無くて困ってるって言ったら、貸してやれって。僕はノットから君が選手になったって聞いて――だから、良いんだ。ちゃんと後で説明する。それより名前、さっさと競技場に行かないと」
 いつになく早口で、いつになくよく喋るクラッブをぽかんと見ていた名前は、クラッブに言われてハッとした。試合開始の十一時まで、残り十五分を切っている。「ありがと」と早口で言い、名前は競技場に向かって駆け出した。



「――ごめん遅れた!」
 外は土砂降りだったが一生懸命走ったおかげで、体中ぐしょ濡れだったものの、試合開始の二分前にはカナリア・イエローのローブに着替え終え、選手控え室の方に辿り着く事が出来た。ロッカールームに誰も居なかった時はドキッとしたが、控え室に着いた時には十二個の目が一斉に此方を見て、名前は安心した。
「遅いぞ!」
 他の皆が名前に声を掛ける前に、ザカリアスが叫んだ。なかなか来ない名前に痺れを切らしていたようで、開口一番に名前に文句を言ったザカリアスは尚も叫んだ。
「いいか、君が来ないだけで僕らが失格になったらどうしてくれるんだ!」
「ごめんごめん」
 箒にちょっと手間取って、と名前が言い訳しても、ザカリアスはまだ怒っているようだった。名前の到着でやっと一安心出来たという風のセドリックが、「まあまあ」とザカリアスを宥めた。
「彼女も悪気があったわけじゃない。間に合ったんだから良かったじゃないか。――名前、箒は借りられたんだね?」セドリックはにっこりした。
「うん。見てよこれ!」
 名前がぐいっと箒を差し出すと、セドリックと、そしてザカリアスの目が点になった。
「……ニンバス2001!」二人の声がぴったり合わさった。
 二人の声に引かれるように、チームの全員が名前の周りに集まった。
 名前の持っている其れはまさしくニンバス2001で、学校の中古の流れ星なんかとは比べものにならないぐらい良い箒だ。流線型のフォルム。黒光りする柄に、きっちりと整った白樺の小枝。柄の先には『ニンバス2001』と美しい金文字で銘押しがされている。「すっげえ」と、名前の後ろから乗り出すようにしていたチェンバースの口から声が漏れた。
「俺、こんなに近くで見たの初めてだ」キーパーのマホニーが言った。
「でかしたわよ、名前!」ビーターのコベットが言った。後ろでアバンドンも頷いている。
「あんたって男を口説き落とす才能が有るわ!」


 皆がニンバス2001を隅から隅まで眺め終え、名前がどうやってこんな箒を借りてきたのかと気にしだした頃、競技場が歓声に震えたのがわかった。大雨のせいで若干小さく聞こえはしたものの、反対側からグリフィンドールから選手が入場したらしい。セドリックが「時間だ」と言った。
「みんな――正々堂々、そして精一杯頑張ろう」
 セドリックがそう言ってピッチに向かうと、皆が彼について黙々と歩き出した。
 先程まで名前に怒鳴っていた意気は何処へ行ったのか、ザカリアスは真っ青な顔で硬直していた。よく見ると体中で震えている。固まりこそしなかったものの、その気持ちは名前にも痛いほど解っていた。
 そんなザカリアスの肩に、そして名前の肩にも手を置いて、チェンバースが言った。
「大丈夫。俺達の仕事は、クアッフルをゴールに叩き込む、それだけだ」
 名前が頷くと、ザカリアスも恐々頷いた。
 カナリア・イエローに身を包んだハッフルパフチームの選手達が入場すると、再び競技場が歓声で沸いた。しかし実際は雨と風に阻まれ、一体何処にどの寮生が座っているのかすら、名前達には解らなかった。物凄い嵐だった。思わずニンバス2001の柄を握り締めると、ニンバスはまるで名前を安心させるかのように一度ゆっくりと震えた。名前は何故か、心底安心した。
 フーチ先生を間に挟み、両チームはやっと競技場の真ん中に整列する事が出来た。雨風に加えてグラウンドはぬかるんでおり、歩くのも一苦労だったのだ。名前は深紅のローブを着たグリフィンドールのチームを見たが、雨のおかげで一体どれが誰やら解らなかった。かろうじて、フレッドとジョージの赤毛を判別する事が出来たぐらいだ。
 二人のキャプテンが歩み寄り握手した後、フーチ先生が「箒に乗って」と叫んだ。
 皆が足を泥の中からズボッと抜いて箒に跨り終えると、フーチ先生がホイッスルを吹く動作をした。ホイッスルの甲高い音は、雨と風に流されて殆ど聞こえなかった。しかし四つのボールは既に競技場に放たれていて、ついにクィディッチは始まった。


 空中に浮かぶと、すぐに風に流されそうになった。しかし、中古の流れ星と違い、ニンバス2001は名前の言うことをちゃんと聞いた。左右に揺れる事もなかったし、振り落とされそうになることもなかった。
 ぐっと身を屈んでニンバスを握り締め、名前はクアッフルを探した。紅色がハッフルパフのゴールの方へ走り、その後を黄色いローブのはためきが追っているのを確認した名前は、すぐさま後を追った。
 恐ろしく視界が悪かった。吹き荒ぶ雨と風のおかげで、ローブの色を見分ける事は困難だった。飛んでくるブラッジャーも、暗い空に紛れてよくわからない。

 リー・ジョーダンがしている筈の実況は、風に掻き消されて殆ど聞こえなかったが、時たま掠れ掠れの声が耳に入ってきた。「ジョンソン選手、クアッフルを持って走ります。良いぞ、行けっアンジェリーナ! 後ろからスミスが来てるぞ! ――ジョンソン選手、華麗にベル選手にパス! ああっとクアッフルが風に流された!」
 箒に跨って猛スピードで空を飛んでいると、恐ろしく寒かった。競技場に出て十分もしない内に、体が芯から冷えた。まさに最悪のコンディションだ。冷たい雨と風に凍えながら、それでも名前はクアッフルを追った。
 いったい試合が始まってからどれくらい経ったのか、握っている感覚がなくなってきた頃には、それすら解らなくなってきていた。脳みそまで凍えてしまったのかと、疑ってしまう程だ。いつのまにか三十点、グリフィンドールにリードされていた。一度目はアリシア・スピネット、後の二回はアンジェリーナ・ジョンソンの得点だ。
 名前はジョンソンがシュートしている間近に居たのに、止める事が出来なかった。

 空がゴロゴロと唸りだした頃にも、ホイッスルは鳴らなかった。雨も風も一向に止まず、それどころか増してきてすらいる。シーカーの二人がスニッチを見つけられないのも無理ないな、と名前は考えた。視界も悪く、クルミ大のスニッチを見つける事は困難な筈だ。そのスニッチが風に流され、あらぬ方向に飛んでいるということもある。
 寒さに震える手でニンバスを再びグッと握り締めた時、チェンバースが投げたクアッフルを、オリバー・ウッドが横に飛んで弾いたのを名前は見た。そして名前は猛スピードで急降下し、落ちるクアッフルをキャッチした。
「アドルフ!」
 名前が投げたクアッフルを受け止めたチェンバースは、そのまま先程とは真逆のゴールに向かってクアッフルを投げた。それは上手くキーパーの腕をすり抜け、すっぽりとゴールに入っていった。
「良いぞ!」ザカリアスが叫んだのが遠くから聞こえた。

 喜んだのも束の間で、すぐにグリフィンドール勢が巻き返してきた。
 チェイサー達の猛攻に舌を巻くばかりだったし、キーパーのウッドも、一度得点を許した事で気合いの入れ直しをしたのか、何度ハッフルパフのチェイサーがシュートしても、ものの見事にセーブしてみせた。名前も寒さにも負けずに何度もゴールを狙ったが、どれも惜しいところで弾かれた。遠くの方から、リーの解説が聞こえた。
「グリフィンドールのウッド選手、素晴らしい動きでハッフルパフの攻撃を防ぎました! ナイスセーブ!――惜しかったぜ、名前!――こぼれたクアッフルはスピネット選手が拾い、そして遠くにいたジョンソン選手にロングパス! 行け、アンジェリーナ!」


 名前が二度ほどブラッジャーに叩き落とされそうになり、グリフィンドール選手の誰かと衝突しそうになり、得点が六十対十になってグリフィンドールとの点差が開いてきた頃、ついに雷が鳴った。そしてそれと同時に、嵐の中で甲高いホイッスルが響き渡った。

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