霧のかなたからの啓示

 シリウス・ブラックの侵入があってからの数日間、ホグワーツの皆は話題に困らなかった。一体どうやって敷地内に、そして城内に入ってきたのか、その話題は尽きる事がなかったからだ。真実味を帯びたものから突拍子のないものまで、実に多種多様な憶測がホグワーツ中を駆け巡った。――例えばだ。
「だからブラックは、灌木に変装してホグワーツに来たのよ。花を咲かせられるやつに変装して。そうしたら誰にも怪しまれる事はないわ、ホグワーツにはもっとヘンテコな木はいっぱい生えてるんだから。それに、吸魂鬼は真っ赤な花が苦手なんだって書いてあったもの」
 ハンナが自信たっぷりと、そして小声で、名前にそう言った。

 トレローニー先生は此方の様子に気が付く事はなく、するするとショールを棚引かせ、名前達のテーブルを通り過ぎていった。ハンナの深刻な顔付きが、いかにもティーカップに現れた、不幸を示す茶の葉占いの結果を告げているように見えたのかもしれない。
 きらきらとした目で名前に同意を求めているハンナに、名前は肯定しなかった。
「――ハンナ、それはもう良いって。朝から四回目じゃない」
「失礼ね、まだ三回目よ!」
 名前がくたびれた調子で言うと、ハンナは憤慨したという風に言い返した。
「四回目でも三回目でも良いでしょ。お願いだから寝かせてよ、あたし昨日寝てないんだから」
 名前としては、占い学で寝ないという選択肢は元より存在していなかった。昼食を挿んだ後の次の授業は古代ルーン文字学で、名前の大好きな教科の一つだったからだ。バブリング先生の授業で居眠りするぐらいなら、魔法薬学で大鍋を爆発させた咎で一週間の床磨きをさせられた方がマシだ。魔法無しのマグル式でも構わない。今寝なければ、きっとルーン文字の時間にうたた寝してしまうだろう。
 しかし興奮の冷めないハンナは、名前を寝かせてはくれなかった。ブラックが如何にしてホグワーツに侵入したか、今朝方、唐突に閃いたのだというハンナは、その論を決して曲げず、誰にでも喋って聞かせていた。彼女と一緒に行動している為、名前は既に何度も聞いていたし、ハンナは名前にも直接話して聞かせていた。
 もしかしたら、名前が賛同するまで続けるつもりかもしれない。

 寝てないのは自分のせいでしょう、と、そう言いたげなスーザンの視線を受けながら、名前は小声でハンナに言った。
「赤い花が苦手な吸魂鬼って、昔話の話しでしょ? もしそうだったら、アズカバンの看守になんかなってないわ。弱点がはっきりしすぎてるもの。それに第一、木に変装してたらどうやって動くわけ? ジャンプする? 這いずり回る? それとも滑車に乗って、誰かに押してもらう? そんな事してたら、いくら吸魂鬼だって気付くわよ」
 どう?と小声で名前がそう捲し立てると、ハンナは無言のままだった。
「ね、お願い、明日いくらでも聞いてあげるから、だから今は寝かせて――」
「あなた、紅茶葉のお告げは読み取れまして……?」
 突然背後から聞こえた声に、名前はティーカップを取り落としそうになった。いつの間に戻ってきていたのか、トレローニー先生が名前の後ろに立っていた。その向こうの方で、薄笑いを浮かべているザカリアスと目が合った。彼の机に行った後、どうやら先生は方向転換してきたらしい。
「あー……羊に見えたんです」名前は急いでハンナのカップを見るフリをし、そう言った。
「それで、アー……予期せぬ転落…あ、いえ、一定の報酬、計画的な打算、捕らぬ羊の皮算用……」
 名前はしどろもどろに、偶然開いていた頁の解説を読み上げた。占い学の授業が始まってこの方、名前は紅茶の葉が示す啓示を読み取れた事などなかったが、葉の模様の、細い楕円を描いている線が、羊の角に見えない事もない事が救いだった。
 トレローニー先生は「まあ…」と言って、ハンナのカップを見、それからハンナの方に目を移した。
「それでは今度は、あたくしが見てさしあげましょうね」
 そう言って先生はス、とハンナが手にしていた名前のティーカップを取り上げ、さも平然とした態度でそれを眺めた。トレローニー先生はくるくると回していたのも束の間、ハッと息を呑み、小さく悲鳴を上げた。
「――何ですか?」スーザンが憮然とした態度を隠さぬままそう聞いた。
 トレローニー先生は待ってましたとでも言わんばかりに勿体ぶって間を取ったが、キッと表情を変えて深刻そうな顔を作り、より一層ドラマチックに聞こえる声を出した。教室中の視線が集まる中、トレローニー先生はカップを見つめたまま口を開いた。
「大きな髑髏が見えますわ。あなたの行く所に危険がある証拠……避けることの出来ない災難が視えますわ。まあ……これは崖ですわね、堕ちるのは……まあ」
 かわいそうな子、言わない方がよろしいですわね、あなた、決して放さぬように……囁き声で最後にそう告げ、トレローニー先生は再び教室の徘徊に戻っていった。
 実の所、名前に不幸な兆しを見つけるのが、トレローニー先生のお気に入りだった。最初の内は皆、気の毒そうに名前を見つめるばかりだったが、最近では皆慣れっ子で、すぐに教室はいつもの調子に戻っていった。名前をちらちらと見るのは、熱狂的なトレローニー信者の生徒達だけだ。
「避けるのことの出来ない災難……今のがまさしくそうでしたわ」
 名前が囁き声を真似して呟くと、隣のテーブルに座っていたスーザンが思わず吹き出した。


 ブラック事件の論争が静まっていくのと平行して、天気は着々と悪くなっていったようだった。十一月に入ってからというもの、からっと晴れた試しがなく、雨が数日間降り続ける事もしばしばだった。

 しかしそんな曇り空の下、ハッフルパフ・チームはめげずに練習を続けていた。
「あ、危ない!」
 チェンバースは叫んだが、一足遅かった。鈍い音がした後、ザカリアス・スミスはやむなく空中で一回転する羽目になった。チェンバースが暴投したクアッフルがザカリアスの顔面に激突したのだ。再び箒の上に現れた彼の顔は血に染まっており、ふがふがと何か罵ったようだったが、流れ落ちる血に遮られ上手く聞き取れなかった。
「悪い、大丈夫か?」
 すぐさま駆け寄ったチェンバースは慌てて杖を取り出したが、鼻血を止める呪文が思い付かなかったらしく、焦って杖を取り落としそうになっていた。その間にもザカリアスの鼻血はぼたぼたと垂れていた。大分激しく出血しているようで、カナリア・イエローのクィディッチローブが段々と赤くなってきた。
「あーっと……エイビスだっけ?」チェンバースが不安そうに呟いたのを、名前は聞いた。
「違うよ――エピスキー」
 チェイサー達が空中で停止しているのをいち早く発見し、飛んできたセドリックがチェンバースの後ろからそう言って、杖を振った。鼻血癒えよ、と付け足された呪文のおかげで、ザカリアスの鼻血はぴたりと止まった。
「それだけじゃあ駄目だわね」名前が思わず呟くと、ザカリアスはすぐにギョッとした。
「よせ、君が何かやるとろくな事にならないんだから!」
「ああ、ごめん、先に謝っとくね――テルジオ、ぬぐえ」
 名前がひょいと杖を振ると、血だらけだったザカリアスの顔は、一瞬で綺麗になった。多少の拭き残しは許してもらいたい。名前の魔法が正しく自分の顔を綺麗にしたのが予想外だったのか、ザカリアスはすぐには何も言わなかったが、一刹那後にハッと気付いたようで、ぶつぶつと文句を言った。
「ひどいやつだ。せめて何か言ってからにしろよ」
「ごめんねって先に謝ったでしょ」
 名前が言った後も、ザカリアスは「ひどいよな」と呟いていた。どうやら、先輩のチェンバースにぶつけられないイライラを、名前に向ける事にしたらしい。ぶつくさと言い続けるザカリアスに、名前は笑顔で言った。
「そうだね、拭わない方がハンサムで良かったかもしれないよね」
「そんな事言ってないだろ! 大体君は雑すぎるんだよ!」
「良いでしょう別に。それにホラ、ちゃんとセドリックにお礼言った?」
 名前が言うとまだ何もお礼をしていなかった事に気が付いたザカリアスはハッとし、ありがと、ともごもごとセドリックにお礼を言った。セドリックはすぐに、良いんだよと微笑んだ。
「それにしても、もっと気を付けろよ、アドルフ」
「ああ、悪いセド――ザカリアス、ほんとごめんな――でもホラ、アレが気になって」
 チェンバースがアレと言って指さした方向をセドリックが向き、つられて名前とザカリアスも顔を向けた。クィディッチ・ピッチの入り口の方から、誰かが歩いてきていた。大柄で、はっきりとは解らないが、どうやらスリザリン生のようだった。
「……マーカス・フリント?」側に来ていたキーパーのマホニーがそう呟いた。

 五人の視線が自分の方を向いているのに気が付いたフリントは、そのまま此方に手を振って合図し、誰かを呼んだようだった。代表して、キャプテンのセドリックが飛んでいった後、残された選手達は顔を見合わせた。
「――いったいフリントが俺達に何の用なんだ?」マホニーが言った。
「大体想像は付くけどね」
 いつの間にか、名前の後ろにビーターが二人とも来ていた。コベットが訳知り顔でそう言った後、もう一人のビーターのアバンドンもそれに頷いた。チェイサーとキーパー、それにシーカーまでもが持ち場を離れたので、ビーターの役目がなくなったのだ。一体どうやったのか、アバンドンが暴れ続ける球を二つとも、要領よく抱え込んでいる。
 ブラッジャーも選手もいない競技場は、スニッチだけがきらきらと瞬き飛び回っていた。

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