シリウス・ブラックの侵入

 ブラックが校内に侵入した、とスプラウト先生が告げた後、ハッフルパフの談話室は一時騒然となった。ざわめきが走り、一年生達は皆、今にも泣き出してしまいそうになっていた。
 しかし、いち早く事態を察した七年生の監督生達の判断は的確だった。彼らはすぐさま五年、六年の監督生に寝室を見に行かせ、部屋に居た生徒達を残らず連れ出してくるようにと命じた。自分達は下級生を安全に避難させる為に立ち上がり、スプラウト先生の指示を仰いだ。スプラウト先生は五、六年生の監督生達が急いで寝室に繋がるトンネルを駆けていくのを見て七年生の二人に頷いてから、自分は生徒を引率する為にと、まっさきに絵画の穴をくぐった。
 監督生達に追い立てられるように下級生が列を成し、わらわらと談話室を出ていくのを見ながら、名前も立ち上がった。
「シ、シリウス・ブラック……! だ、大丈夫かしら」
 先程まで、名前が禁じられた森に入ったのではないかと疑っていたハンナは血相を変え、顔を青くし、おろおろしながら、あっちを見比べこっちを見比べ言った。
「平気だよ、ハンナ――絶対、大丈夫」
 名前がぎゅっと、彼女の手を握り締めて言うと、ハンナは青い顔だったが「そうよね」と頷いた。


 廊下は思ったほど、混雑していなかった。ハッフルパフ寮が他の寮と近接していないからか、他の寮の生徒が行き交っている事もなく、混乱も起こさずに廊下を進む事が出来た。騒ぎの中心のグリフィンドール寮とも離れている為か、自分達がざわざわしている音以外、騒動らしき音は聞こえない。きっと、スプラウト先生が寮に来なければ、皆何にも気付かずに朝までそのまま過ごしていただろう。
 普段と何も変わらない廊下だったが、絵画をの中をバタバタと忙しなく行き交う絵の具の住人達のおかげで、深刻な雰囲気は揺るぐ事がなかった。
 皆で固まって廊下を移動しながら、名前は隣のハンナを盗み見た。繋いでいる彼女の手は汗びっしょりで、今にも滑り落ちてしまいそうだった。
「先生はグリフィンドール寮がって仰ってたけど……」スーザンが言った。「入ったのかしら」
 寮の中に、という事だ。

 グリフィンドール寮の入り口は肖像画が守っていた。その肖像画に合い言葉を確認してもらい、寮の中に入れるようになっている。一方のハッフルパフ寮の方は静物画で、彼らにはおしゃべりする機能はあっても、それは決まり文句を繰り返しているだけで意思は無く、決まった合い言葉を間違えずに言わねばならかった。
 しかし肖像画が相手なら、多少は交渉する事ができる。名前は以前、新しい合い言葉を聞き損ね、夜中に帰ってきた生徒に対し、見かねた肖像画が寮内に入れたという事を聞いた事があった。――つまりそれは、上手く騙す事も可能という事だ。
 肖像画が守っているのだから、相手が誰なのか判断出来る筈だが、アズカバンを脱獄する事が出来て、尚かつ最高の警戒態勢をしている今のホグワーツに侵入出来る程の魔法使いなら、魔法で変装して騙す事ぐらい出来る筈だ。
 なんにせよ、合い言葉さえ知っていれば、易々と入る事は可能な筈だった。
「いやいや、ブラックはグリフィンドール寮内には入れなかったようです」
 すぐ脇の壁をすり抜け姿を現した、『太った修道士』がそう言った。
「太った婦人――グリフィンドールの寮前を守る、ご婦人の事ですがね――はどうやら、業務を全うしたんだそうです。ブラックは押し入ろうとしたそうですが、太った婦人は合い言葉を知らぬ、奴を通す事を拒みましてね、結果はお聞きの通りだと思いますが……――婦人は滅多切りにされたそうです。彼女自身は上手く逃げ出す事が出来たそうですが、キャンバスはバラバラになってしまったらしい。全てサー・ニコラスに聞いた事ですが――大丈夫、生徒は誰一人として、被害に遭ってはいないそうですよ」
 太った修道士は安心させるようににっこりと頷いて見せ、そこで言葉を句切った。彼は「失礼」と言って、そのまま反対側の壁に抜けていった。他のゴーストや絵画の皆に伝えに行くのだろう。 名前には後ろに居るスーザンが、ホッと溜息をついたのが解った。
 太った修道士が言ったのを聞いていた生徒達の話し声はすぐに列の前後に広がり、次の瞬間には最前列を歩く生徒達にも広がったようだった。
 しかし、彼が飲み込んだ言葉の先はこうだろうと名前は思う――まだ。


「全員、無事に集まれたようじゃの」ダンブルドアが言った。
 着いた大広間には、既にグリフィンドール生達が揃っていた。ハッフルパフ生が全員長テーブルに着いた頃、スリザリン生が現れ、それからすぐにレイブンクロー生も到着した。辺りを見回していたダンブルドアが頷くと、大広間はシンと静まり返った。聞こえるのはマクゴナガル先生とフリットウィック先生が、大広間の扉という扉を閉めている音だけだ。
 ダンブルドアの顔には、いつもの茶目っ気が全く無かった。
「先生方全員で、城の中を隈無く捜索せねばならん。なので皆、此処に泊まってもらう事になった。君達の安全の為じゃ。――監督生達に入り口に立ってもらい、首席の二人には此処の管理を任せる事にしよう。何か不審な事があれば、ただちにわしに知らせるように」
 ゴーストを伝令として使うようにと、ダンブルドアは首席達に向かって言葉を付け足した。言われた監督生、首席が動き出すのを見届けてから彼は大広間から出ていこうとしたが、扉の前でぴたりと足を止めた。
「まだ必要なものがあったのう」
 ダンブルドアはそう言って、くるり、くるりと杖を振った。四つの長テーブルは全て壁際へと飛んでいってぴっちりと整列し、代わりに何百個ものふかふかした紫色の寝袋が現れ床中に敷き詰められた。
「ぐっすりおやすみ」ダンブルドアはそう言い、大広間を後にした。

 ダンブルドアが出ていった後、すぐに大広間はざわめきに包まれた。首席の役割をこなそうとパーシー・ウィーズリーが走り回っていたが、無駄な事だった。生徒達は口々に話し合った。しかし今度は、先程までの困惑の言い合いとは違っていた。
 皆が異口同音に、シリウス・ブラックがどうやってホグワーツに入ったのか、そして今もブラックは城の中に居るのか、その事が至る所で議論された。
 大広間の明かりが消され、皆が渋々と寝袋に入った後も、勿論それは続いた。
「僕らが知らない闇の魔術を使ったんだと思うな」頭の上の方で、アーニーの声が聞こえた。
 寝転んだまま体の向きを変え、名前はアーニーの声がした方を向いた。丁度彼も此方を見ていて、「だってそうじゃないか」と名前に頷いて見せた。
「それ以外、一体どうやって吸魂鬼に見つからずに入ってこられるんだ?」
「お言葉ですけどね」
 少し離れた所から聞こえてきた声は、レイブンクローのパドマ・パチルのものだ。
「ブラックは杖を持ってない筈よ。アズカバンに入った時点で取り上げられてる筈だから」
 周りの皆の視線が、スーザンに集まった。彼女の伯母は魔法省の執行部の部長を務めており、そのおかげでスーザンは魔法省の事情に詳しいからだ。スーザンがパドマにも解るようにこっくりと頷くと、彼女は「ほらね」と得意げに言った。
「でも、マグルのテレビだと、彼は銃のような武器を持っていると言ってたよ」
 アーニーの横に居たジャスティンが言った。「それは杖の事だと思ってたんだけど」
「それに、杖が無くても魔法を使おうと思えば使える筈さ。それこそ闇の魔術で、自分にそういう魔法をかけてたって事も有り得る」アーニーがそう言うと、負けじとパドマも言い返した。
「じゃあ今になって脱獄したのは何故?」
「それに、アズカバンから抜け出せたのに、グリフィンドール寮に入れなかったってのはおかしいぜ」
 彼女の向こうの方からレイブンクロー生の誰かが言った。
「姿現しはホグワーツじゃ出来ない筈だし」
「半端な変装じゃ、ディメンターは騙せないよ」
「移動キーはどうかしら」
「それも無理だ。ホグワーツでは許可が無いと使えないようになってる」
 あちこちから声があがり、終わりのない問答は堂々巡りし、幾度も繰り返された。他の場所でも同じように話し合っていて、そしてそれはどれも、結論が出される事はなかった。

 ダンブルドアが言った通り、先生方は代わる代わるに巡回しているらしく、一時間ごとに違う先生が大広間に入ってきて、異常がないかを確かめていった。人影とゴースト達が一緒に揺らめいているのを見ると、どうやらゴースト達も城中を飛び回っているらしかった。
 ブラックについての議論は段々と静かになっていき、大体の皆が寝静まったのは、結果的に朝方の三時頃だった。
 月明かりに照らされて、すやすやと隣で眠るハンナの顔を眺めてから、名前は寝返りを打った。昼間にうたた寝をしていた為、なかなか寝付くことが難しかった。瞬く星を遮るようにゴーストの真珠色が頭上を通っていった後、名前は遠くから聞こえてくるひそひそ声に気が付いた。
 耳を澄ましてみても生徒達の出すいびきやら何やらの音ではっきりと聞き取る事は出来なかったが、それがダンブルドアと、パーシー・ウィーズリーの話し声である事を名前は聞き分けた。
「ダンブルドア先生、太った婦人はどうなりましたか?」
「おう、大丈夫じゃよ。彼女は三階のアーガイルシャーの地図の絵に隠れておった。今は気が動転しておるが、落ち着けばフィルチが絵を修復できるじゃろう。グリフィンドールの門番には臨時の者を見つけておいたから、明日には皆、寮に移動できるじゃろうて」
 ダンブルドアがそう言った後、大広間の扉が開かれた音がした。「校長ですか?」と聞いた足音の主は、スネイプだった。薄目で彼らの方を覗いていた名前には、ダンブルドアが頷いたように見えた。そして追加されたシルエットは、まさしくスネイプだった。
 実際ダンブルドアは頷いていたらしく、スネイプ先生は言葉を続けた。
「四階、天文台、占い学の教室、全て捜しましたがヤツはおりませんでした。更にフィルチが地下牢を全て捜索しましたが、そこにも何もなしです」
「ふむ、そうか。ご苦労じゃったのうセブルス、ありがとう。わしも、ブラックがいつまでも校内に居るとは思っておらなんだよ」
 その後もスネイプが何か言ったようだったが、更に低く、小さな声で言ったので、名前には彼らの会話を聞き取る事はできなかった。しかしダンブルドアの返事だけは、しっかりと聞き取る事ができた。
「わしは、この城の内部の者が彼の手引きをしたとは考えておらんよ」

 その後、ダンブルドアはパーシーと二言三言会話をした後、大広間を出ていった。スネイプもそれに続き、取り残されたパーシーはまだ続いているお喋りを止めようと歩いていった。
 名前が途切れ途切れに聞いた彼らの言葉を繋ぎ合わせて解った事は、ブラックがまんまとホグワーツ城内から逃げおおせたという事だった。スネイプはどうやら、ホグワーツ内の誰かがブラックを手引きして城に侵入させたと考えているようだが、ダンブルドアが否定したので、名前も考えていたその考えを、候補から外した。
 誰かが手引きするぐらいじゃないと、城に入ることすら出来ないだろう。
 名前はそう思っていたのだが、もしそうなら寮の合い言葉も一緒に教えただろうし、グリフィンドール寮に侵入しようとしたことも、わざわざハロウィーンの宴会で人が居ないと解っている寮塔に入ろうとしたのか、その理由が解らない。回らない頭でぼんやりと考えながら、名前は朝まで過ごした。

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