借り物の箒、借り物のインク壺

 名前の詰まったスケジュールを詳しく知って、一番不満そうな顔をしたのは本人である名前ではなく、実はハンナだった。
 彼女は名前がクィディッチ選手に選ばれてから、益々一緒に居る時間が減ったと言い、名前が禁じられた森の近くに住み着いた黒い犬(勿論、本当は『森の近く』ではなく『森の中』に住んでいるのだという事は言っていない)の面倒を見始めた事を知ると、大袈裟に溜息をついて、恨みがましい目をして名前の方を見た。

 ハンナとは授業が殆ど一緒ではあったが、最近は本当にそれだけだったのだ。大抵名前は彼女よりも先に寮を出て、ベッドに着くのは彼女よりも後なので、朝夕に顔を合わすことも無かった。
 食事の時間は一緒に居るじゃない、と名前が言うと、そうかしら?、とハンナは言って、名前の方をちらりと見た。その時に名前が目を逸らしたのは、名前が例えハンナの隣に座っていたとしても、他の誰かも一緒に居る時の方が断然多いからだ。
 例えば、シェーマス・フィネガンだ。シリウス・ブラックが近くで目撃されたという記事が日刊予言者新聞に載った時、たまたま購読してはいるけど読んでいないからと言い、詳細が知りたくてウズウズしているシェーマスに、名前がその記事が載っている新聞をあげた事があった。それ以後、実は名前が予言者のクロスワードパズルにしか興味が無い事を知った彼は、度々予言者新聞を貰いに来るようになった。最近では彼は、名前に今日の新聞の見出しについての意見を述べながら、ハッフルパフの机で食べていく事もあるようになった。
 あるいは、ハッフルパフのクィディッチ・チームのメンバー達だ。最近名前の周りにはクィディッチチームの面々が揃うようになり、がやがやとプロ試合の事についてやら、練習メニューについてやらを喋り合っているようになった。朝も昼も夜もそれは続く事もあり、おかげで話した事もなかったような上級生達とも話せるようになったし、授業中ぐらいしか接点の無かったザカリアス・スミスとも、今では軽口を叩き合える仲になった程だった。しかし、クィディッチを知らないわけではないけれど、話に入れる訳でもなく、ただ名前の隣で座っているだけのハンナにとっては面白くもなかったのだろう。

 毎回がそうだという訳ではないが、前のように二人でお喋りをしている時間が少なくなっていたのは事実だった。今のように、授業が始まる前に少しだけ話をする、それぐらいしか彼女と一緒にお喋りできる時間はなかった。ハンナが拗ねているらしいと知って名前は嬉しくなったが、彼女の様子を見てそうとばかりは言っていられないとも思った。
 若干ふくれているハンナを横目でちらりと見てから、名前は口を開いた。
「でもねえ、あたしがブラッジャーと正面衝突したって聞いて、耳引っ張って怒ってくれる友達はハンナだけだよ」
 今名前の顔には、すぐにマダム・ポンフリーに看て貰った為に痛みこそなかったものの、青痣がうっすらと残っていた。昨日のクィディッチの練習で、避けきれなかったブラッジャーに当たったのだ。それに加えてハンナに耳を引きちぎるのではないだろうかというほどぎゅーっと引っ張られ心配されたので、昨日の名前は目の上に青痣を作り、左耳が真っ赤に腫れ上がっているという、なんとも情けない格好だった。耳の赤味は引いたが、暴れ玉の贈り物はまだ完全に消えてはいなかった。
「そうでしょうね」ハンナが素っ気なく言った。
「そうですよ。それにね、やり損ねた魔法薬学のレポートを、仕方ないわって言って写させてくれるのも、ハンナだけだよ」
 未だにふくれっ面をして見せているハンナに笑いながらそう言うと、彼女は「もしかして、この間貰った分がまだ終わっていなかったの?」と仰天した。
「終わってないどころか手を付けてすらないよ――ごめん嘘、最初のタイトルだけは書いた」
 ハンナの表情を見て名前は言葉を付け足したが、あまり効果は無かった。言いはしなかったが、そのタイトルも呪文学の授業中に書き足したものだったので、適当なものだった。そんな状態でスネイプ先生に提出したら、きっと一ヶ月間は地下牢教室の床を魔法無しで磨かされるに違いないというものだ。

 ハンナが更に顔をしかめたのは、今から魔法史の次が、まさにその魔法薬学だったからだ。「……仕方ないわね」と、そう言ってからハンナは机の下に置いてある自分の鞄を漁り、本日が提出日である薬学のレポートを名前に渡してくれた。魔法薬の効能とその用途についてきっちりと書かれている羊皮紙を受け取って、名前は笑顔でハンナに言った。
「ありがとう、ハンナ。あと、後で授業のノートも見せてくれると嬉しいんだけど」
「もう、名前ったら!」
 とても良いタイミングで、ビンズ先生が教室に入ってきた。勿論いつものように、ドアからでなく黒板をすり抜けてだ。ハンナは口では怒ったものの、きっと授業内容を綴った羊皮紙も見せてくれるに違いない。魔法史の教科書の影に置いた、魔法薬学のレポート二枚を見つめながら、名前は一人で笑った。

 スネイプ先生のレポートは魔法史の授業時間内ギリギリに、及第点を取れるぐらいには何とか誤魔化せる事が出来た。これがOWLだったら落第だったかもしれないが、普段のレポートなのだから完璧だ。それの元がハンナの書いた、生真面目なレポートなのだから当然だろう。
 言い回しを変えたり、小難しい文章を引用してある部分は名前・名字のレポートらしく省き、完成させたレポートだ。きっと、スネイプ先生はすぐにハンナ・アボットのものを写したのだろうと見抜くだろう。しかし、お気に入りの名前・名字の居る授業ではハンナに矛先が向く事はないだろうし、そもそも名前がハンナのものを写したという証拠をスネイプは持っていないのだから、構わないはずだ。レポートを点検している時に陰鬱な視線が名前の方に飛んできたが、そのぐらい名前は慣れっ子だった。
 それに、レポートを授業中に必死に仕上げた事によって、思わぬ良いことがあった。それはハンナが名前が珍しく宿題に追われているのを見て、それ以上何も言わなくなった事だ。名前が宿題を、しかもスネイプ先生のをほっぽり出すぐらい、忙しくしているのだという事を解ってくれたらしい。それどころか逆に、名前が大好きな本を読む暇もない程に時間を削られているのだとも気が付いたハンナは、多少授業でうつらうつらしていても、小言も無しに優しく起こしてくれるようになった。
「ああ、これだからハンナって好き」
 名前が一人で笑っていると、一緒に薬を調合していたアンソニーは不思議そうな顔をした。彼は名前を一人で調合させると何が起こるか解らないからと、薬学の時はいつも組を組んでくれるのだが、名前がいつにもましてテキパキと動くので、疑問を抱いていたらしい。
「何か良いことがあったのかい?」
 スネイプ先生に気付かれないように、アンソニーは小さな声で名前に聞いた。
「何でもないよ。ただ、良い友達に恵まれて幸せだなあって。――勿論、アンソニーもね」
 名前が何故機嫌が良いのかは、それだけでは解らないだろう。しかしながら彼は、照れを隠すように少しだけ頭を掻いた。


 ある日の午後、クィディッチの練習の後、名前はセドリックに声をかけられた。
 空は雨こそ降っていなかったものの曇り空、そんな日だった。十月も終わりに近付いてきて、ますます雨が多くなってきていた。最後に青空を見たのはいつだっただろう。明日は晴れるだろうかと思ってピッチに降り立ち、ぼんやりとしていた名前は、セドリックが自分に声をかけているという事に、暫くの間気が付かなかった。
「名前、今日の飛びっぷりは良かったよ」
 自分と同じカナリア・イエローのユニフォームに身を包み、汗を滴らせているセドリックを見ながら、自分も同じような有様なのかなと名前は思った。
「ありがとう、セドリック」
 自分でも、今日はなかなか良かったと自賛していた。キーパーのマホニーの手を二度も連続ですり抜け、ゴールさせる事が出来たのは初めてだった。マホニーも自分がクアッフルを取り損ねた事をほっぽり出して、まるで自分の事のように嬉しがってくれたし、あのザカリアスすら名前を褒めてくれたぐらいだった。
 名前が笑顔でそう言うと、セドリックも微笑んだ。

「そう言えばそうと名前、まだ自分の箒を買っていないようだけど……大丈夫かい? 僕らの初試合は十二月だけど、それまでに買えそうかい? 注文した?」
 セドリックがわざとらしく、名前の右手に握られていた学校の備品の、流れ星を見遣ってから言った。名前は練習中は、貸し出しされた流れ星を使うことにしていたのだ。
 ああ、最初からそれが聞きたかったのだな、と名前は思ったけれど、セドリックはチームのキャプテンだし、選手の心配をするのももっともだなと思ったので、名前は小さく感じたガッカリを顔に出さなかった。
「ううん。まだ注文はしてないの。でも大丈夫だよ。レイブンクロー戦の時は、ジョージに箒を貸してもらえることになったから」
「ジョージ……――双子のウィーズリー? グリフィンドールの?」一瞬、セドリックが不可解な表情を浮かべたような気がしたが、それが一体何なのか名前にはよく解らなかった。
「うん。グリフィンドールと当たる時以外は貸してくれるって」
「……そうか、なら良いんだよ。レイブンクロー戦の時には貸してもらえるんだね? うん、それなら良いんだ――けど名前、やっぱり自分用の箒を買うべきだよ。人の箒だと、その人の癖がついているし、これから毎回貸してもらう訳にはいかないだろう? なんなら、僕の持ってるカタログを貸すけど」
「ありがとう、セドリック。うん、その内買おうと思って、今お小遣い貯めてるのよ。だからカタログは良いや、ありがと――ああそれに、中古のを買おうと思ってるしね」
 名前がにっこりして言うと、セドリックは驚きの表情を浮かべた。
「中古だって? 箒を買ってもらえないのかい?」
「さあ……どうだろう、買って欲しいって言ってないし。そもそもクィディッチメンバーになった事だってまだ言ってないし……。まあ今節約中だから、遅くても、グリフィンドールとやるまでには買えるんじゃないかな」
 休暇中にホグワーツに残っている事ぐらいしか知らないセドリックは、名前の言った事を上手く掴めないらしく、まだ不思議そうな顔をしていた。名前には実の父親でもない名付け親に、高価な箒まで買ってもらう事なんてどうしても考えられなかったのだ。しかも彼に、それこそ子供のように箒をねだるなんて、名前の僅かに残った自尊心が許さなかった。
 必要だろうから、と半ば無理矢理渡されているお小遣いを後数ヶ月、必需品を買う事以外に使わなかったら、中古の箒なら買う事ができる筈だった。名前は毎月買っていた月刊クィディッチだって買っていなかったし、羊皮紙だって羽ペンだって切り詰めて使っていた。
「聞いてくれよセドリック、名前の奴、節約してるからとか言って、勝手に人のインク壺に羽ペンを突っ込むんだぜ。でも、あれは絶対自分のを出すのが面倒臭かっただけだ!」ひょいと顔を出したザカリアスが、セドリックにそう訴えた。
「そんな事ないよザカリアス。それにね、たかがインクよ。良いじゃないちょっとぐらい。自分で新しく買うと、結構無駄遣いしちゃうからさ」
「だったらアボットにでも借りれば良いじゃないか。最近やけに僕の隣に座ると思ったら!」
「毎回ハンナに借りたら悪いじゃない」
「僕は良いのかよ!」

 名前とザカリアスがぎゃいぎゃいと喚き合って(もっとも、喚いているのは専らザカリアスなのだけど。名前はどちらかと言えば、アッサリと受け流している)クィディッチ・ピッチから出ていった後、不意に、此方を見つめていたもう一人のチェイサーと目が合った。
「セド、おまえ顔怖いぞ」
 チェンバースにそう言われ、初めてセドリックは自分の眉間に皺が寄っている事に気が付いた。

[ 573/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -