アーニーからの誘い

 名前はルーピン先生の部屋からハッフルパフ寮へと戻る間に、たちの悪いポルターガイストに会わなかった幸運に感謝した。絵画の中の住人達が何処の絵画の誰と入れ替わっていたりお喋りしていたり、鎧が気さくに挨拶してきている事にも気付かない今の名前の状態では、ピーブズをいつものように追い返す事も出来なかっただろうからだ。
 いつの間にか厨房の入り口である果物の入った籠の描いてある絵の前に辿り着いていた。名前はいつものように、ハッフルパフ寮への入り口をくぐる。
 トンネルを通り抜けた先にあるのは、いつもと変わらぬハッフルパフの談話室だった。ふかふかした肘掛け椅子、黄色い絨毯、こっそりと主張されている黒い穴熊。――変わった事があるとすれば、今年の新入生達がこのホグワーツに馴染んできたらしいという事ぐらいだろう。飛行訓練が始まるらしく、掲示板の前でざわめいている一年生達を見ながら、名前はそう結論付けた。まったく、いつも通りだ。
 談話室には、午前中に出された薬草学のレポートを広げたハンナと、同じようにレポート――こちらは変身術だ――を広げたアーニーが居た。名前が帰って来た事に気付いたハンナは、ルーピン先生に何を言われたのかと聞いた。この間の授業の事を少し喋っただけだ、と名前が告げると、一瞬の間を空けて、ハンナは今日の夕食の事を気にし出した。

 一瞬の間――その僅かな時間で、ハンナが隣に座っていたアーニーと目配せし合ったのを名前は目撃した。
 どうやら、私の前では吸魂鬼の事はタブーになっているのだな、と、名前は察した。朝食の時にも丁度この間の闇の魔術に対する防衛術の話題に上がり、いつもやり込められてる仕返しにと名前を吸魂鬼に変身したまね妖怪の事でからかおうとしたザカリアス・スミスを、スーザンが睨んで黙らせたのを名前は見ていた。その後、奇妙に話題が逸れていった。あの違和感は、彼らの暖かな思いやりの証だった。
 心なしか上気した気持ちを胸に、名前はハンナの隣に座り、彼女らに倣って自分のレポートを取り出した。まずは、厄介な薬草学から済ませてしまおう。


 再び始まったホグワーツでの生活はあっという間に過ぎていった。僅かに残っていた夏の面影は完全に消え去り、肌寒い十月になった。
 ホグワーツは相変わらず刺激的で、相変わらず楽しかった。名前が変身術と魔法生物飼育学だけを生き甲斐にしているのも、呪文学や魔法史が苦手なのも相変わらずだ。
 今年から、その苦手な方の科目に、闇の魔術に対する防衛術もプラスされた。元から防衛術は得意な方ではなかったのに、更に苦手意識を持ってしまった。無論、ルーピン先生は去年のロックハートより、百倍は良い先生だと周りの皆は思っているし、もちろん名前もそう思っている。だがどうにも名前には、初回の吸魂鬼の事が頭にちらついてしまうのだ。ルーピン先生が名前と一度たりとも目を合わせなくなった、というのも要因の一つかもしれない。まあそれは、名前の思い違いかもしれないし、授業中いつでも机に突っ伏して講義を禄に聴いていないせいかもしれないが。ルーピン先生の授業は実に為になるが、幻の生物とその生息地の愛読者である名前にとってしてみれば、退屈極まりない一時間だった。
「なあ名前、君はどうする?」
「え、何? 暴れ柳の威力がどのくらいなのか試しに行こうって?」
 名前が聞き返すと、名前に聞いたアーニーではなく、隣のハンナがぎろっと名前を睨んだ。冗談だよと返していると、アーニーまで呆れ顔で名前を見ていた。
「違うよ――それに、暴れ柳なんて見に行かないぞ。あれには近付いちゃいけないって校則があるんだからね――ホグズミードさ」アーニーの目は、きらきらと輝いていた。
 放課後の談話室は授業を終えた生徒で溢れていた。皆考える事は同じようで、友達同士、集まって出された課題をこなしていた。名前もハンナと、それからアーニー、スーザン、ジャスティンと一緒にテーブルを囲み、フリットウィックからのレポートを書いていた。――物質出現の理論について。真面目なハンナや、元から呪文学が好きなスーザンは様々な資料を掻き集めて例を示したり、偉い学者からの論文を引用したりしていたが、名前は何かを出現させる適当な呪文を書いて終わるだけにしようとしていた。
「ほら、掲示板に貼ってあっただろう? 見なかったのかい?」
 ジャスティンに言われて、名前は今日の朝方、掲示板の周りに出来ていた人だかりの事を思いだした。名前はそれほど人だかりに感心が沸かなかったし、わざわざ今行かなくても後で人の波が引いた後に見れるだろうと思い、何が張り出されていたのかを確認していなかった。そういえば、結局何の知らせだったのかを今になってもまだ見ていない。
 アーニーの言葉から察するに、今年初のホグズミード村行きの日付が発表されたのだろう。もちろん、名前にとっては初めてのホグズミードだ。
「ホグズミード? いつ?」
「ハロウィーンの日よ。三週間後の土曜日」
 名前が聞くと、スーザンが答えてくれた。心なしか彼女の声も弾んでいたようだった。

 そういえば昨日の薬草学の授業で、保護者がサインしたホグズミードへの外出許可証を、ハロウィーンまでに自分に提出するようにとスプラウト先生が言っていた。今年から外出の許可証を提出しなければならないという事は、今年から外出が許可されるという事だ。つまり、ホグズミード村へ行くことができる。
「ねえ、ホグズミードって何があるんだい? そんなに楽しいの?」
 そう尋ねたジャスティンはマグル生まれだった。もちろん、彼はホグズミードについて何も知らない。しかし、どうやらホグズミードがどんな所なのかということよりも、行った事がある上級生達だけでに限らず、行った事のない筈の同級生達までソワソワとしている事の方が、より不思議でならないようだった。
「何でもさ」アーニーが胸を張った。
「お菓子屋のハニーデュークス、ゾンコの悪戯専門店、郵便局もあるし、三本の箒なんて凄いんだ。あそこの料理はいつでも美味しい! ――僕、前に父さん達と一緒にホグズミードに遊びに行った事があるんだ。本っ当に何でもあった!」
「マダム・パディフットの店を忘れちゃ駄目よ!」スーザンが嬉々として言う。
「それに、叫びの屋敷だ! 質の悪い幽霊が住み着いてるんだって!」
 ハンナが息を呑んだ。上級生達が度々おどかしてくるその叫びの屋敷については、本当に出るという噂なのだ。マグル生まれの子達は、此処にだってゴーストはたくさん居るじゃないかと笑うが(実際、ジャスティンはそれほど怖がらなかった)、魔法族の子の中には、本当に何か悪いものに取り憑かれるんじゃないかと信じている子も居る。
「へえー……」ジャスティンはホグズミードにというより、他の人達からの情報だけで興奮している皆に感心していた。
 名前以外の皆はわいわいと、ホグズミード行きの計画を話していた。

「僕ら、全部回ろうって事にしたんだ。名前も一緒に行くだろ?」
 ホグズミードの話を一通りし終えた後、思い出したようにアーニーが再び名前に聞いた。
「あたし、行かないよ」
 名前が言うと、四人はシンとした。それまでのおしゃべりが嘘のように静かになった。勿論他のテーブルではお喋りは続いていたのだけれど、名前達の周りだけはシーンと静まり返った。ハンナ達の目が集まっているのを感じながら、名前はフリットウィックのレポートの書き連ねられた呪文の一番下に、オーキデウスと大雑把に書き足した。――あれも花を出現させる呪文なのだから、物質出現の理論が関係してくる類のモノに間違いないだろう。
 困ったな、この沈黙――名前はそんな事を微塵も感じさせぬよう、いつもの様にレポートをくるくると巻き、先日図書室から借りてきた、『スペルマンのすっきり音節』を読もうと鞄の中を漁った。スリザリンのセオドール・ノットが、読み終わったら次に借してくれと言っていたので、早めに読まなければならないと思っていたのだ。ルーン文字専門家のスペルマンの本を借りたいという事は、ノットも名前と同じく古代ルーン文字学を取っているのかもしれない。
 古代ルーン文字学の授業では、名前の隣に居るアーニーとスリザリンのマルフォイが、関わり合いになりたくないと願ってしまう程に啀み合っている事と、名前自身がバブリング先生の言っている事しか聴いていないせいで、名前はハッフルパフはおろか、スリザリンに誰が居たのかなんて、覚えちゃいなかった。ただ、ルーン文字の授業でアーニーの機嫌がすこぶる悪い時には、ノットの所に入れてもらおう、そう思った。彼は大抵一人でいるから、哀れなハッフルパフ生を快く迎え入れてくれるに違いない。
「アー……名前? 行かないってどういうことだい?」
 名前がスペルマンのすっきり音節を丸々2ページ読むか読まないかの内に、皆を代表してアーニーがそう聞いた。
「どういう事って……そのまんまの意味だけど?」
 スペルマンから目も上げずに、名前は言った。目をスペルマンから外さないままでも、名前にはハンナとスーザンが、そしてアーニーとジャスティンが目を見交わしたのが解った。
「だってわざわざホグズミードの方まで行くのも面倒だし、それにそれって今年初日のでしょ? 混むじゃない。一番人の多い時に、わざわざ行きたいなんて思わないよ――人混み嫌いだしね」
 名前の適当な言い分に、みんな首を傾げていたが、最初にスーザンがハッとして気付いて、「そうね、わざわざ行く必要はないわね」と相槌を打った。みんな暫くすると、名前の真意に気付いたらしく、それ以上何も言わなかった。
 ――吸魂鬼に会って気絶しない自信が、名前には既に無くなっていた。
 要は、吸魂鬼に会わなければ良いのだ。ホグズミードなんて……別に今行かなくても、あと四年ある。あの吸魂鬼はシリウス・ブラックがホグワーツに危害を加えないために配備されているのだろうから、脱獄犯が再び囚人に戻ってからいくらでも行ける筈だ。
 名前は何かを待ったり、我慢したりする事は得意だった。

 行きたくないわけではないのだ。家庭の事情もあってあまり買い物は好きではないが、それでも誰かと一緒に店を回るのは楽しいだろう。幽霊屋敷なんて素敵じゃないか、ちょっぴり呪われてみるのも悪くない。それに何より、友達と一緒に街を歩くなんて最高だ。
 名前はあまり、誰かと一緒に出掛けた経験がなかった。用心深い性格だったことと、シングルファザーだったこともあって、父親とどこかに出掛けた記憶は無いに等しい。あるとすればクラッブの家に遊びに行ったことくらいだろう。それでも年に数回あるかないかだ。父親の死後、引き取ってくれた名付け親もそれに同じだった。――今年の夏、ハンナと一緒に学用品を買いに行ったのが、もしかして初の『お出掛け』だったんじゃないか? 恐ろしい話だ。二人で食べたアイスクリームはとてもおいしかった。
「名前、ハニーデュークスのお菓子、いっぱい買ってきてあげるわ。好きでしょう? ハニーデュークス」ハンナがにっこりして、名前に言った。
「ん、ありがと。板チョコお願いね」


 アーニーが黙って此方を見詰め続けているのが名前には解っていた。もしかしたら彼は、名前が吸魂鬼に会うのが嫌で、ホグズミードに行かないという事を察しきれなかったのかもしれない。名前は恥を忍んで、アーニーにその事を説明しようと思い、口を開こうとした。
 しかし、アーニーの方が口を開くのが早かった。
「名前、一緒にクィディッチの選抜を受けないかい?」

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