魔法生物飼育学

 名付け親から届いた、論文のように長い手紙をやっとの事で読み終えた名前は、大雑把に折り畳むと、そのままローブの内ポケットに仕舞い込んだ。こんなに長い手紙を貰ったのは、夏休みにハーマイオニーから送られてきた時以来だ。フランス旅行の感想やら何やらを大量に綴ってあったあの手紙も、他の梟よりも一回りほど大きいデメテルが運んでも見劣りしないほどの大きさだったが、今度の羊皮紙も相当な重さだった。
 どうして知ったのか(おそらく、寮監のスプラウト先生か、校長のダンブルドアが手紙を書いたのだろうが)、名付け親は名前が闇の魔術に対する防衛術の授業の最中、うっかり気絶したという事を知ったらしい。
 フー、と、長い溜息を漏らした名前を見て、ハンナが言った。ナールの事で大笑いした名前を先程までぷりぷりと怒っていたハンナは、ようやく口を利いてくれる気になったようだ。
「随分と長い手紙だったじゃない。いつものじゃなかったの?」
 名前は頷いた。

 名前が朝方、授業が始まる前に読む手紙の種類は実に様々だった。名前は月刊クィディッチの梟便通信を利用していたし、日刊予言者新聞も購読していた。同じホグワーツに居るのに手紙を出し合う友達も居て(寮の違う友達なんて、まさにそうだ)、つい昨日もそれが届いたばかりだった。名付け親も去年、毎週のように手紙を出していた。この場合のいつもの手紙とは、この名付け親からの手紙を指すのだろう。もっとも、今日届いたそれは定期的なものではない。
「ま、親からなんだけどね。授業中も気を付けていなさいって。油断大敵って四回は書いてあったわ」
「ふうん」ハンナが訳知り顔でそう声を漏らした。
「心配されているのね、名前は」
「そうかな。あの人が心配性なだけでしょ」名前が言うのを聞いて、ハンナは微笑んだ。
「そういうのを、心配されてるって言うのよ」
 名前は釈然としない気持ちのまま、ハンナに頷き返した。


「皆さんはこれまで、物を別の物に変えるようにと学んできました。マッチを針へ、大鍋を木箱へ。今学期からは、生き物を他の物へと変える術を学んでゆきましょう。私は、皆さんがそれの基準へと達していると思います」マクゴナガル先生はそこで一旦区切り、ひゅっと姿を消してみせた。ポンという軽い音が聞こえた時、先生の立っていた所には一匹の虎猫が居た。目の周りに、先生が掛けていた眼鏡と同じような模様のある、とても綺麗な猫だ。
 マクゴナガル先生が猫へと変身したのだ。ハッフルパフの皆は夢中になって拍手をし、誰かはヒューッと口笛を吹いた。
「ありがとう」元の姿に戻ったマクゴナガル先生が言った。
「――まずは無脊椎動物を別の物へと変える事から始めましょう」
 マクゴナガル先生が杖を振ると、皆の前に一斉にカタツムリが現れた。
「やり方は学んでいる筈ですね。それでは、やってみなさい」

 変身術の授業は、これまでと同じく楽しかった。名前はマクゴナガル先生の説明した動物もどきの事を一言一句聞き漏らさなかったし、今現在魔法省に登録されている動物もどき達のフルネームですら言えるほどだった。変身術だけは、名前が眠気を一切感じない唯一の授業なのだ。もっとも、動物もどきのことをしっかりと記憶したことに関しては、変身術が得意科目だからというだけではないのだが。
 結局、授業終了のベルが鳴った時に、カタツムリを動きもせず、割れもせず、引っ込みもしないインク壺に変える事が出来たのは名前だけだった。ハンナのインク壺はのっそりのそりと辺りを這いずり回ったし、アーニーは何とかカタツムリをインク壺の形に変身させ留める事に成功したが、握った途端に瓶がぐしゃりと割れてしまった。
 マクゴナガル先生に五点を貰って、ほくほく顔の名前を恨めしそうに見ながら、アーニーが言った。
「君、本当にムラッ気がありすぎるぞ」
 魔法史じゃいつも寝てるクセに、と呟いているアーニーに、名前はにんまりと笑ってみせた。


 変身術の後は校庭に移動した。名前が待ちに待った「魔法生物飼育学」の授業だった。
 禁じられた森の端、小屋の前でハグリッドが立っていた。辺りには青いネクタイを締めた生徒が何人も居た。どうやら、魔法生物飼育学は、ハッフルパフとレイブンクローの合同授業らしい。
 名前がその事を言うと、ハンナは掲示板を見ていなかったの?と片眉を吊り上げた。
「これだと、グリフィンドールとスリザリンが合同なんだね。大変そう」
「そうかしら。スリザリンと一緒にやらない幸運に感謝したいわ」
 名前の呟きに返事をしたスーザンは、どうやらスリザリンが気に食わないらしい。名前も「そうかもね」と返事をした。

「みんな揃っちょるな」ハグリッドが言った。
 名前は彼に、なんとなく違和感を感じた。ハグリッドはこんなに、覇気の無い喋り方をする人だっただろうか? いつでも快活に笑っていたハグリッドから、いつもの生気が抜けているような気がしてならなかった。
「先生、この教科書はどう開くのですか?」
 レイブンクローのマンディ・ブロックルハーストが、ハグリッドに尋ねた。彼女の手には、細長い革紐で雁字搦めにされた本が抱えられている。怪物的な怪物の本だ。紐を引き千切ろうと暴れているが、よほどしっかりと縛られているのか、怪物本は不機嫌そうに歯のように尖った本の頁を剥き出すだけだった。マンディは、純粋にそう聞いていた。
 ハグリッドは奇妙にぽかんとしてから答えた。
「ああ……そいつは背表紙を撫ぜりゃ良いんだ。背表紙だ」
 先程と同じく、ハグリッドの声にはやはり覇気がない。
 生徒達は皆、各々怪物本の背表紙を擦った。名前も言われた通りに、怪物本の背表紙をスーっと撫で上げた。するとどうだろう、夏の終わりに購入してからずっと開かせようと努力していたのが嘘のように、怪物本はすぐに大人しくなった。ギャンギャンと暴れていたのに。名前は嬉しくなって、すぐさまブロッツ書店で巻いてもらった細くて黒くて頑丈な革紐をほどいた。以前はほどいた途端に噛み付かんとしていた怪物的な怪物の本は、心なしか、名前に有る筈の無い尻尾を振っているかのように見えた。
「コレ、やっぱり、超素敵」
 惚れ惚れしながら呟くと、怪物本は名前の腕にすうっと本体を擦りつけた。動物に例えるなら、頬擦りをしているというところだろうか? 周りの生徒が全員怪物的な怪物の本を開き終わるのを見届けたハグリッドは、静かに口を開いた。
「今日やるのは、アー……レタス食い虫だ。こっちの木箱の中に入っちょる。取りに来いや。一人一匹は有る筈だ――全員、レタス喰い虫を取ったな? じゃあ始めろ。全部教科書の中に載っちょる」
 みんな目の前のレタス食い虫を見ながら、キョトンとした。
「えーと、……先生? 何をするんですか?」マイケル・コーナーがおずおずとハグリッドに聞いた。
「ン? アー、そうだな。どれ。怪物本に書いてあるな? レタス喰い虫は野菜を何でも食べるが、特にレタスが好き、頭がどちらなのか解っていない、頭と尻の両端から粘液を出す。全部ホントの事なのか確かめてみろ。特に、頭と尻がどっちなのか、だな。解りゃ、マーリン勲章が貰える筈だ」
 ハグリッドはそう言ったきり、心ここにあらずという風に黙り込んでしまった。
 みんなが怪物本のレタス食い虫が載っているページを探し、バラバラと教科書を捲っている中、名前は一人レタス食い虫を突っついていた。確かにハグリッドが言った通り、指でちょんと突いた瞬間、褐色の胴体の両端からはどろりとした粘液が分泌された。名前の右手がレタス食い虫の粘液でねとねとになっているのを見て、ハンナが小さく溜息をこぼした。

「退屈な授業だった、そう思わないかい?」
 授業終了のベルが鳴った後、城に向かう最中、名前の肩にぽんと手を置いてアンソニーが言った。
「そう? すっごく面白かったじゃない? ね?」
 名前が言いながら、ローブのポケットをごそごそと漁り、どろりとした粘液の入った小瓶を取り出した。
 授業中に、こっそりと近くにあった石を瓶に変え、レタス食い虫の粘液を集めておいたのだ。構い過ぎたせいか、名前に渡されたレタス食い虫はハンナ達のそれと比べて若干元気がなかったが、それでも名前は満足だった。
 もしかして魔法薬学の地下牢教室を貸して貰えれば、もしかするとレタス食い虫から集めた粘液に、魔法薬強化の他にも使い道が見つかるかもしれない。最近スネイプ先生のご機嫌がすこぶる悪いのだという事を今になって思い出したが、土下座して頼み込めば何とか貸して貰える可能性だってあるだろう。
 満杯の粘液でたぷたぷいっている小瓶を振てみせると、アンソニーの頬がひくりと動いた気がした。
「レタス食い虫ってとってもキュートだし、とっても有益だわ! アンソニーもそう思うでしょ?」
 横にいるハンナがうんざりとした様子で頷いて見せると、彼はぎこちなくも「ああ」と言って微笑んだ。
「貴方、一生ボーイフレンドできないわよ」
 アンソニーがレイブンクローの友達と行ってしまった後、ハンナが名前に言った。本気で心配してくれているらしく、熱心な口振りだった。いう事を聞かない子どもを躾けようとしているような声音だ。
「そう?」
「そうよ。私、嫌よ。親友の恋人がドラゴンだなんて」
 ――それも良いな。噂に聞いているロン達のお兄さんに、ドラゴン関係の仕事を紹介してもらえたら、それほどハッピーな事はないだろうな。と、ハンナの心配をよそに、名前は別の事を考えていた。
 返事をしない名前にハンナは不安になったらしく、急いで言った。
「冗談よ、名前。冗談だったら!」名前はクスクスと笑った。

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