ネビルのばあちゃん、ハンナのおかあさん

「……だからやめておけば良かったのよ」赤く腫れた名前の右手を見ながら、ハンナは呆れたようにそう言い放った。
「でも、とってもキュートだよ!」
 名前がうっとりとしながら自分の鞄をポンと叩くと、ハンナは考えられないとでも言う風に目を逸らした。名前の『物がいくらでも詰め込める鞄』の中には、先程買ったばかりの、革紐でグルグルに縛ってもらった『怪物的な怪物の本』が入っていた。
 怪物的な怪物の本は牙こそ無いものの、名前の右手に大きな歯形の様な噛み痕を残していた。手袋をしていたにも関わらず、そこだけ真っ赤になって腫れている。しかし名前にはそれが痛くも痒くもなかったし、逆にそれは、これからの怪物の本との付き合い方を見直す為の、重要な材料となっていた。
 きっとアレは、何か別の方法でやらないといけないんだな。毎回噛み付かれるのは嫌だもんね。

「ロングボトム?」
 ハンナの怪訝そうな呟きを聞いて、名前は怪物的な本の為の考慮を一旦中断した。彼女が見詰めていた方を見ると、確かにそこには、グリフィンドールのネビル・ロングボトムが居た。しかしそのネビルは普段の様子と違い、何やらめそめそしているようだった。
 フローリシュ・アンド・ブロッツ書店の店先にいたネビルは、小柄な老人と一緒だった。多分、彼の祖母じゃないだろうか。ネビルの祖母らしきその老婦人は、深緑色のドレスを着て、手に赤いハンドバッグをぶら下げていた。おまけに頭の上にはハゲタカの剥製のついた帽子を乗せている。随分と個性的なおばあちゃんだ。
 どうやらネビルは、その個性的なおばあちゃんに叱られているようだった。ネビルの人の良さそうな丸顔とは違い、その老婦人はしわくちゃで、とても厳めしい顔付きをしていた。しかし、目元の辺りがどことなく似ている。以前から話に聞いていた、ネビルの『ばあちゃん』に違いない。
 名前とハンナは顔を見合わせ、彼の元、再びブロッツ書店へと向かう事にした。

 話を聞いてみると、ネビルはなんと、教科書のリストを忘れてしまったというのだった。どうやら羞恥心よりも情けなさの方が勝っているようで、彼は心底惨めそうな表情をしている。
「大丈夫だよ」名前が言った。「ホグワーツの教科書なら、ブロッツに直接聞けば解るから。ネビル、何を取ったの?」
「うん……魔法生物飼育学と、占い学を取ったんだよ」ネビルが鼻をぐすぐすと鳴らしながら言った。
「だったら、尚更平気だね。あたしも同じのを取ってるもん。ほら、これ」
 名前が自分のちょっとヨレヨレになってしまった教科書リストを差し出すと、ネビルはきょとんとして、不思議そうに名前を見た。ネビルの「ばあちゃん」がじっと自分を見詰めているのを敢えて無視しながら、名前はネビルに言った。
「あたし、もう買ったから。これネビルにあげる」
 ネビルが恐々と羊皮紙を受け取るのを見ながら、「古代ルーン文字学の教科書を抜いてね。そしたら、飼育学と占い学だから」と名前は付け足した。ネビルは小さな声で、「ありがとう」と呟いた。


 ホッとしたような顔で泣きやんだネビルと、迷った挙げ句にぺこりと小さく頭を下げたネビルの祖母に見送られながら、名前とハンナは再びフローリシュ・アンド・ブロッツ書店を後にした。

「――あの人、薬草学と随分雰囲気違うのね」
 歩き出して暫くしてからぼそりと呟いたハンナに、名前はネビルに悪いと思いながらも、思わず噴き出してしまった。ハッフルパフとグリフィンドールの合同授業は、名前達の寮監のスプラウト先生の薬草学だけだった。なので他に比べようが無いのだが、確かに薬草学でのネビル・ロングボトムはしゃきしゃきしている。名前は薬草学が、ネビルが一番得意な教科なのだという事を知っていた。そして同時に、ネビルが普段、結構おっちょこちょいな事も知っていた。しかしハンナは知らない。
「そうかもね」名前はハンナの呟きに合わせたように、囁き声で返した。
「でも、――良い子だよ」
 名前が言うと、ハンナは「そうなの」と言って、一度だけブロッツ書店の方を振り向いた。振り返った先にネビルの姿は無かったが、ハンナは満足したように再び前を向いて歩き出した。そんなハンナの様子に小さく笑いながら、名前も同じように夏のダイアゴン横丁を歩き出した。


 時間はあっという間に過ぎてしまって、ついにホグワーツへと行く日がやってきた。
 朝起きたら隣にハンナが居て、居間に降りて行ったらアボット夫人が美味しい朝食を作ってくれていて、一日中遊んだり、ぺちゃくちゃと話していたり、一緒に買い物に行ったり、たまに家事を手伝ったり。そんなアボット家での生活にやっと慣れてきていた名前は、ハンナの家を離れるのが、なんだかとても名残惜しかった。
 勿論ハンナとはこれからの一年間もずっと一緒なのだが、彼女の家でお泊まりしているのと、ホグワーツで一緒に暮らすのとでは全然違う。名前は学校が始まらなければ良いとさえ思い始めていた。一人ぼっちで過ごさなければならない家と、友達と一緒に生活する学校となら学校の方が勿論好ましいが、勉強しなければならないホグワーツとなら、アボット家でハンナと一緒に居る方が断然良い。

 放り出されていた毛糸の靴下を、ハンナに無理矢理トランクに詰め込ませてから、アボット夫人は言った。「さあ、キングズ・クロスに行きましょう」
「二人とも、トランクはちゃんと持ったかしら? 名前、デメテルの籠を貸してね。トランクを持っているんだから、持ちにくいでしょう――あらあら賢い梟だこと。ちっとも鳴かないわ――ハンナ、用意は出来た?」
「出来たわ、ママ」ハンナが答えた。
「そうみたいね。それじゃ行きましょう。――二人とも、ちゃんと掴まっているのよ」
 名前とハンナはすぐに返事をして、すぐにアボット夫人の腕にしがみついた。名前達はこれから、『姿くらまし』でキングズクロス駅へと向かうのだ。勿論名前とハンナは姿現しなんてできない。しかも未成年だ。なので、アボット夫人に付き添い姿くらまししてもらうことになっていた。
 名前は今までに、姿現しも付き添い姿現しもしたことがなかった。


 人生初の『姿現し術』体験に盛大に酔いながら、名前はデメテルの入っている籠をしっかりと抱え直した。どうも、彼も盛大に酔ってしまったらしい。くしゃっとしている。梟用の酔い止めも開発してもらわければならないと名前は考えた。
 姿くらましは無理やり細い管を通らせられるようで、とても窮屈なうえ、ぐるぐると回されているような感じがしてとても気持ちが悪かった。ホグワーツでは六年生で試験を受けられる筈だが、果たして習得する程のものだろうか。便利には違いないが、名前は箒の方がずっと好きだった。生涯姿現しを使わない魔法使いも多いということを知っていたので、ひどく納得した。
 旅立ちにぴったりの陽気とは言えなかった。プラットホームから微かに見える空は、今にも雨が降り出しそうな暗く重い雲で覆われている。しかし赤い車体でお馴染みのホグワーツ特急の周りは、大勢の生徒やその保護者達でひしめき合っていた。ホグワーツ特急の出入り口の側で、名前達は予め貰っていた酔い覚まし用の大きな飴玉を舐めながら、アボット夫人に最後のお別れをした。
「あたし、楽しかったです。ありがとうございました」
 名前がそう言うと、アボット夫人はくすくす笑い、そして名前に言った。
「あなたが来てくれて、私達も楽しかったわ、名前」

 抱き締めてくれたハンナのお母さんは、とても暖かかった。
 昨晩、名前はアボット氏とも別れのハグをしていた。朝早くに仕事に出てしまうからだ。「またおいで」と微笑んで抱き締めてくれたアボット氏はとても暖かかったが、アボット夫人のそれは何だか違う。ふんわりとしていて、恥ずかしかったが、それ以上に何故だかとても安心した。
 ホグワーツ特急の汽笛が鳴り始め、名前達の居る戸口からも煙突からの煙が見え始めた時、ハンナと母親は最後のハグをしていた。周りでも同じような光景が見られた。家族との別れには、一年生だろうと上級生だろうとそれほど大きな違いは無い。各々がさよならを叫んでいて、みんながコンパートメントの窓から身を乗り出して、全員が思い思いに親達に別れを告げていた。少なくとも、クリスマス休暇までは家族に会う事など出来ないのだから当然だ。
「名前、ハンナをお願いね。この子ったら三年生にもなるのに、まだ忘れん坊さんなのよ」
 アボット夫人がくすくすと笑いながら言うと、ハンナは「ママ!」と抗議の声を上げた(ハンナが毛糸の靴下を恥ずかしがって、わざと忘れて行こうとしていた事を名前は知っていた)。

 知らず知らずの内に頬を緩ませながら、名前もにっこりと、笑顔でアボット夫人に手を振った。
 汽車が動き出す頃にようやくふくれっ面をやめたハンナは、自分の母親に千切れんばかりに手を振った。ハンナのお母さんも、同じように手を振っていた。もちろん、名前も。ホグワーツ特急がカーブを曲がり、アボット夫人の姿が見えなくなるまで、二人はずっと手を振っていた。

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