禁じられた森へ

 実際には、ファングに餌を与えてそれから夕食を終えた後、再びハグリッドに小屋に行くというのは簡単な事ではなかった。ハンナやスーザンに嘘をついて、医務室に行くと言わなければならなかったし、今の時期に夕食後に出歩くと言うのは自殺行為に等しかった。廊下には何人もの教師が異変は無いかと巡回している。それに、トラブルが大好きなピーブズに危うく遭遇するところだった。
 クリスマスに名付け親から貰った、『透明術の透明本』が役に立つ日が来るとは考えてもいなかった。そう、これが名前のとっておきだった。何度も練習して身に付けた「目眩まし術」だ。しかし、デミガイズの気分が味わえるかなという興味本位で習得した魔法だが、まさかこんなに有効的に使用するとは思わなかった。いや、思わなかったことはない。フィルチから逃げる時に良いだろうなとか、こっそり禁じられた森を探索するのにも使えるだろうなとか思っていた。六割くらい。

 名前がハグリッドの小屋に着いた時は、どうやらハリーもロンもまだ来ていないようだった。今は九時五十七分。じきに十時になる。目眩まし術を使っているにしても、このまま外に居るのも何だか間抜けだったので、中に入らせてもらう事にした。
 ファングの世話の為にと渡されていた鍵を使い、ハグリッドの小屋に入る。
 姿の見えない名前に、大型ボアファウンド犬のファングは一旦驚いたようだった。しかし、すぐに臭いで名前だと解ったらしく、嬉しそうな鳴き声を上げて尻尾を振り回し、名前の顔中舐め回した。
 ファングの涎でべとべとになりながら、名前はそっと言った。
「静かにしててね、ファング。見つかったら減点だけじゃすまないんだから」
 目眩まし術を解き、杖明かりを点けると、名前はハグリッドの椅子に腰を下ろした。


 二時間は経っただろうか。
 ハリー・ポッターとロン・ウィーズリーがハリーの透明マントに身を隠し、ハグリッドの小屋にやってきたのは、日付が変わった頃だった。二人は二時間も先に着いていた名前に謝り、ファングを連れて、杖明かりを頼りに禁じられた森の方へと歩き出した。

 先を歩くハリーは、どうやら何かを探しながら歩いているようだった。ルーモスで点けた小さな杖明かりを下に向け、地面を見詰めている。隣のロンは、「そんな事は死んでも遠慮したい」という顔をしていた。森に入らなければならないと、そうハリーが告げた時と同じ顔だ。
 名前は「手伝おうか」とハリーに声を掛けたのだが、彼は彼自身の杖明かりは地面を照らす為に使用するから、名前の杖明かりは歩く為に使ってくれるようにと言った。名前は素直にそれに従った。確かに、目の前に広がるのはただでさえ暗闇に包まれた禁じられた森だ。少しも先が見えない状態でいるのはあまりに不安が残る。ついでに、ロンの杖は壊れていて使い物にならなかった。学期の始めに折れたらしい。例の空飛ぶ車事件だ。
「……もしかして君、夜に禁じられた森に入るのを楽しみに待ってたとかじゃないよな?」
 ロンが恐る恐る名前に尋ねた。名前は肯定も否定もせず、にっこりと微笑んでおいた。その返事で、彼は更に恐怖を煽られたらしい。下草を踏み歩くことさえ恐々としているように見えた。
「森に、どんな生物がいるか知ってる?」下を向いたまま、ハリーが名前に聞いた。
 彼の顔も恐怖を感じていると告げてはいたが、ロンほどではなかった。魔法族出身と、非魔法族に育てられた者の違いかもしれないな、と名前は考え、それから先日禁じられた森に入った時の事を考えた。
「いーっぱいよね。ケンタウルスとか、ユニコーンだとか、セストラルも森に居るんじゃなかったかな」
「セストラル?」
「大きな黒い天馬だよ。希少種の」
「ふうん……」
 ハリーの「ふうん」は、納得しきれていない「ふうん」だった。
「狼男は? 禁じられた森にいるって噂だよ」ロンが恐る恐る尋ねる。
「さあ。まだ会ったことないから知らないな。でもマゴリアンがそれに似たような事話してたし、居るのかもしれないなあ。……でも今日は満月じゃないから、大丈夫だよ、ロン」
 更に顔色を悪化させたロンを見て、名前は付け足した。

「見て!」唐突に、ハリーが声を上げた。
 ハリーが指さした方を見ると、蜘蛛が一、二匹、ごそごそと地面を這っている。昼間の薬草学の授業を思い出し、名前はやっとハリーの探していた物が蜘蛛なのだと解った。どうして蜘蛛を追い掛けているのかは知らないが、その「蜘蛛を追い掛けたい」と思うハリーの気持ちは、流石の名前にも察することが出来なかった。名前じゃあるまいに、余程の事じゃなければ、蜘蛛を追い掛けたいなどと思わないだろう。しかも真夜中の「禁じられた森」で。
 きっと余程の事なんだろう。単なる知的好奇心ではない筈だ。
 ハリーは蜘蛛の方に足を向け、ついに禁じられた森に歩み出した。名前もロンも、ファングもそれに従い、森へと踏み込んだ。
 一歩森の中に入っただけなのに、一瞬で静寂が訪れた。ただ時々、葉っぱが風に揺れてカサカサ鳴る音や木々のざわめく音、遠くから聞こえる鳥らしき鳴き声が耳に伝わってくる。校庭にいた時は吹き荒ぶ風の音しか聞こえなかったのに、静かなのに様々な音が聞こえるというのは不気味だった。

 そういえば、どうして森に入らないといけないのかを聞いていなかった。森に入らないとならないというより、蜘蛛を追い掛けなければならないの方が正しいだろうか。
 先程ロンが言った事は実は当たっていて、名前は内心で、夜の禁じられた森に入るという事にワクワクしてはいた。彼らの頼みは名前にとって格好の口実となったのだ。夜間に禁じられた森に入るという口実に。正直、夜中に森に入れるだけで名前は満足できていた。しかし、彼らがどうして校則を破ってまでこんな所に来たのか、まったく興味が無いわけではなかったのだ。
「ね、どうして蜘蛛を追い掛けてるの?」
 隣を歩いているロンを見上げて聞いたのだが、ロンは答えなかった。
「ロンは蜘蛛が嫌いなんだ」と、ハリーが言い、そして名前の質問に代わりに答えた。
「僕たち、ハグリッドの無実を証明したいんだ。僕たちは、ハグリッドがスリザリンの継承者で、生徒達を襲ったなんて信じてない。絶対にハグリッドなんかじゃない。……でもその事を証明するには、蜘蛛を探さないといけないんだ。ハグリッドは、蜘蛛の後を追えば糸口が見つかるって言った。だから僕らは、蜘蛛の後を追わないといけないんだ。例え禁じられた森に入っても……」
 ハリーはそこで一旦言葉を切り、ごくりと生唾を飲んだ。
「ハグリッドは、名前が……君が動物の扱いに長けてるって言った。ファングの面倒を見て欲しいって。でも、それだけじゃない。僕は去年森に入ったから、禁じられた森の中にはいっぱい生き物が居るって知ってる。危険な生き物もたくさん居るって事も。だから、名前なら何か良い手を貸してくれるんじゃないかって、僕思ったんだ。ハグリッドは僕がそう思うって思って、きっとそう言ったんだ」
 ハリーは名前を振り返った。
「君は反対もせずについてきてくれたけど、もし……もし嫌だったら、このまま帰ってもいいよ」
 名前はちらりと禁じられた森の、入り口の方を振り返った。まだかろうじて、森の外の月明かりが見えていた。
「あたしだって、ハグリッドがマグル生まれの子達を襲ってたなんて思ってるわけじゃないよ。蜘蛛を追い掛ければ、何か糸口が見つかるって言ったのね? ハグリッドの無実を証明できる何かが? なら私は、あなた達に着いて行かせてもらう。私だってハグリッドの無実を証明したいから。それに多分、あなた達二人合わせても、あたしの方が禁じられた森に入った回数は多いから、あたしが居る方が都合は良いと思うよ。言葉の通じない生き物に会っても、何とかする自信はあるしね」
「……言葉の通じない生き物に会っても何とかする自信はある?」
 ロンが名前の言った言葉をそのまま繰り返したが、名前ははぐらかした。
「あたしが付いて行ったって、怒ったりしないんでしょ? ハリー?」
「うん、勿論だ。君が居てくれると心強いよ」
 ハリーが名前を見据えてそう言ったので、名前もハリーに微笑んだ。

 立ち並ぶ巨木、生え茂る植物、微かに聞こえる生き物の声。名前にとって慣れ親しんだ物であったけれど、暗闇によって、それらが全く違うものに見える事も確かだった。名前もハリーもロンも言葉少なにざくざくと歩く。今日がもし満月だったら、本当に狼人間が出るだろうか? でもその前に、満月草も採ってみたかったし、ムーンカーフにも会ってみたかった。しかしもしかしたら、ムーンカーフはハグリッドの畑にも出るかもしれない。名前の次の満月の予定は決まった。
 先頭を歩いていたハリーが立ち止まった。どうやら追い掛けていた蜘蛛が、今まで歩いていた小道から逸れていくらしい。ハリーは振り返り、ロンと頷き合い、名前に目配せし、ファングに合図をして、再び歩き出した。


 かれこれ、合わせて一時間は歩き続けたのではないだろうか。ハグリッドが踏み固めたと思われる道からはとっくに外れていたし、突き出た枝やらなんやらにあちこち引っ掛かり続けたので、名前達のローブは既にぼろぼろに汚れていた。
 一度、ハリーが「こっちの方に来たことはあるか」と名前に尋ねた。名前は確かに何度も禁じられた森に入っているし、歩き回りもするが、この森がどうして立ち入りを禁じられているのか知っているつもりだ。なので無闇な散策は行わない。名前の返事を最後に、三人は殆ど無言で歩いていた。
 突然ファングが吼えた。
「何だ?」ロンがハリーに聞いた。「何だっていうんだ?」
「向こうで何かが動いてる」
 ハリーは静かに答えた。ばきりばきり、ぱきぱき、ぐしゃり。目を凝らして見てみると、確かに右の方から、大きな何かが近付いてきているようだった。
「あれ、なんだと思う?」ハリーが名前に聞いた。
「……解んない。でも、こっちが何もしなきゃ、大丈夫だと思う」
 生き物というのはそういうものだ。もちろん例外も居て、此方が何もしていなくても襲い掛かってくる凶暴な生物も居る事は確かだが。
「もうダメだ」ロンが呟いた。「もうダメ、もうダメ、ダメ――」
「シーッ! 君の声が聞こえちゃうよ」
 ハリーがロンを諌めたが、ロンは小さく鼻で笑った。
「とっくに聞こえてるよ。ファングの声が!」

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