国際魔法使い機密保持法とアビシニア無花果とオーキデウス

 マクゴナガル先生に頼まれた日から、名前は言われた通り、朝食と夕食の時間にハグリッドの小屋へと訪れていた。その日の夜に行った時、ファングは余程お腹が空いていたのか、それともやはり飼い主が居なくて寂しかったのか、名前を見つけた途端、千切れんばかりに尻尾を振って、名前の顔をべろべろと舐め回した。
 ハグリッドの小屋を後にしてから大広間で朝食を取り、それから一限目の授業へと向かうのが、名前の日課となった。

 その日の一時間目は魔法史だった。魔法史のビンズ先生は、1692年の国際魔法使い機密保持法の制定には非魔法族の魔法族への差別的意識が大いに影響を与え、しかし後年にはその国際魔法使い機密保持法が魔法族の非魔法族への差別的意識を高めたものであるとカルロッタ・ピンクストーンは訴え、国際魔法使い機密保持法の撤廃を要請し、非魔法族に魔法族の存在を知らせる為の運動を起こしたと『魔法史』の中で著者のバチルダ・バグショットが述べている、と、いつものように一本調子でつらつらと述べた。
 よく息が続くなあと考えたところで、やっと彼が既に呼吸をしていないゴーストだという事を思い出した。名前は一般の生徒と同じように、魔法史が好きではなかった。多分、ビンズ先生の声には何らかの魔力が籠っているのだと思う。聞かれないようにする魔法か、もしくは眠りたくなるようにする魔法だ。
 もしも魔法史がロックハートが教えている科目であったならば、もう少しだけマシな授業になったかもしれない。彼は自分の著書を芝居調で読み上げる際に、大きく声を張り上げたり、逆に耳を澄まさないと聞こえないぐらいの音量で話したりもする。抑揚のないビンズ先生の読み方に比べれば、その内容が中身の無い授業だったとしても良い物に思えてくる。聞く気になれないという点ではどちらも似たり寄ったりの授業だが。
 名前はふと、魔法史の教室を軽く見回してみた。やはりと言うべきか、生徒の半数が机に突っ伏していて、残りの半数はぼーっと宙を眺めていた。
 アーニーは根気強くビンズ先生の話に耳を傾けているらしかったが、暖かくなってきた日差しには勝てなかったらしく、かっくんかっくんと船を漕いでいた。その隣ではザカリアス・スミスが完璧に寝入っているようで、頬杖をつく彼の背中は、規則的な動きで上下している。名前の隣に座っているハンナも、その向こう側に座っているスーザンも、退屈そうな表情だ。二人とも顔だけを黒板の方に向け、意識は彼方へと飛ばしている。魔法史の授業はいつもこうだった。
 名前も欠伸を一つし、それからバグショットの『魔法史』を枕にして机に突っ伏した。


 子守唄のようだった魔法史の授業を終えた後は、グリフィンドールと合同の、薬草学の授業だった。ビンズ先生の引率で辿り着いた温室は、いつもと変わらず様々な植物が生えていた。

 グリフィンドールの友達の、ハーマイオニーの姿を無意識に探していた名前は、彼女が石になってしまったことを思い出し、小さく落ち込んだ。合同授業なんて人数が多すぎるぐらいだと思っていたのに、友達が二人居ないだけで薬草学の雰囲気は暗い物となっているようだった。
 昨日、名前がアーニーに言った通り、彼はハリーに「疑ってすまなかった」、と謝っていた。アーニーに付き添って、ハンナがハリーとロンの所に向かうのを横目で見ながら、名前はスーザンと、パーバティとラベンダーと一緒にアビシニア無花果の剪定に取り掛かった。

 保護手袋を付け、アビシニア無花果の伸びきった枝や、枯れかけている茎を剪定バサミでパチンパチンと切り落としていると、名前は不意に、視界の端で何か黒い物が蠢いているのを見付けた。
 その黒い何かは、綺麗に列を組んでいた。大急ぎで何処かへ向かっているらしく、仲間を押しのけ押しのけ進んでいる。列を組んでいる、とだけ聞けば蟻だと思うかもしれないが、それをしているのは八本足の、蜘蛛だ。名前は蜘蛛が行列を作って移動するなんて、今まで見たことも聞いたこともなかった。
 しげしげと何かを眺めている名前が気になったのだろう。視線の先を追ったスーザンが、名前が見ていた物を見付けて顔を顰めた。彼女は動物と名の付くものなら何でも好きな名前と違い、一般の女の子らしく蜘蛛が嫌いなのだ。
 蜘蛛の行列を見詰めるのに夢中になっていたので、名前は自分の剪定作業が止まっている事に、スプラウト先生が注意するまで気が付かなかった。
 作業を再開しようと顔を上げると、丁度こちらを見ていたハリー・ポッターと目が合った。彼も、蜘蛛の異様な行動に気付いたのかもしれない。名前が小さく片手を上げてみせると、彼も小さく頷いた。ふいと目を逸らすハリーの先には、やはり蜘蛛がいる。どうやらそのようだ。

 授業が終わった後は、生徒達の安全の為に、その教科の先生が生徒達を次のクラスに引率することになっている。スプラウト先生の受け持つ「薬草学」の授業はハッフルパフとグリフィンドールという、二つのクラスの合同授業なので、いつもよりも若干押し合いへし合いしながら、次のクラスに向かわなければならなかった。
 「名前」と、後ろからハリーが呼びかけた。名前は「呪文学」の教室に入っているハッフルパフ生の列から少し外れ、一番後ろに並んだ。
「僕達、君に手伝って欲しい事があるんだ。夕食が終わった後に――ハグリッドの小屋に来てくれないかい?」
 ハリーは最後の一言を、元から小さくしていた声を更に潜めて付け足した。ハッフルパフ生の周りをぐるぐると巡回しているスプラウト先生が、丁度名前達のすぐ側まで来ていたからだ。
「良いけど、なんで?」
「……僕ら、森に入らないといけないんだ」
 ハリーがきっぱりと言った。
 彼の一歩後ろに立つロンは、出来ればそんなこと絶対にしたくないという顔をしていた。今まで見た中で一番嫌そうな顔だ。禁じられた森に、とハリーが続けると、ロンは更に顔色を悪くした。禁じられた森に入る事が、校則で禁止されているからだろうか? いや、多分違う。賭けても良い。
「君は森に入り慣れてるんだろう? ハグリッドが言ってたんだ。『名前は信用できる。それに魔法生物の知識に関しちゃ、同じ年の誰にも負けやしねえ』って。だから、君に付いて来て欲しいんだ」
「うん、良いよ」名前は即答した。「だけど、どうして森に入らなきゃならないの?」
 名前が問い掛けると、ハリーとロンは一瞬顔を見合わせた。
「後で説明するよ。……じゃあ、もしよければ今日の夕食後に」
 ハリーは急いで言い切った。名前のすぐ後ろにスプラウト先生が来ていたからだ。
「さあミス・名字。急いで教室に入って。他のみんなはもう座ってますよ。お喋りも良いけれど、私が貴方の友達も引率しなければならないという事を忘れないで。さあ」
 スプラウト先生が、最後の一人になった名前を呪文学の教室に入るよう促す。先生の言う通り、他のハッフルパフ生は大方席に着いていた。真面目なことだ。名前はそこに留まっているハリーとロンに、「あ・と・で」と口の動きだけで伝え、急いで呪文学の教室に入った。

 それからの呪文学の授業は、名前にとって楽しい物ではなかった。どうせならずっと蜘蛛を眺めていたかった。
 名前は一年生の時から、どうにも呪文学が好きになれなかった。それは別に、フリットウィック先生が嫌いだとかではなかった。むしろ、フリットウィック先生ほど、生徒の事を思い、優しくしてくれる人など居やしない。厳格なマクゴナガル先生や、自寮贔屓のスネイプ先生、授業にならないロックハート先生なんかよりも、彼はずっと好かれる部類に入る筈だ。名前だって先生のことは好きだ。嫌いじゃない。
 しかし、名前は生徒を思いすぎるフリットウィック先生が何故かしら苦手なことは事実だったし、「呪文学」という科目自体が好きじゃなかった。一体、決められた事が起きるだけの呪文なんかを、どうやって好きになれっていうんだろう? 変身術のように個人の緻密な意志により術が左右される訳でもなく、魔法薬学のように繊細な技術が要される訳でもなく、闇の魔術に対する防衛術のように対象に流動性がある訳でもない。もちろん呪文学で習う呪文にだって、術の強弱はある。しかし、それはあくまで定められた範囲内での話だ。
 理論的な所がある分、理解はしやすかったが、その分単純だった。自習だけでも十分だったし、もし解らなくても、セドリックのような上級生に聞けば名前は事足りてしまうのだ。屋外でやっている、魔法生物飼育学の授業に参加した方がよっぽど楽しいだろう。
 名前はちらりと窓の外に目を向け、禁じられた森の側のハグリッドの小屋の近くで、スリザリンとグリフィンドールの六年生が楽しげにケトルバーン先生の授業を受けているのを眺めた。グリフィンドールのクィディッチ・チームのキャプテン、オリバー・ウッドらしき男子生徒が、黒い馬のような生き物に跨っている。セストラルだ。あれはテネブルスだろうか? ケトルバーン先生が満足げに微笑んでいる光景が目に浮かび、名前は小さく溜息をついた。
「さあさあミス・名字。窓の外を見ているという事は、もう花を出現させる呪文は完璧にマスターしたのでしょうね?」
 どうやら、余所見をしていた事がフリットウィック先生にはばれていたらしい。
 彼はいつものように積み上げた本の上から名前を見て、キーキー声でそう尋ねた。成る程、確かに周りの同級生達の周りには、花びらが散っていたりしていた。花を出す呪文か。名前はミランダ・ゴズホーク著の「基本呪文集(二学年用)」の該当ページを思い出し、ハンナに見守られながら呪文を唱えた。
「オーキデウス、花よ」
 名前が呪文を唱え終えた時、杖の先からは色とりどりの花がポンポンと飛び出していた。ガーベラにアネモネ、ゼラニウムにダリア、パンジーにマリーゴールド、ハヤチネウスユキソウ。フリットウィック先生は「オーッ」と歓声を上げ、名前に十点をくれた。


「私、名前は完璧に上の空だと思ってたわ」
 呪文学が終わった後、厨房への道を歩みながらスーザンは言った。「だって、フリットウィック先生が二回もあなたを呼んでたのに、全く返事をしなかったんだもの」
「ちゃんと聞いてたのね。あれだけの花を一回で出しちゃうなんて」
 ハンナもくすくすと笑いながら言った。名前は花がちゃんと出たのは、オーキデウスがたまたま自分に合う呪文だったからだという事を教えなかった。
「いやいやお嬢さん方。誰にだって、得意な科目の一つや二つや三つ、あるものです。名字嬢はそれが呪文学であったという事なのでしょうぞ」
 壁をゆったりと擦り抜け現れたのは、ハッフルパフの付きゴースト「太った修道士」で、彼は意味ありげにそう言った。
「例え、幾度となく授業中に惰眠を貪っている方でも……」
「修道士さん、それ失礼よ」
 名前が憤慨したふりをしてそう言うと、太った修道士もハンナもスーザンも皆くすくすと笑った。

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