バレンタインに

 新学期が始まってもハーマイオニーの黒い毛は完全に消えなかったので、名前は約束通り、授業内容を書き留めたノートを渡しに行っていた。授業が終わるごとにノートを届けると、ハーマイオニーはとても喜んでくれた。そうすれば名前が授業を受けている間に彼女はその分の勉強が出来るし、その日一日を無駄にせずに済むからだ。
 毎時間ごとにきっちり届けていたので、名前は校医のマダム・ポンフリーとも、すっかり顔なじみになってしまった。昨日なんか、マダムは自分の分のついでにと、名前とハーマイオニーにホットチョコレートを御馳走してくれたぐらいだった。もっとも、名前は比較的医務室に来るタイプなので、以前から顔を知られてはいたのだが。
 ハーマイオニー宛のノートを書く傍ら、名前はジャスティンの為のノートも取り続けていた。不安になるのは、もしも目が覚めたジャスティンに、「そんなものいらない」と言われたらどうしようということだ。しかしそれをハンナに言わせれば、そんな事は杞憂なのだそうだ。「ジャスティンは喜んで、名前の取って置いてくれた授業メモを受け取るわよ」。
「ありがとう、名前。本当に助かってるわ」
 ハーマイオニーはその日の分の授業ノートを受け取った。まだ顔には無精髭の様な黒い毛と、猫の長い髭が残っている。名前はそんなハーマイオニーの顔をじろじろ見ないようにしながら言った。
「ううん、どういたしまして。あたしも勉強になるわ」
「そうね、同じ内容を書き写すだけでも、勉強になるものね。覚える基本は書く事だもの。でも名前、闇の魔術に対する防衛術のメモが無いように思うんだけど?」
「ああ……だって、ロックハート――先生は、板書しないじゃない」
 名前は今年就任した教師を思い浮かべながら言った。彼は歯をキラキラさせることは一流だが、授業の腕は三流以下だ。スネイプの方がまだマシだと思わせるほどに。ハーマイオニーが冷たい一瞥を寄越したので、慌てて先生と付け加える。
「でも聞いてるだけでは勉強にならないわ」
 ハーマイオニーの眉が段々と吊り上がってきたような、そんな錯覚を名前は覚えた。彼女は根っからのロックハート支持者だった。名前はハーマイオニーが毎晩、彼からのお見舞いカードを枕の下に敷いて寝ているのを知っている。名前は再び付け足して言った。
「防衛術なら大丈夫なの。ちゃんとセドリックに見てもらってるから」
「セドリック?」
「知らない? あたしと同じ寮の……ハッフルパフの四年生の、セドリック・ディゴリー。ハッフルパフのクィディッチ選手で、シーカーをやってるのよ。ああ、ハリーと同じね。知らない?」
「悪いけど知らないわ。その人に勉強を見てもらってるの?」
「うん」
 名前は二年生が始まって最初の闇の魔術に対する防衛術の授業が終わった後、頼れる先輩であるセドリックに、二年生の分の闇の魔術に対する防衛術を教えて貰えないかと頼んだのだ。あの教師では「防衛術」を教えては貰えまい、と判断した結果だった。セドリックは名前の頼みを、自分も復習になるからと言って快く引き受けてくれた。セドリックには、いつだかに呪文学の勉強を見て貰って以来、何かと世話になっている。
 「それなら良いんだけど……」と、ハーマイオニーは名前を見ながら言った。


 二月の半分が終わる頃には、ハーマイオニーもすっかり元通りになっていた。その日、前日に天文学の授業があったので、ハッフルパフの二年生は皆寝不足だった。寒空の下で星やら星座やらを見分けるのはなかなか骨の折れる作業なのだ。
 閉じようとする瞼を擦りながら辿り着いた大広間は、いつもと百八十度違って見えた。やたらとピンクに見える。星を眺めすぎて疲れた目が、幻覚を見ているのだろうか?
 「名前! 丁度良かった!」名前に声を掛けたグリフィンドールのラベンダー・ブラウンは、とても浮かれているようだった。彼女のステップが、スキップをしている様にさえ見える。
「あなたにも、ハッピーバレンタインよ! 昨日、パーバティと一緒に作ったの」
 はい、と渡されたのは可愛くラッピングされた小さな袋だった。名前が寝ぼけ眼でラベンダーを見ると、「クッキーよ」と言われた。訝しんでいるのが伝わったのか、彼女ははっきりと言い切った。
「……バレンタイン?」
「そうよ。やだ忘れちゃったの?」
 ラベンダーは大分機嫌がいいらしく、クスクスと笑った。
「……去年のバレンタインって、こんな飾り付けしてあったっけ?」
 名前は聞いてから後悔した。
「ロックハート先生がなさったの! 彼は学校のムードを良くすることが大切だって言ったわ! 今日はバレンタインだもの。お祝いしないと! ……じゃあね、名前!」
 ラベンダーは同じ寮のパーバティに呼ばれて、グリフィンドールの長テーブルの方へと駆けていった。

 ロックハート大先生が仰るには、これは気分を盛り上げる為の「お楽しみ」なのだそうだ。延々と大広間の天井から降ってくるハート型の紙吹雪にうんざりしながら、名前は溜息をついた。
「やっぱり君も、そう思うよな」
 と、隣に座っていたザカリアス・スミスが、同じように苦虫を噛み潰したような顔をしているスネイプ先生の顔を見ながら名前に言った。名前も夢見がちな顔をしている同級生達を見て、「そうだね」とザカリアスに同意した。


 けばけばしく飾られた大広間、だけで悲劇は終わらなかった。
 別にそれはスネイプ先生に愛の妙薬を貰いに行って危うく生ける屍の水薬を飲まされそうになった、という訳でも、若いとき決闘チャンピオンだったというフリットウィック先生に失神呪文を掛けられそうになった、という訳でもないのだが、悲劇としか言いようがなかった。
 ただ運悪く、機嫌の悪さが最高点に達しているスネイプ教授の、ハッフルパフとレイブンクローの合同授業がたまたまその日の一限目にあっただけだ。そしてその最悪のムードの中、レイブンクローのパドマ・パチルがロックハート氏の言う愛すべき配達キューピッドに、バレンタイン・カードを届けられてしまったという事だけだ。
 愛すべきキューピッドが魔法薬学の地下牢教室の扉をバーンと開けたとき、地下牢教室の空気は固まった。何人かの生徒は驚いて調合中の「小さな切り傷をあっという間に治す薬」をビシャッと跳ねさせたし、スネイプ先生はといえば何も言わずに固まっていた。それは絶対零度の怒りというやつで、怒号を飛ばされた方がマシだな、と、名前は思わずにはいられなかった。彼は「こんな事を企画した新任教師は次の六年生の授業で使うブボチューバーの原液を飲ませてやる」という顔をしていた。
 だが、怒りで顔を歪ませているのは、何もスネイプ先生だけではなかった。レイブンクローの生徒達の居る机に近付いていった小人が憎らしげに、何処からか一枚のバレンタイン・カードを取り出した。彼――此処からでは小人の性別なんてわからないが――もまた、随分と機嫌の悪そうな顔をしていたのだった。
「あなたにです! パドマ・パチル!」嫌々だという雰囲気を存分に醸しながら、小人がそう叫んだ。
 途端にパドマは固まった。よりにもよって、何故自分が?! パドマは何も言わなかったが、彼女の顔はそう叫んでいる。パドマは恐る恐るスネイプ先生の方を向き、彼が何も言わずに眉根をぎゅっと寄せたのを見て、小人からバレンタイン・カードを奪い取るようにして受け取った。
 気の毒に……と、名前や周りの生徒達はパドマを見ていた。

 が、おかしな事に、いつまで経っても小人は地下牢教室から出ていかなかった。一体どうしたんだろう、もしかしてこの暗くて湿った地下牢が気に入ったんだろうか、と名前がぼんやり考えていると、小人は歩き出した。
 ……どうして私は歩いてくる小人と目が合っているんだろう? そう考える間もなく、小人はぴたりと止まった。名前の目の前で立ち止まった小人にギョッとして、名前は一歩下がった。名前は一歩下がったつもりだったが、小人にローブの端を掴まれていたので半歩という結果に終わってしまった。
「そう! あなたにもです名前・名字!」
 逃げようとしていた名前を逃がすまいとして小人が叫んだ。隣から、ハンナやアーニー達の哀れみの視線を感じた。シーンとする教室で小人に睨み付けられながら、名前は「いっそ殺してくれ!」という気持ちになった。そう言えば、許されざる呪文の中に磔の呪文というのがある。それは死んだ方がマシだと思わせる程の苦痛を与えると言うが、それはこんな感じなのだろうか。凍り付いた頭で、名前はそう現実逃避した。
「さっさと受け取れ、名前・名字!」
 もう我慢がならないという風に、小人が荒々しく叫んだ。彼らも好きこのんでやっている訳では無いのは見ればわかる。しかし名前だって、そんな悲劇の元凶とも言えるようなバレンタイン・カードを受け取る訳にはいかない。しかも今この場所で。
「わたし……あたし、そんなのいらない!」
 名前は思わず、そう叫び返した。「なんだと!」と再び叫んだ小人は、無理矢理名前に配達物のバレンタイン・カードを押しつけようとする。この小人も必死だ……と、やはり頭の片隅ではそう現実から逃れようとしながらも、名前は受け取るまいと奮闘していた。しかし遂に、スネイプの怒号が飛んだ。
「ミス・名字! さっさとその小人を追い出したまえ! これ以上授業を妨害する事は我輩が許さん! ハッフルパフ五点減点!」
「でも先生!」
 勇気を出して反論したのがいけなかった。
「しかしじゃない! 口答えに対し更に五点減点! 罰則だ名字! 放課後、我輩の研究室に来たまえ!」


 結局名前は、小人から渋々バレンタイン・カードを受け取ったし、スネイプ先生から罰則のおまけまで貰ってしまった。
 受け取ったカードだが、「I love you」としか書かれておらず、イニシャルすら書かれていなかった。もっともバレンタインのカードなど匿名で贈るのが常だが、あんな事があった以上、新手のいじめかとも思えてきた。破り捨てたい衝動に駆られたが、呪いでも掛かっていたら厄介なのでやめておいた。名前は談話室の机に置かれたショッキングピンクのバレンタイン・カードを眺め、送り主が誰か解った暁には永久粘着呪文を掛けてカドガン郷の絵画に引っ付けてやる……と呟いていた。するとその独り言を聞いていたスーザンに、そんなスリザリン生みたいな事言うのやめなさいよ、と咎められてしまった。

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