プロローグ

 名付け親は仕事が忙しくて一緒に行く事ができないと言ったので、名前・名字は一人きりでダイアゴン横丁を歩かなければならなかった。

 名前は本来、人の多い所が苦手だった。しかしすれ違う人々が皆嬉々としていたからか、溢れんばかりの人の多さもさほど苦にはならなかった。名前も彼らと同じように嬉しくなった。今日はきっと、良い日になるに違いない。この日のダイアゴン横丁は、夏の香りで満ち溢れていた。
 名前は九月からホグワーツ魔法魔術学校に通う事になっていた。名前が七歳の時に死んだ父親も、物心付く前に死んだ母親も、今現在共に暮らしている名付け親も、全員がホグワーツの出身だった。少々親ばかの気がある名付け親は、名前に手紙が届いた時、まるで自分の事のようにホグワーツの入学を祝ってくれた。その証拠に、学用品以外に使う為のお小遣いを、名前に余分に持たせてくれている。
 名前は箒が好きだったが、ホグワーツの一年生は自分用の箒を持ってはいけないことになっている。なので名付け親から貰ったお小遣いで、名前は梟を買おうと思っていた。前々からペットが欲しいと思っていた。家で一人で過ごすことが多いから、きっと良い友達になってくれるだろう。名前は猫だって好きだったし、ヒキガエルだってなかなかチャーミングだと思っている。しかしやはり、梟は手紙を運んでくれる、とても役に立ってくれる生き物なのだ。ペットにするなら一番良いだろうと聞いていたし、名前自身もそう思うので、買うならやはり梟だなと、そう思っていた。

 制服のローブに帽子、ドラゴンの皮の手袋、冬用のマント。教科書が八冊、杖に大鍋。望遠鏡と、それから真鍮製の秤。買わなければいけないものはたくさんあって、どれもこれもが名前をわくわくさせた。なんてったって、これからホグワーツへ行くのだ。留守番生活とはおさらばなのだ。
 まず名前は、杖を買うことにした。
 何をするにも、杖が無くては始まらない。自分だけの杖、なんて良い響きだろう。


 ダイアゴン横丁の片隅に、その店はあった。オリバンダー杖店。名付け親から言われていた、魔法の杖の店だった。杖を買うならここが良いと。名前は古めかしくてどこか厳つい扉を、ぎいと軋ませながら開けて店の中に入った。扉が開くのと同時に、店の奥の方で小さくチリンとベルが鳴った。
 狭い店の中では、ちょうど一人の男の子が杖を買っている所だった。名前と同じくらいの年頃の、プラチナブロンドをした男の子だ。男の子の前には小柄な老人が立っていて、彼がオリバンダーなのだろうと思う。オリバンダーは首を横に振り、男の子の手にしていた杖を取り上げた。彼らの側には女性がひっそりと佇んでいて、男の子を見守っている。彼の母親に違いない。
 店内は細長い箱がそこら中に積み重ねられていた。どこを向いても箱が置いてある。オリバンダーはその積み上げられた中から新しい箱を取り出した。中から顔を出すのはやはり魔法の杖だ。店中にある細長い箱の一つ一つに杖が入っているに違いない。オリバンダーは男の子に新しく手にしたその杖を差し出した。男の子は若干くたびれたような動きで、杖をひょいと振る。何も起きなかった。
「ふうむ……ではこれはどうかな? 白樺にユニコーンのたてがみ。29センチ、良質で従順だ。曲がり所が無い……――お嬢さん、そこの椅子に座って待ってて下さいな」オリバンダーが言った。
 最後の一言は明らかに名前に対して付け加えられたものであり、彼は名前が居たことに気付いていたらしかった。名前が返事をする前に、店の壁際にあった椅子が名前の方にピョンと進み出た。
 オリバンダーの言葉で気付いたのか、男の子とその母親がこちらを振り返った。名前は男の子の薄いグレーの瞳と目が合ったので、気にしないでという意味を込めて微笑んでおいた。上手く通じたのかは解らないが、男の子はすぐにオリバンダーの方に向き直って、オリバンダーから渡された杖を振るという作業に戻った。先程と違い、彼が振った白樺の杖は小さく火花が散らせたが、それで決まる訳ではないらしく、オリバンダーさんはすぐにそれを取り上げた。
 聞いた話では、杖選びというのはすぐに決まる時とそうでない時とあるらしい。名前は気長に待つことにした。何かを待つのは得意だった。

 男の子の杖が決まったのは、名前が店に来てから七本目の杖だった。十分ほどが経っていただろうか。男の子の持つ杖の先からは、まるで流れ星のように金色の光が次から次へと迸っていて、やっとぴったりの杖を見つけたのだと示していた。
「サンザシに一角獣のたてがみ。25センチ、弾力性がある。これが、お前さんの杖じゃ」
 男の子の母親が杖の代金を支払っている。杖が決まってようやく人心地がついたようで、その子が名前に話し掛けた。
「待たせて悪かったね。君もホグワーツかい?」
 その子の言い方はちっとも謝っているようには聞こえなかったが、名前は気にしなかった。折角話し掛けてきてくれたんだから邪険にしては申し訳ない、とそう思って、名前はボーバトンならフランスの街に買いに行くだろうしダームストラングからは遠すぎるよ、などと揚げ足を取ったりはしなかった。
 うん、と返事を返すと、男の子は満足したようにふふんと鼻を鳴らした。
「僕は絶対に、スリザリンに入るんだ。父上と、あそこにいる母上も、スリザリンだったからね。僕のお祖父さんとお祖母さんもさ。君はどの寮に入るのか、もう決まってる?」
 男の子は一気にそう捲し立てた。上手に口が動くものだ、名前はそう思って、心の中でひっそりと笑った。
 名前の父親はスリザリンで、母親はレイブンクローだった。けれど寮は家系で選ばれるものではないようだし、代々スリザリンだったとしてもグリフィンドールになったり、レイブンクローやハッフルパフになることだってあるということを名前は知っていた。
「わかんないな」と名前は答えた。
「ふうん。そうなの」
 男の子は何処か得意そうに、そして何処か期待が外れたように、そう言った。

 男の子の母親が彼の名前を呼んだ。杖の支払いが済んだらしい。「今行きます母上」と、男の子は母親の方を見て返事をした。しかしすぐにまた名前の方へ向き直り、そしてこう言った。
「じゃあまた、ホグワーツで会おう」
 ドラコ・マルフォイはそう言い残して去っていった。

「さあお嬢さん、あなたの杖を選びましょう」うきうきと、オリバンダーが名前に言った。


 ハシバミに、ドラゴンの琴線を杖芯とした24センチの杖。それが名前の杖になった。
 あの男の子が帰った後、名前は杖を選んだ。長く時間が掛かったような気がしたが、オリバンダー老人は手慣れていて、疲れた素振りも見せなかった。逆に名前の方が杖を振るのに飽きていたぐらいだった。杖選びが長引けば長引くほど、オリバンダーは目をきらきらと輝かせ、よっぽどこの仕事が好きなんだろうなと、おざなりに杖を振りながら名前はそう思っていた。

 やっぱり、好きな仕事をするのは楽しいんだろうと、『イギリス全土に生息するドラゴンの習性とその生態』を本棚に戻しつつ、名前はそう思った。
 杖を買った後にやってきたフローリシュ・アンド・ブロッツ書店はまさに汗牛充棟で、所狭しと本が積み上げられていた。梟をやめて、本を買うのも良いかもしれない。名付け親が持っていても見せてくれないような、危険な魔法が書かれた本とか。
「ずるいよ! どうしてパースは自分の梟が買ってもらえるんだい?」
「僕は監督生だぞ! 自分の梟を買ってもらって何が悪いっていうんだ!」
「悪いさ! 僕ら家族にはエロール爺さんがいるじゃないか!」
「あいつは僕のじゃないがこいつは、僕んだ! 悔しいならお前達も再来年監督生になるんだな!」
 言い争っていた三人の内の、同じ顔をした二人が、全く同じタイミングでげーっとしてみせた。
「お前達! 馬鹿なことしてないでさっさと来なさい!」
 通り過ぎていった家族の会話を聴きながら、名前はやはり梟を買うことに決めた。手に取っていた『最も危険なドラゴン−ヘブリデス・ブラック種−を鎮める、最も危険な男−ジョニー・マクファスティー−』をぱらぱらと捲り、ぱたんと閉じてから、名前は教科書の会計に向かった。

 イーロップ梟専門店で、名前はメンフクロウを買った。大通りですれ違った男の子が持っていたシロフクロウもとても魅力的だったのだが、名前はユニークな顔が気に入って、メンフクロウを買うことに決めたのだった。名前をつけてやらないと、と名前は思いながら、学用品のリストを思い出していた。
 杖やローブ、魔法薬の授業で使うのだろう大鍋など、必要な物は全て買い終わっていた。一人でいたからか割と早く済み、名前は少しだけがっかりしている自分に気付いた。
 もしかしたら――もしかしたら、名付け親がやはり心配だと言って来てくれるかもしれない。もしかしたら、父が死んでから会っていない幼馴染みに、また会うことができるかもしれない。名前は心の奥底で、そう考えていたのだ。

 そうだ、噂に聞いていたアイスクリームパーラーのアイスを食べに行こう。少しくらい贅沢したって良い筈だ。それに抱えていた沢山の荷物は店の人に軽くして貰ったし、名付け親に貸してもらった、物がいくらでも詰め込める鞄があるので荷物には困らない。名前はダイアゴン横丁の町並みを思い返し、フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラーへの道を急いだ。

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