ふたり

 自分がティアマトに嫌われていることは、名前だって解っていた。認めたくなかったのだ。

 ティアマト様が私をお嫌いなのは存じておりますから、他の者を呼んでくださってよろしいのですよと名前が言えば、第1大隊副隊長殿は「えっ」と言った。
「名前……さん?」
「すみません。私も出来る限りティアマト様には近付かないようにしているのですが」
 今度からはちゃんと、ジーノや、でなければ他の者を向かわせますねと、名前はにこりと微笑んだ。彼に対し、作り笑いを浮かべることに胸が痛む。名前だって、好いた男の前でくらい素直に笑いたかった。しかし苦痛に歪む表情を見られるよりはずっと良い。
 ティアマトは、困惑しているようだった。
「あの……名前さんが何を言っているのか、解らないのですが」
 柱の陰に隠れているティアマトは、じりじりと顔を覗かせたが、名前と目が合うとすぐさま引っ込んでしまった。
「何を、と申されましても」再び名前は苦笑した。「ティアマト様は私のことがお嫌いなのですよね」
「いつもそうして顔を隠されますし、私の方を見ても下さらないので……ご不快にさせてしまい、本当に申し訳ありません」
 星王からの命令は伝えたし、もう名前が彼の前に留まる理由はなかった。失礼しますと頭を下げて、ティアマトに背を向ける。


 部屋を出る寸前に勢いよく腕を掴まれて、危うく転びそうになる。「す、すみません……!」
 ぐるりと体の向きを変えられた。それからティアマトがすぐ目の前に居るという事実に驚く。何せ、腕の長さ分だけしか離れていないのだ。見慣れた隊服に、赤銅色に輝く髪をした彼を、これほど間近で見たのは久々だった。
 どうしてティアマトが自分を呼び止めたのか、名前には解らない。
 すみませんと謝ってから、暫くの間ティアマトは言葉にならない声を出して、あちらを見たりこちらを見たりしていた。忙しない。しかしそれ幸いと、名前は彼の顔をじいと見詰める。それから唐突に彼と目が合ってどきりとする。
「オレが名前さんのことをきら、嫌っているというのは、間違いです」
「……はあ」
 何を言っているのかと、名前は少しだけ眉を寄せた。自分がティアマトに嫌われているのは周知の事実だと思うのだが。ティアマトはやはりそれから暫く目を宙に彷徨わせたが、やがて言った。「オレ、は、女性が苦手なんです」

「……はい?」
「男所帯で育ったせいか、女の人に慣れないんです。どうしても身が竦んでしまって。だから、決して、名前さんのことを嫌いとか、そういうのじゃないんです。むしろ……」
「むしろ?」
 名前が問い掛けると、ティアマトは口を噤んだ。その顔は、こちらが恥ずかしくなりそうになるくらい赤い。
 ――女が苦手だって?
 初耳だ。しかしそう言われてみると、確かにティアマトが柱の陰に身を隠したり、距離を取ったりするのは、名前を相手にした時だけではないような気もする。しかし大隊の副隊長ともあろう人が女嫌いだなんて――。

 名前が小さくふふふと笑い出すと、ティアマトはますます顔を赤くさせた。
「あの、名前さん、オレも一応、この事は気にしているので……」
「ああ、いえ、すみません」名前は笑いをひっこめた。が、どうしても頬が緩んでしまう。「私が特別嫌われていたのではないのですね」
「それが嬉しくて」
 堪え切れなくなって笑みを漏らすと、ティアマトは小さく頬を掻いた。


 笑いが収まった頃、名前は「そろそろ手を離して頂いていいでしょうか」と言った。ティアマトに掴まれた右腕はそのままだったのだ。名前のそれと違い大きな彼の手の平は、硬くなったまめでいっぱいだった。ティアマトは、名前の手を離さなかった。不安になって彼を見遣れば、ティアマトはただじいと名前の手を見ている。
 その顔がだんだんと赤くなってきた。
「オレはむしろ――むしろあなたのことを想っていて……だから、嫌われているものとばかり……」ティアマトが顔を上げた。「オレも、名前さんに嫌われていないのであれば、
それほど嬉しいことはないです」
 そう言って、ティアマトは再び視線を逸らした。しかし今度は名前が赤面する番だった。二人は顔を赤くさせたまま、我に返るまでずっと手を繋いでいた。 

[ 50/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -