ひびわれ

 プリズナーさんは男が好きなんでしょうと尋ねると、彼はその巨体をほんの僅かに揺らし、「ああそうだよ」と返事をした。


 名前は彼が着替えているのを、後ろからただ眺めていた。学生時代の兄の友達だというプリズナーは、名前と兄の年が離れているのと同じように年が離れていた。名前はまだランドセルを背負っていて、彼とは十以上も年が離れている。この日、兄は留守だった。脱獄したばかりのプリズナーが名前の家に寄るのも初めてではなく、名前は彼を家へ上げ、念の為にと鍵を閉めておいた。誰かが来ても居留守をしよう、そう思った。
 プリズナーは兄の服を着ていた。白と黒の服は丁寧に畳まれて置いてある。体格の良い彼に、父親譲りでひょろっちい兄の服が合う筈もなく、この家を後にするプリズナーはいつもぱっつんぱっつんの服を着ており、それだけで捕まるのではないかと密かに名前は心配している。
 両親は他界し、会社勤めの兄は夕方までは帰らないだろう。兄が帰るまでは此処に居てよと名前が言えば、プリズナーは「うん」とも「いや」ともつかない返事をして苦笑したのだった。

 うおおおおてめえまた来たのかとっとと国へ帰れ、冷たいな俺とあなたとの仲だろう、誤解されるような言い回しすんなつか名前に誤解されたらどうしてくれる、その時はその時だ、てめえぶっ殺す。
 プリズナーと兄の会話は軽妙で、彼らが親しい仲であることを如実に表している。名前ではプリズナーにあんな口を利くことはできない。もっとも――例え名前がプリズナーと同い年であったとしても、兄のように軽口を叩けるかどうか定かではない。

 名前はじいとプリズナーの背を見詰めていた。逞しい体付き。名前の身近に居る人間で、彼ほどに筋骨隆々な男は居ない。その体に触れてみたいと言えば、プリズナーはどんな顔をするだろうか。驚くだろうか。軽蔑するだろうか。


 着替えを終えたプリズナーは、やはり何というか、見た目が怪しかった。丈が足りていないし、何だかぱつぱつしている。まあ本人が嬉しそうだから、突っ込むのも野暮というものだろうか。名前が宿題に向き直ると、狙ったかのようにプリズナーが名前の側へ来た。これでは宿題ができない。
「偉いな、ちゃんと宿題をして」
 名前は顔を上げた。プリズナーが見下ろしている。彼の口振りが記憶の彼方にある父のそれと重なって、何だか嫌だった。
「だって、先生に怒られるんだよ。やってなかったら」
「はは。俺の時も先生は怒っていたな。俺はあまり真面目な方ではなかったし」
 宿題の代わりに何をやっていたのかと問えば、言葉を濁された。つまりは、何をやっていたのだろう。プリズナーは「数学……いや算数か」などと懐かしげに呟いている。名前はすっかりやるきを削がれてしまい、鉛筆を投げ出した。まあ、続きは後からでもできる。
「プリズナーさんは男が好きなんでしょう」

 唐突な質問に、プリズナーは面食らったようだった。答えるまでに、いくらか間が空く。
「ああそうだよ」
「どうして? 普通、女の人を好きになるんじゃないの?」
「どうしてかな。でも、男の人だから好きなんじゃないんだよ。好きになる人が決まって男なだけさ」
「よく解んないな」
 名前が呟くと、プリズナーは笑った。
「兄ちゃんのことが好きなの?」名前は彼の胸元、引き延ばされたメーカーのロゴを見ながら言った。プリズナーは言葉を濁して、名前の質問に答えなかった。
 答えたくないならそう言えばいいのに。でなければ、聞かなかったことにすればいいのに。
「僕のことは?」
「名前ちゃんの事も好きだぞ」

 あっさり返ってきた返事に、胸の中の何かが罅割れたような錯覚を覚える。

「ねえプリズナーさん」
「ん?」
 名前は言おうか言うまいか悩んだが、結局言うことにした。僕はあなたのようにうやむやにしないのだと、そんな誇らしいような汚らしいような気持ちに浸りたかったのではないだろうか。
「僕がプリズナーさんのことを好きって言ったら、困る?」


 やがてプリズナーが言った。「ありがとう」
 ありがとう、たったそれだけ。結局のところ、この人ははぐらかしてばかりなのだ。まさか本気でS級ヒーローと一ファンだなどとは思っていないだろう。名前は俯き、そっと唇を噛み締めた。

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