C級ヒーローの無免ライダー、彼と共に暮らしている名前は、人間ではなかった。つまり、怪人なのだ。
 名前の生まれは海の底、それも地上から何千メートルも離れた海の底だった。海人族、それが名前の正体だ。海人族を統率する一族の長子として生まれた名前は、幼い頃から何不自由なく生活してきた。しかしもちろん、それは海の中での話だ。
 名前は、海の中で手に入るものなら何でも持っていた。海のことなら何でも知っていた。しかし、海より上のことは何も知らなかった。地上のことも、天空のことも。名前は知りたかった。そして、名前はこっそりと海を出た。深海の水圧に対応している体を浅瀬まで浮かばせるのは困難だったが、海人族一の知識人に助けを乞い、何とか地上でも適応できるようにしてもらった。それが、二ヶ月前。


 地上にやって来た名前は、「人間」のあまりの多さに愕然とした。海人族の数十倍、数百倍の人間が地上を闊歩していたのだ。予想外だった。
 人間について、名前は偏った知識しか持っていない。自分達と同じ知的生命体だということ。地上を支配している生き物だということ。そのくらいだ。そして実際に名前が知っている人間とは、海で溺れ、腐乱した者ばかりだった。ぶくぶくと白く膨れたそれと違い、太陽の下を歩く人間達は、皆鮮やかな色をしていた。
 深海には無い色ばかり、だった。
 人間は一人一人違った色を纏っていた。後から知ったがそれは服と呼ばれるもので、人間が薄い表皮を守る為に身に付けているものだった。取り外しも可能だ。人間は好きな時に、好きな色を纏うことができる。しかし、その時の名前はそうと知らず、人間とは何て多様な種類がいるのだろうと感心していた。海人族と一口に言っても姿形は様々だ。しかし、深い海の底には光は届かず、海水の色とも合わさって、海人族は皆黒々としている。遠い昔、名前達は深海へと追いやられたのだ。人間の手によって。
 人間は、淡い桜貝のような色をしている者、クマノミを思わせるような色をしている者、海の青とよく似た色をしている者、実に様々だった。
 太陽の日差しがちりちりと肌を焼く中、名前は自身の体をそっと見下ろした。人間の、目を奪われるような鮮やかさに比べ、初めて日の下で見た自分の体は――実に味気なかった。

 名前はただ、あの鮮やかな色が欲しかった。

 気が付けば、名前は人間に囲まれていた。彼らは自身をヒーローと名乗り、敵意に満ちた目を名前に向けていた。別に、名前だって知っていたのだ。人間は排他的で、自分達以外の知的生命体を嫌悪していることを。こうなる事は予想できたかもしれない。それにも拘わらず名前が不意を衝かれたのは、人間が持つ鮮やかさに惹かれていたからだろう。
 ヒーローと名乗った人間達は、名前が動かないのを見るに、次々と攻撃を仕掛けてきた。それらは深海という過酷な環境で暮らす名前にとって、実に幼稚なものに思え、同時に自分が歓迎されていない事だけは理解した。
 体当たりをいなしたり、拳を受け止めたりしている内に、段々と生存本能へと火が付き始める。思えば死んだ人間は食べたことがあるが、生きたまま食べたことはない。海水で見るも無残に膨れ上がる前、血が流れ、筋肉も自在に収縮する今、彼らはどんな味がするのか。海を出て、歩き回った距離だけ水分を失っていた名前の体が、彼らの生き血を求め始める。ごくりと喉が鳴った。

 名前を攻撃してきた者達は、皆似たような格好をしていた。もっとも、色は違うが。彼らはじわじわと数を増やしており、人間の顔の見分けが難しかった名前にとって、どの人間がどれほどの実力を持っているのか、推し量るのは困難だった。
 だから――油断した。
 どれもこれも、似たような力しか有していない、そう決め付けていた。左の脇腹にまともにめり込んだ拳に、名前は吹き飛ばされる。がんっと硬い柵にぶつかり、思い切り咳き込んだ。骨が折れていた。霞む目で人間の方を見遣れば、右で握り拳を作った男が、名前をすっと見詰めていた。
「舎弟達が世話になったな」

 力量を――力量を、測り損ねていた。弱小種族だと侮っていた。彼らは名前達海人族に劣る生き物であり、自分が負ける要素はどこにもないと、そう思っていた。
 荒い息を吐きながら、父が常々言っていた事を思い出す。人間は弱いが、野蛮だから近付いてはならないと。名前を見据え、殺気を漲らせている男の実力は、他の人間達とは比べ物にならなかった。群を抜いていた。化物染みていた。水の中ならいざしらず、陸の上でこの人間に勝てるとはまるで思えない。
 名前は駆け出し、人間達があっと叫び声を上げる前に橋の上から飛び降りた。下に流れていた用水路が、名前の命運を分けた。

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