イアイアンが名前の元を訪れてから二日後、彼女は退院することになった。本当は一日でも良かったのだが、病院側が大事を取り、もう一日入院を伸ばしたのだそうだ。帰ってきた彼女は、以前と変わらずアトミック侍を慕っていて、以前と変わらず元気だった。怪我をしたという足も、簡単に包帯が巻かれているだけで、少しも痛みはないようだ。
 彼女が帰ってきてほっとしているということは、やはり、彼女に対して親しみ以上の感情を抱いているということだろうか。
 それからふと、名前が自分の隣に立っている事に気が付いて、イアイアンは僅かに狼狽えた。
「お見舞いに来てくれたの、先輩だけだったんですけど」
「……は?」
 師匠にとって私は要らない子なんでしょうかと、名前は不平を漏らした。僅かな既視感がイアイアンを襲う。彼女からしてみれば、入院だろうと何だろうと、アトミック侍からの労いの言葉が欲しかったのだろう。イアイアンは眉を寄せた。
 そして何故、見舞ったのが自分だと知っているのか。
 イアイアンは確かに、彼女の見舞いに行った。病室のすぐ側までは足を運んだ。だが、実際には彼女と顔を合わせていない。イアイアンから彼女の様子は窺えたが、彼女がイアイアンの事に気が付いている様子はなかった筈だ。あの時の看護師に聞いたのかとも思うが、イアイアンは名前を見舞いに行った時、いつもの甲冑姿ではなかった。A級ヒーローのイアイアンだと、ばれていたとは思わない。
「ちょっと、何青い顔してるんです」名前が不思議そうに言った。「先輩は違うかもしれませんけど、私の知り合いに片腕の人なんてそうそう居ないんですよ」
「……ああ」そういう事かと納得する。
「別に、俺以外の奴らが行きたがらなかったわけじゃないぞ。どうせ二、三日で退院するって話だったから、そう何人も行く必要はないんじゃないかという話になったんだ」
「ふうん……そうですか」
 名前はつまらなそうにそう言った。師匠も来たがってました?と尋ねるので、一応頷いてやる。アトミック侍が見舞いに行きたがっていたかは正直なところ解らない。しかし、彼女のことを心配していたのは確かだ。
「で、先輩、どうして部屋まで来てくれなかったんですか?」

 イアイアンは口を閉ざした。ねえねえと、どこか面白そうに尋ねてくる名前に、思わず拳を握る。
 名前は笑っていた。
 ばれているのだろうと――そう思った。イアイアンが何故病室まで訪れなかったのかを。そして、見舞いを躊躇したその理由さえも。名前は決定的な言葉を口にしはしなかったが、イアイアンが今まで自分の気持ちに気付かなかったのと同じように、名前がイアイアンの気持ちに気付いていないとは思わない。
「まあいいです」名前が笑った。
「先輩が病院に来てくれただけで嬉しいので」
 嬉しそうにふふふと笑う彼女に、イアイアンは目を瞬かせた。


「……名前?」
「なんです?」
 お前が好きなのは師匠じゃ、なかったのか。そう尋ねれば、今度は名前が不思議そうにする番だった。「好きですけど」
「師匠としてですよ。勿論」
 黙り込んだイアイアンを余所に、名前はぽつぽつと昔のことを話し出した。十年ほど前、怪人に襲われた時に偶々通り掛かった侍風の男に助けられたこと。その男に憧れて、剣の修業を始めたこと。しかし独学では限りがあると悟り、アトミック侍に弟子入りすることに決めたこと。そしてそのアトミック侍が、自分の命を救ってくれたその人であると最近気が付いたということ。
 彼女が話し終え、暫くしてから、漸くイアイアンは口を利けるようになった。
「……お前は、師匠に惚れ込んで、入門したんじゃなかったのか」
「はあ……」名前が言った。「もちろん、惚れ込んでですよ。師匠の剣の業に、ですけど」
 もはや人間とは思えない域ですよねと、彼女は笑う。
「だって、お前、あれだけ師匠師匠と付き纏っておきながら……」
「付き纏ってって失礼ですね! 憧れの人に認めて貰いたいのは誰だってそうでしょう」
 名前が腹を立てたような素振りをしたが、イアイアンはもう何も言えなかった。そりゃ、確かにそうだ。イアイアンだってアトミック侍に自分を認めてもらいたいと思っている。誰だって、自分の師匠に褒められたいと、そう願うのは当たり前だ。当然の、ことなのだ。

 黙り込んだイアイアンを見上げながら、名前が言った。
「私、先輩のこと好きですよ」

 イアイアンは改めて名前を見下ろした。漸く肩まで届くようになった髪は後ろで一本に括られていて、剣の邪魔にはならないだろう。
 あとどれくらいしたら、元の長さまで伸びるのか。
「……どうせ、兄弟子として、なんだろうが」
 イアイアンがそう言うと、名前は笑った。「嫌だなあ」
「女の子から言わせるんですか? ま、先輩らしくていいですけど」

「口煩くて、人の事ばっかり考えてて、そうやって真っ赤になっちゃうイアイ先輩のこと、私、好きですよ」
 長く溜息を吐き出すと、名前はけらけらと笑った。


「……そっちに」
「はい?」
「そっちに立っていられちゃ、撫でられんだろうが」
 大人しくイアイアンの右側に回り込んだ名前の、その頭の上に手を乗せる。ぐりぐりと頭を捏ね繰り回すようにして撫ぜてやれば、彼女は最初の内ぎゃあぎゃあと喚いていたが、やがて笑い出した。いつもの――彼女がよく見せる底抜けに明るい笑顔と違い、控えめで、落ち着いていて、それでいて実に名前らしい笑い方だった。
 こうして静かに笑う彼女を知っているのが自分だけなら良いのだがと、イアイアンは微かにそう思った。

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