イアイアンが右手だけでもまともに剣を振るえるようになった頃、今度は名前が入院した。何でも、引ったくりを捕まえようとして盛大に足を滑らせ、足の筋を捻ったのだとか。馬鹿じゃないのかと思った。二、三日入院することにはなったが大事はないらしく、殆ど様子見のようなものらしい。
 彼女の怪我が酷くないと聞いて、安心している自分が居る。
 数日で退院するということで、イアイアンの時のように大勢で見舞う必要もないだろうと、彼女の見舞いにはイアイアンただ一人が選ばれた。何故イアイアンかというと、自分がまだ怪我人の域を脱していないからだ。できる限り安静に過ごしていた方が良いだろう、という判断らしい。出歩いている時点で安静も何もあったもんじゃないが、アトミック侍に「名前によろしくな」と言われたのでは反論もできない。

 名前が入院しているのは近くの市民病院だった。この間まで自分が世話になっていた場所に、再び足を踏み入れる。待合室には診察を待つ沢山の患者が居て、厳かな雰囲気に満ちていた。イアイアンは受付で彼女の病室を尋ね、指示された通りの場所へ向かう。
 病室は入り口とは反対側の棟の二階にあり、廊下の窓には暖かな西日が射していた。病室の番号を一つ一つ確認して歩きながら、目当ての部屋を探す。名前が寝ている筈の病室は、扉が半分ほど開いていた。
 スライド式の戸に手を伸ばすが、部屋の中から聞こえてきた笑い声にぴたりと停止させる。四人用の病室だったが、現在入院しているのは名前一人で、聞こえる笑い声の片方は彼女のものだった。戸に手を掛けず、空いた隙間からそっと中を窺えば、若い男の後ろ姿が目に付いた。黒髪のその男に見覚えはない。イアイアンは何をするでもなく、ただ二人の様子を眺めていた。
 五分――いや、実際には一分にも満たなかっただろうが、名前と見知らぬ男が笑い合っているその光景は、五分間にも一時間にも感じられた。後方から「どうかなさいましたか?」という看護師の問い掛けがなければ、実際にそれ以上の時間を此処で佇んでいたに違いない。
「いえ――」不思議そうに自分を見る年配の看護師に、どう答えようか悩む。「――知人の見舞いに来たのですが、他に来客があるようで。その……これ、名前さんに渡しておいて頂けませんか」
 名前の為に持ってきた着替えやら何やらを半ば押し付けるように渡し、イアイアンは足早にその場を後にした。背後からは依然として名前と、そして見知らぬ誰かの談笑する声が聞こえていた。


「どうだった、名前の様子は?」
 道場へ戻った後、オカマイタチがイアイアンにそう尋ねた。「ああ、別に――普通に、元気だったようだぞ」
 ようだってどういう意味よ、とオカマイタチが首を傾げる。
「イアイ、名前はいつ退院するんだ? 明日か?」
 ブシドリルにそう尋ねられてから、はたと気付く。イアイアンは結局、名前に直接会っていない。医師からどういう診断を下されたのか、もちろん知らないのだ。黙り込んだイアイアンを訝しんでか、兄弟弟子の二人がイアイアンを見詰める。
「あー……その、」

 名前に直接会ったわけじゃないのだと白状すると、二人は呆れたような顔をした。
「お前、何の為にわざわざ病院まで行ったんだよ」
「そうよ」オカマイタチが同意を示した。「それに、あの子拗ねるわよ」
「拗ねる?」
 イアイアンはふんっと鼻を鳴らした。
「その割には、知らねえ奴と楽しそうだったがな」
「そりゃお前が知らねえだけだろ」
 ブシドリルのもっともな突込みに、イアイアンは黙り込んだ。確かに、イアイアンが知らないだけで、例の男は名前の知人だ。ひょっとすると、知人以上の関係かもしれない。
「というかイアイ、名前のこと好きだったの?」
 至極当たり前の問い掛けに、イアイアンは何も答えることができなかった。


 オカマイタチとブシドリルは、口を噤んだままのイアイアンを見て、肯定だと解釈したらしい。イアイが名前をねえ……などと好き勝手に呟いている。
 オカマイタチに言われるまで、イアイアンは自分の中で燻っている彼女への気持ちが、恋愛感情だとは気付いていなかった。そもそもにして、彼女は生意気な妹弟子であって、恋愛の対象になる筈がないのだ。しかしアトミック侍しか見ていないことへ感じる焦燥や、病室で見知らぬ誰かと笑い合っている名前を見た時の苛立ちは、自分が彼女を好いているからなのだと理由付けたら、いやに説得力があった。
「あいつが……好きなのは、師匠だろう」
 そう小さく呟けば、オカマイタチとブシドリルは否定も肯定もしなかった。

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