今日も今日とて、名前はアトミック侍の元へ行き、褒めて褒めてと尻尾を振った。その様はいかにも飼い主にじゃれつく犬のようで、親しい友にはポチだとかハチだとか呼ばれているらしい。
 犬というよりただの馬鹿だと口にすると、オカマイタチが「可愛いものじゃない」と不思議そうに言った。
「イアイ、あんたどうしてそう名前を敵視してんのよ」
「てき……別にそんなことはないぞ」イアイアンは口籠った。「ただ、あんまり師匠の手を煩わせるのはだな」
 それを敵視と言うんじゃないのと、オカマイタチは呆れたように呟いたが、イアイアンは聞かなかった振りをした。

 名前がアトミック侍に惚れ込んで弟子入りしたというのは、周知の事実だった。
 彼女はアトミック侍に心酔している。師としてだけでなく、一人の男として彼を好いている。別に名前自身が口にしたわけではないが、彼女の態度にはっきりと現れている。弟子入りしたのも惚れたのが理由だと、そう言い出したのは誰だったか。あながち間違ってはいないのだろう。そしてアトミック侍その人を除いては、名前が彼を好きだということは、変えようのない事実として弟子の間で浸透している。
 イアイアンはそれが気に入らなかった。
 剣の道を志す者として、色恋に浮かれているのはどうなのか。アトミック侍に好意を抱いているから、弟子入りしたというのは、どうなのか。
 イアイアンだってアトミック侍のことは好いている。惚れ込んでいる。師匠として、同じ剣の道を進む者として、S級ヒーローとして尊敬している。しかしそれはもちろん色恋沙汰ではない。例え自分が女だったとして、そして仮に異性としてアトミック侍を好きになったとして、それを理由に弟子になったりはしないだろう。

「第一、おかしいだろう。普通、惚れた腫れたで弟子入りまでするか?」
「それの何が悪いのよ」
「悪くはない、悪くはないが」
 気に食わない。
 憮然とした表情を崩さないイアイアンを見て、オカマイタチと、それからブシドリルが顔を見合わせた。

 視界の端で、アトミック侍に褒められたのだろう名前が、嬉しそうに飛び跳ねているのが見えた。体全体で嬉しいと叫んでいるようで、イアイアンは思わず舌打ちする。
 彼女がああして子どものように喜びを表現するのはアトミック侍の前でだけだった。そのおかげで、アトミック侍は名前のことを子ども扱いしている節がある。彼女は存外シビアな考え方をしていて、愚痴だって漏らすのというに。また、弟子の中で紅一点だということもあって、甘やかされてもいる。もっとも、名前自身はそれでも足りないらしいが。

 アトミック侍が名前のあからさまな愛情表現に気付かないのは、彼が名前のことを子どもだと思い込んでいるからかもしれなかった。

 名前が何度アトミック侍に「好きです!」と叫んでも、彼は「おうありがとな」と受け流すだけで、言外に含んだ意図をまったく読もうとはしなかった。不思議なことに、名前も自分が弟子以上に見られていないことに対しては、さほど気にしていないようだったが。
「師匠、もっと! もっと褒めてください!」
「おうおう、偉いぞ名前」
「ありがとうございます! 好きです!」
 にこにこと笑ってそう言った名前に、アトミック侍はがははと笑った。周りに居る弟子達も、懲りないなあと呆れ半分、微笑ましさ半分でそのやり取りを眺めている。


 イアイアンが初めて名前に会った時、彼女の髪は腰ほどの長さがあった。それが今は肩に届くか否かというところで、何年もかかって伸ばしたのだろう髪を彼女が切ったのは、刀を振る際に長過ぎては支障が出るだろうと言われたからだった。女の手そのものだった彼女の手は、毎日何百回も竹刀を振っているおかげで、いつしか固くなり、ともすれば男と見紛うほどになっていた。
 女だから男だからと、イアイアンは言うつもりはない。
 例えそれに準じた言葉を口にしたとしても、それは男女の間には覆せない差があるからだ。体力も、筋力も、女のそれは男に劣る。しかし、精神面においてはさほど差は無い筈だ。解っている。名前が本当に剣の道を極めたいと思うのなら、それは無理ではない筈なのだ。
 例えそれがアトミック侍に惚れたからだとして、それが間違っているとは――思っていない。
「だが、気に食わん」
 零れ出た呟きに、返事をする者は居なかった。

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