「別に、答えたくなかったらそれで良いぜ」
 無意識の内にポケットに手を伸ばしながら、名前はそう言った。煙草はもう無い。そして少年の目の前で吸う気も毛頭ない。ロクゴーが目を上げた。安堵の色がある、気がした。
「問題はだ、お前が何か事件に巻き込まれたのか、そうでないのかだ。誘拐されて、命からがら逃げ出してきたとかじゃあねえよな?」
 ロクゴーは一瞬間を空けたが、頷いた。
「じゃ、いい。なら家出か?」
 再び首肯。
「大分汚れてたが……どれくらいほっつき歩いてたんだ? まさかそう何日も経っちゃいねえと思うが」
「……わからない」
「そうか」
 名前はがしがしと頭を掻き、それから三本指を立てた。
「ロクゴー、お前にはいくつか選択肢をやる」
 それからふと思い立って、「まあ、まず最初によくやったと言っておくぜ」と付け足した。
「一つ目。実家の住所を吐き、俺に家へ送り届けられる。お前は今まで通りの生活を送ることになるだろうな。二つ目。俺にSOSを出し、然るべき機関に――児童相談所とか、そういうのだ――通報を入れさせる。親と今まで通りとは行かねえだろうが、まあ状況は改善するだろうよ。そして三つ目」
 怯え切ったロクゴーに説明を加える。「言っておくが、俺はお前を単なる家出少年じゃなく、虐待されていた家出少年だと思ってる。見たところ怪我はなさそうだが、卵を知らねえ、テレビも学校も知らねえ――そんなガキが居てたまるか。俺は出来た人間じゃねえが、虐待すると解ってる親元へ送り返すのが、間違ってるってことくらいは解ってる。ただ、お前にも事情があるのも解ってる」
「三つ目は、俺に家出した理由を話さず、ただ俺と一緒に暮らす。俺は何も聞かなかったことにするし、お前も何も言わなかったことにする」
 顔を上げたロクゴーは、口をぽかりと開けていた。
「俺達は共犯者になるわけだ。言ってる意味解るか? 普通、家出少年を見付けた場合は警察に言わなきゃならねえ。しかし家出だと気付いてなかったなら、話は変わってくる。お前は親の友達の家に転がり込んだだけ、俺は友達の息子を暫く預かることを了承しただけ。お前が黙ってさえいれば、俺にもお前にも何の不利益もないわけだ」
 嘘だった。ロクゴーを匿っていることが誰かにバレれば、どう足掻いても名前が罰せられるだろう。
 しかし、名前は既にこの少年に情が移っていた。
 この子供の親がどんな人間かにも寄るが、仮に想像を絶するような悪い輩だった場合、この少年は親戚に引き取られるか、施設に収容されることになるだろう。寒空の下をさ迷い歩いていたのだから、後者の割合の方が高そうだ。遅かれ早かれそうなるだろうが――いや、そうなるべきだが――それなら彼の心がしっかりと回復するまで、名前が面倒を見ていたって構わないのではないか。

 俺を見詰めるロクゴーの目は、濡れた段ボール箱の中で震えながら俺を見上げる、猫のそれと重なった。

 これはお人好しと言われても仕方がないなと、内心で笑う。そしてロクゴーは、呟くように言った。
「お前と一緒に居る、のか?」
「“お前”じゃない。名前さんだ」
「名前さんと、一緒に居て……良い、の?」
「理解の遅い奴だな。それをお前が決めるんだ。好きにしろ。袖振り合うも多生の縁だ。お前が落ち着くくらいまでは面倒見てやるよ。どれでも好きにしろ」
 ロクゴーは、少しだけ笑った。
 捨て猫とこいつが違うのは、その感情を明確に表すところだな。
 名前は煙草を取り出そうとして手を動かし、それが叶わぬ望みだと後から気付く。煙草を買ってこなくては。そしてこれからは、逐一ベランダで吸わなくては。手持無沙汰になった手で、仕方なく頭を掻いた。


 ロクゴーは三つ目を選んだ。つまり、名前と共に暮らすという選択肢を。こいつを拾った時にも思ったが、まったく妙なことになってしまった。犬や猫を拾ったことは何度かあるが、人間を拾ったのは初めてだった。まあ、滅多にあることじゃないだろうが。
 そういえば、誰かと暮らすのは初めてかもしれないな。
 友達を泊めたことはあっても、この家で一緒に暮らしたことはなかった。猫や犬を飼ったことはあっても、所詮それらは畜生だ。名前は一人、そっと笑った。

[ 290/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -