要素

 家に帰ってきて、まず一番最初に目に付いたのは、見慣れぬ黒い靴だった。男物のそれは、名前のものではない。しかし、見覚えはある。靴だけでも大分驚いたが、誰も居ない筈の浴室から水音が聞こえてくることに気付いた時は、文字通り飛び上らんばかりに驚いた。名前は一人暮らしだ。誰かが家に居る筈もない。
 おそるおそる近付くと、シャワーの音が止まる。
「すまん。借りている」
「……ソニックかあ」名前は脱力した。

 昔馴染みの男が名前に再び声を掛けたのは、それから十分ほど経った後だった。タオルを貸して欲しいとのたまう彼は、厚かましさにより磨きをかけていると思う。もっとも、だからといって貸さないわけではない。少しだけ開かれたドアの隙間から、バスタオルを手渡す。ソニックが浴室から出てきたのはその少し後だった。
 湯気を纏いながら名前に近寄る彼は、腰元にバスタオルを巻いただけの実に無防備な姿だった。もう一枚渡した筈のフェイスタオルは頭上にぞんざいに乗せられていて、あまり機能していないようだ。ぽたぽたと滴が垂れている。
 しかし――忍者のくせにどういうつもりなのだろう。警戒心はないのだろうか。それに、傷だらけの裸体を拝ませられる身にもなって欲しい。
「ソニックくんは私の家をホテルか何かだと思ってるの?」
「こんなサービスの悪い宿になど泊まらん」
「それはごめんなさいね……麦茶ならあるけど」
「頂こう」ソニックが笑った。

 グラスに麦茶を注ぎ、ソニックの方へ戻れば、彼は名前が座っていた場所のすぐ隣に腰を下ろしていた。それはごく当たり前のようで、同時に不自然にも思えた。何となく向かい側に座り、手を伸ばしてグラスを渡せば、彼はにやにやと笑っていた。性格の悪い奴だ。いつものフェイスペイントが無いせいで、彼の童顔が更に幼く映る。
「というかソニックさ、逮捕されたって聞いたけど。新聞で見たよ」
「お前が社会のことに目を向けていたとは驚きだな。それとも、そんなに俺のことを気に掛けていたのか」
 名前は黙り込んだ。ソニックはそんな名前を見て笑ってから、麦茶を一気に呷った。特に何をするでもなくその様子を見ていれば、色素の薄いソニックの目と目が合う。視線を逸らした。
「街で暴れたって書いてあったけど、まだ刑務所の筈じゃないの?」
「脱獄した」さらりとソニックが言う。「名前、お前そんな事も解らないのか? それとも俺が脱獄すら出来ないとでも?」
 何となく状況を察し、頷いた。「犯罪者じゃん……」
「犯罪者さんはさっさと出ていってくれませんかね」
「冷たい奴だ。雨に降られてな。上から下までびしょぬれだ。お前の家が近くにあったのを思い出して、寄っただけのこと。服が乾くまでは居させてくれ」
 その服がどこにあるのかと問えば、洗濯機の中だと言われた。こいつ、人の家で洗濯までしていやがる。
「服で思い出したが、名前、何か着る物はないか。下着も頼む」
「服は、私のサイズで入るだろうけど……男物の下着なんてないわよ」
「お前、彼氏の一人でも居ないのか」
 答えずにいると、ソニックが笑った。
「別に俺はこのままでも良いんだが、お前があまりにも俺の方を見るのでな」

 別に、見てなんか……と口籠った時、向かい側に座っていたソニックが消えた。名前の隣に移動したのだ。彼の火照った体を、すぐ間近で感じる。
「素直に言ってしまえば良いものを。名前、俺に見惚れていたんだろう」
 立ち上がろうとしたのだが、名前の膝の上に彼の手が載せられていて、何故だか動けなかった。押さえ付けられているわけではないのだが。金縛りにでもあっている気分だ。
 手は綺麗なのだなと、ぼんやり思う。
「素直に……」
「うん?」
「素直に言ったら、引くでしょう」
 頑なに視線を外していたのだが、「俺の目を見ろ」と言われて思わずソニックの方を向いてしまった。再び、彼の色素の薄いその目と目が合う。そして視界には半裸の彼が映る。古傷は薄く色付き、彼の肌をより白く見せていた。
 どうにかなってしまいそうだ。
「俺がお前を嫌う要素はない」

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