家出という可能性もあるなあと、自宅への道すがら考えた。
 草木も眠る丑三つ時とはよく言ったもので、近隣住人の誰もが寝静まっているようだった。名前などより世話焼きの大家や、下に住む老夫婦などの方が、この少年の世話には自分よりよほど適任だと思うのだが、致し方ない。元より丸投げする気もなかったが、犬猫ならともかく、何せ行き倒れを拾った経験はなかったので、自分の対応が正しいのか不安になるのだ。まあ、彼らだって人間を拾ったことはないだろうが。
 ガチャガチャと忙しなく鍵を差し込み、ぐっとドアを開く。少年は大人しくされるがままになっていて、それが名前の不安を切に煽った。椅子を引くのが煩わしく、ベッドに腰掛けさせてやる。急いでエアコンの電源を入れ、ふと少年の方を見れば顔にうっすらと赤みが戻っていた。コートに包まれたことによるのか、それともえっちらおっちらと上下運動を繰り返したことによるのか、はたまた誰かの居住区へ足を踏み込み安心したのか。しかしその頬に触れれば氷と紛うほどに冷たく、名前の方が身震いするほどだった。

 救急セットを、どこにしまっただろうか。母親に持たされた覚えのあるそれを、まさか捨ててはいないだろう。しかし、生憎と見付けることができなかった。仕方なく布巾を湯で濡らし、固く絞って少年の元へ戻る。
「取り敢えず足を出しなさい。そのままだと、悪化す……る……?」
 名前の言葉が尻切れとんぼに終わったのは、少年の両足に傷一つ見受けられなかったからだ。血や泥で汚れてはいるが、その下に潜む傷口が一つたりとも見当たらない。内心で首を傾げながら、取り敢えず足を拭いてやる。少年はやはり何も言わず、ただ黙って名前のされるがままになっていた。
 綺麗に拭き終えた彼の両足は、顔と同じく雪と見紛うほどに白かったが、少なくとも血が通っているように見えた。
「君、名前は。住所は」
「……」
 少年は黙り込んでいる。
「口が利けないんじゃないだろうな。それとも、まさかとは思うが実は怪人という落ちか? 勘弁してくれよ。どうせなら鶴の恩返し的な展開になって欲しい」
「……66号」
 ぽつりと彼が言葉を漏らす。
「ロクジュウロクゴー? 何だ、変わった名前だな。もしかしてロクジュウが名字で、ロクゴーが名前か?」
 再び少年が黙り込み、名前は頭を掻いた。
「まあロクジュウだろうとロクゴーだろうとどうでも良い。ロクゴー、家はどこだ」
 ロクゴーは答えない。
「それにお前、一体全体どうして倒れてた? 家出か? 誘拐か? それともただの迷子か?」
 やはり彼は何も言わず、不安げな眼差しで名前を見詰めるだけだった。名前は溜息を漏らす。
「よし解った。俺はこれからベランダで一服してくる。その間にお前はさっきの問いへの答えを考えておくんだ。それでお前の行き先が決まるからな。警察か、児童相談所かのどっちかだ」

 虐待くさいなと、名前は煙草に火を付けながら思う。
 自分を見上げるあの目も、名前が溜息をついた時に怯えたように手足を動かしたその様も、日頃から誰かの目を気にして過ごしてきた証拠ではないだろうか。何を羽織りもせずに出てきてしまったおかげで、寒空が身に染みた。一張羅のコートは、未だあの少年が身に纏っている。


 心なしかいつもよりも短い喫煙時間。くしゃみをしながら部屋に戻れば、件の少年はすうすうと寝入っていた。答えを考えておけとは言ったが、寝ても良いとは言ってない。コートにくるまったままの少年はいかにも穏やかな顔付きをしていて、結局名前は再び溜息を吐くに留め、上から布団を掛けてやった。まったく妙なことになってしまった。

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