赤身とタラバの攻防

 例えば、名前の実家で寿司といえば、お徳用のパックのことを指した。赤と黄色のけばけばしい値引きシールが貼られたそれはそれは色味も悪く、少々生臭さが口に残るのが常だった。ネタも決まっており、時々赤貝が付く程度。しかし他の家ではマグロと言えば白く脂の乗った大トロや中トロを指し、好きなネタを問えばウニや蟹と返ってきた。寿司といって思い浮かべるのは、必ずしも売れ残りではないのだ。
 大人になり、家を出てからも寿司に対する価値観が変わることはなく、相も変わらず名前の中で寿司といえば値引きされた消費期限間近の徳用寿司を指した。時々回る寿司や回らない寿司を食べたりする時に、妙に違和感が残る。同じ寿司である筈なのに。ついつい見知った赤身や、イカやかっぱ巻きばかりを選んでしまうのは、名前がそれらを好いているからというより、単に無難な道を進みたいからなのだろう。

 名前は改めて自身の足元に横たわる「それ」を見下ろした。
 十五、六の少年だった。あちらこちら汚れ、ほつれた灰色の服を身に纏っている。外気温は零度を下回るだろうというのに、身に着けているのはそのぼろ布一枚だった。色白という言葉では足りないほどに色の無い肌をしていて、病的なまでに白いそれは、彼の足先をより悲惨なものに見せていた。
 少年は靴を履いておらず、その足はあかぎれや、小石でできたのだろう傷で赤く染まっていた。
 名前はがしがしと頭を掻く。
 つまり、名前は困惑していたのだ。路地からはみ出した白い何かになど、気を取られなければ良かった。見つけてしまったのが傷付いた子供である以上、覗かなければ良かったとは思わないが、自分から厄介事に首を突っ込んでしまったのは確かだった。
 大人しく、イカやかっぱ巻きだけ食べておけば良かったのに。

 これは行き倒れなのだろうか。それとも――死体なのだろうか。
 少年のその白い肌は、今なお血が通っているようには見えなかった。しかし、殺人現場にしては何かが足りない。そう、血痕が足りない。そりゃ、名前だって今まで生きてきた二十数年で殺人の場に遭遇したことなどないが、おそらくああいった時には血が飛び散っているのが常だ。名前は刑事ドラマを思い浮かべる。フィクションの中の登場人物達であれば、この少年を見てどんな事件性を見出すのだろうか。名前が思い浮かべたのは虐待という二文字で、名前はもう一度頭を掻いた。煙草をふかしながら思案する。
 警察と、それから児童相談所か。
 まあこれが死体であるなら、後者は必要ないかもしれない。名前はスコッチグレインの爪先を、その小さな肢体へ慎重に差し入れる。つんつんと突いてみれば少年は身動ぎして、名前が連絡する相手が警察と、それから児童相談所に決まった。
 名前は屈み込む。
「おい、小さいの。大丈夫か? 俺が見えるか?」
 少年が瞼をゆっくりと開いた。赤い双眼が名前を見据え、ぱちりぱちりと瞬きをする。少年が口を開き掛けたが、言葉にはならなかったようだった。名前は溜息をついた。
 この辺りで派出所と言えば三キロほど先にあったと記憶しているが、取り敢えずはこの少年を保護するのが先決だろう。虐待を受けているようならば、警察よりもそういった機関に連絡する方が良いのかもしれないし。幸い名前が暮らすマンションは目と鼻の先にあって、名前はもう一度頭を掻いた。

 着ていたコートで少年をくるみ込み、抱き締めるようにして抱え上げた。見た目よりは重くいやに安心したが、コート越しにも解るその冷たさにぞっとする。ふと煙草の所在がないことに気付き、仕方なくぺいっと吐き捨て、それから足で踏み潰した。ポイ捨てはマナー違反だが、人命には替えられまい。名前はできるかぎり早歩きをし、自宅へと向かった。痛々しい少年の両足を、早く何とかしてやりたかった。

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