やさしいということ

「あっ、黒い精子見付けたー」
 ニコニコと満面の笑みを浮かべている名前を見て、黒い精子は眉を顰めた。名前の方は依然として、探したんだよと笑っている。彼女のことだ、どうせ碌なことではないのだろう。黒い精子の予想通り、名前は「ごめん、ちょっと手伝って欲しいことがあるんだ。一人で良いんだけど」と言った。ほら、やっぱりだ。
 何故解るのか? 彼女の頼み事がこれで五十四回目だからだ。



 手伝って欲しいことって何だよと後をついてくる黒い精子に、名前は秘密だよーと返す。ちょこちょこと後ろをついてくる黒い精子がとても可愛くて、それでいて可哀想で、名前は自然と浮かんでくる笑みを止められなかった。彼は“一人”だ。
 名前の自室までやってきた黒い精子は、今から何をされるのか、まったく気が付いていないのだろう。名前を疑うこともなく、促されるままに部屋に入る。後ろ手でドアを閉め、そっと鍵を掛けた。

「名前?」
「黒い精子は優しいねえ」
「……名前? おい、どうした」
「ねえ黒い精子、私、黒い精子のこと気に入ってるんだ。“一人”のあなたなら、私よりよっぽど弱いもん」
「おい、何言っ――グッ」
「黒い精子は優しいねえ」
 力任せにその首を絞めれば、黒い精子は苦しげに呻き声を上げ、名前を睨み付けた。彼の両腕がぺしぺしと名前の手をはたくが、いくら“竜”と言えど“一人”では“鬼”の力に敵う筈もない。段々と青くなっていく黒い精子の顔を見詰めながら、名前はうっとりと溜息をついた。



 黒い精子はびくりと体を揺らし、「もう一人の俺」が居る筈の方向を向いた。いや、居た筈の方向を向いた。ちょうどそれは北西に位置していて、名前の部屋がある方角だった。“俺”の死につうっと涙を流しながら、黒い精子は嘆息した。
 名前は怪人協会の中でも一、二を争うほどに殺戮衝動が激しかった。三日に一度は誰かを殺さないと気が済まない。以前は地上へ上がり、人間を殺しまくっていたが、あまりのその頻度が高いので、サイコスが名前の外出を禁止した。あんまり派手に動き過ぎると、怪人協会の存在に気付かれるかもしれないからだ。
 名前だって理性の無い怪人ではない。彼女もなるべく殺戮衝動を抑え込もうと奮闘している。しかし、世の中にはどうにもならないことがある。そこで名前が目を付けたのが、“俺”だった。

 黒い精子の中には十一兆を超える黒い精子が居て、その中の数人であれば殺しても構わないのではないか、そう名前は考えたらしい。彼女はたびたび黒い精子を誘い出す。一人で良いから、手伝って欲しいことがあるのだと。
 名前が誤解していることがあるとすれば、十一兆の俺と一人きりになった俺とが繋がっているということだ。
 彼女はどうも、自分が連れ出した黒い精子相手に自分が何をしているのか、残りの黒い精子が気付いていないと、そう思っているらしい。しかしそれは間違いだ。“俺達”は皆、感情を共有している。何人もの俺は、所詮一人の俺なのだ。

 では、何故黒い精子はまんまと彼女に連れ出されるのか。

 黒い精子は再び溜息を吐いた。ぐっと涙を拭う。
 ――ごめん、ごめんね、私、黒い精子のこと好き、好きなの。ごめん、ごめんね。
 俺が死ぬ間際、いつもそうやってぼろぼろと涙を流す名前。彼女が本当に黒い精子に好意を抱いているかは別として、そんな彼女が不思議と愛おしく思えて仕方がないのだ。

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