食物連鎖のなれの果て

 ドーラクに「美味しそうですね」と声を掛けたら、二度見された。
 名前はまじまじと自分を見詰めるドーラクの、その顔を――というか仮面を――じいっと見詰め返した。明るい照明の下に居るため、はっきり目視できる。赤く色付いたそれは、実際の深海では到底見ることができない鮮やかな色であり、いやに名前の胃袋を刺激した。その赤い仮面にとげとげと棘が生えているのは、彼が若い証拠に他ならない。やっぱりドーラクさん、美味しそうだなあ。ぐうと腹が鳴る。よだれも垂れた。ドーラクがびくりと身を震わせる。
「何言ってんのお前」
「ドーラクさん、すごく美味しそうですね」
「オイ修飾すんな」
「えへへ」
 お前な……と呟いたドーラクの声は、実に嫌そうだった。まあそりゃ、部下に「美味しそう」だなどと言われて良い気はしないだろう。いや、仮に名前が彼よりも上位の幹部であったとしても、やはり良い気はしないのではないか。私だって、館長やサカマタさんに「美味そう」だと言われても嬉しくない。ドーラクさんに言われたって――あれ、少し嬉しい、かもしれない?
 とにかく、ドーラクの呆れ返ったその声が、いやに名前の加虐心を擽った。彼の声は確かに嫌そうではあったが、同時に――同時に、砂粒ほどの恐怖も孕んでいるような、そんな気がした。
 仮面が邪魔だなあと、名前はぼんやり思う。
 この仮面、どうにかして引っぺがしてやれないだろうか。タカアシガニの甲羅で出来たそれは二つの覗き穴が開いていて、その奥にはドーラクの目がある筈だった。どうせなら、その目をじかに見たい。彼が名前のどのように表情を変えるのか、この目でしっかり見てみたい。ダイオウの名を賜った名前の口には、それに見合った嘴がある。ドーラクの甲羅がいかに固かろうと、ばらばらに噛み砕いてやれば問題はない。

「お前な、よく幹部に向かってオイシソウなんて言えるね」
「本当のことですもん」名前が言った。「私、嘘言いませんよ」
「そういうことじゃねえよ、ギシギシ」
「じゃあ、どういうことですか?」
「どういう……って、お前な……」
 ドーラクさんがついと目を逸らした。名前はその彼の顔を追い掛けるように回り込む。見上げるものの、彼は顔を背けたままだ。
「ドーラクさんの手とか足とか、全部美味しそう。でも、あんまり詰まってなさそうですね。というか細すぎです。もうちょっと太ってください」
「……俺が太ったらお前どうすんだよ」
「そっちの方が美味しそうだと思います!」
「絶対太らねえ」
 それにもう絶対脱皮もしねえ、とか何とかもごもご呟いている。ただでさえ仮面で聞こえ辛いのに、ドーラクが意図的に口をすぼめているならやめて欲しい。やっぱりこの仮面、割っちゃおうかな。
「隙あり!」
「うぉっ」
 がばりと抱き着く。やはり折れそうなほどに細く、そして固かった。彼は名前を突き飛ばそうと奮闘しているようだったが、ダイオウイカの触腕には敵わなかったらしい。暫くすると抵抗も途絶えた。マグロである。蟹のくせに。
「ハァー……ほっそい、ドーラクさんほっそい」
「おうおうありがとよ。さっさと離せ?」
「これ、本当に身、詰まってます? すごい細過ぎて怖いんですけど。でも美味しそ」
「やめろ馬鹿」
「あーあ、ドーラクさんの甲羅全部割りたいなー」
「こええよ」
 見上げると、此方を見下ろしているドーラクと目が合う。にっこりと笑えば、彼は大袈裟な溜息をついた。何だかんだで許容してくれるドーラクさんが悪いのであって、私はちっとも悪くない。

 名前がここまで大胆な行動がとれるのも、ひとえに名前がダイオウイカで、彼がタカアシガニだからだった。元の大きさが違い過ぎる。そうでなければ、誰が幹部に慇懃無礼な態度を取るものか。何だかんだでドーラクさんが名前の好きにさせるのも、やはり本能的なあれがあるからだろう。擬人化している今だって、種族的な立場は彼よりも上なのだ。
 美味しそうだと思うのも事実だが、恐怖に慄く彼の顔が見たいのも事実だった。やはり、やはり仮面は邪魔じゃないか。



 するりと触腕を引込めれば、ドーラクは再び溜息をついた。今度は小さい。全身で脱力する彼に、名前は一人笑う。本当に食べたり食べられたりするとは、二人とも思っちゃいない。ただドーラクは命の危機を脱した安堵に自然と緊張を解き、名前はそんな彼を見て悦に入る。
「ドーラクさんがそんなに恐いって言うなら、やめてあげましょーね」
「……お前、ほんと何様なわけ? ミソ詰まってる?」
「ドーラクさんの中身ほどには詰まってると思います!」
 彼の蔑むような視線が堪らない。

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