また会う日までさようなら

 学生の頃に戻りたいなあと呟くと、レジ打ちをしていたサイタマが此方に一瞬目を向けた。それから、辺りを見回す。
「お前な、もう24だろ。いつまでモラトリアム満喫するつもりだよ」
「っかしいなー。24にもなって趣味で(笑)ヒーローしてる人に何か言われる筋合いはないと思うんだけどなー」
「名前は相変わらず俺の心の深い所を抉ってくるな。もう少し研ぐのサボっても良いんだぞ、言葉のナイフ」
 お会計724円になりますとこなれた口調で告げるサイタマに、名前は黙って一万円札を差し出した。サイタマがあからさまに眉を顰める。おそらく、他に客が居らず、自分以外の店員すら居ない今だからこそそうするのだろう。
「お前なー、せめて24円ないのかよ」
「ここの店員さんは態度悪いなあ」
「お会計一万円からになりまーす!」
 サイタマが自暴自棄になったようにそう叫び、レジスターの中に一万円札を突っ込んだ。セルフで清算がなされるのだから別に良いだろうに。「店員さん、そっちのカレーまんも追加で」と言うと、禿げ頭の店員は「殴るぞ!」と半ギレした。何だかんだとカレーまんを取り出してくれるのだから、彼は実に良い奴である。
 じゃらじゃらと自動で小銭が流れ出てくるのを眺めていると、サイタマが「名前、本当にどうしたんだよ」と言った。
「何が?」
「何がってお前、学生に戻りたいとか……お前らしくねえよ。仕事辛いのか?」
「べっつにー? 楽しいですよ、社会の歯車は」
「お前俺と言葉のキャッチボールする気あんの? ないの?」
 顔に青筋を浮かべている。彼に手渡された薄黄色い中華まんが入った小さなレジ袋は、ほんのりと暖かかった。
 サイタマ自身は自分が定職についていないことを気にしているらしいが、名前としては彼を尊敬していた。二年ほど前に発足されたヒーロー協会、それに所属しているしていないに関わらず、世のため人のために戦える覚悟があるということは、それだけで尊敬できると思う。無論、独自のヒーロー活動だけでは生きていけないから、彼は時々こうしてアルバイターとして働いているのだが、それだってなかなかできる事ではない。
 もし名前が彼のように強かったとして、ヒーローになるという道を選んだだろうか。答えはノーだ。
 サイタマの視線に押されるように、名前は口を開いた。
「ただちょっと、毎日学校に行かなきゃならなかったっていうのは、結構楽しかったなって思うだけ」

 我ながら要領を得ないことを言っていると思う。当然のようにサイタマは頭上にクエスチョンマークを浮かべる。彼のその表情が学生時代よく見たものだったので、名前は少しだけ笑った。
 サイタマは、釣銭を返す時になって「何か悩んでるっつうなら、話くらいは聞くからな」と言っただけだった。
「ヒーローってお悩み教室も開講してんのね」
「殴るぞ本気で!」
 ありがとうの言葉代わりにカレーまんを差し出し、名前はコンビニを後にした。


 別に、仕事やその他のことについて何か悩みがあるわけではなかった。仕事は三年目を迎えようとしていて、やっと軌道に乗ったというところだ。家庭内も以前と変わらず、何の変哲もない家族関係を続けている。
 ただ――学生でいる間は嫌でも学校へ行って、面白くも何ともない授業を受け、友達とのお喋りに興じる。それが無性に恋しく思えたのだ。
 いや、恋しいのは学生生活ではない。
 何の理由もなく会いたい人に会うことができる、それが幸せなことだなんて、あの頃は知らなかった。
 中高とずっと恋焦がれていたあの人は、今はどうしているのだろう。

 ごく普通の片思いだった。仲の良かった友達とさえ、大学に進学し、就職してから疎遠になった今、連絡先すら知らないあの人の今現在がどうなのかなど解る筈がない。元気にしていると良いのだが。名前がそっと溜息を吐いた時、後ろからちりんと音が聞こえた。
振り返ってみると、一方的に知っている顔が、此方を向いていた。

「君、こんな時間の若い女性の一人歩きは感心しないぞ」
 無免ライダーはそう名前を窘めた。ヒーローというのは、お節介の集まりなのかもしれないなあ。そう思いながら、「大丈夫です」と言って微笑もうとした。
 そうしなかったのは、ライダースーツを纏ったその人の、その声色に聞き覚えがあったからだ。自分ではない、他の誰かのことしか考えていないような、その口振りに。名前の口から飛び出したのは、学生時代の思い人の名前だった。そして無免ライダーの方も、名前の名を呟いてから、「やっぱりそうだった」と言って笑った。


 変わってないねと言えば、君もなと返された。元気にしていると良いとは思っていたが、まさかヒーローをしているとは。しかも、ヒーローにさほど詳しくない名前でも知っている、無免ライダーだったとは。何故知っているかと言えば、無免ライダーのそのヒーロー活動への姿勢をとても好きだと思っていたからで。結局自分という人間は、この人を基準に生きているのかと呆れ、そんな自分は嫌いではないと、名前はぼんやりそう思った。
 高校を卒業以来、彼とは一度も顔を合わせていなかった。成人式や同窓会等で同じ空間に居たことはあったかもしれないが、口を利くまでには至っていない。自転車を押しながら隣を歩く無免ライダーは、記憶の中の彼よりも少しだけ背が伸び、声が落ち着いた成人男性のものへと変わっていた。
「今日は変な日だわ。さっきも高校の同級生に会ってね」
「そうなのかい? それは羨ましいな」
 俺はよく街を走り回っているが、あまり知り合いには出会わないなと、少しだけ寂しげに笑った。

 名前と無免ライダーは単なる同級生という間柄で、特に親しいわけでもなく、むしろ中学高校と同じ学校だったというだけで、それ以上の接点はなかった。口を利いたことくらいはあったと思うが、やはり仲が良かったわけではない。単に、名前が片思いをしていただけ。彼が名前の名前を覚えていたことだって、実のところ想定外だ。
 互いに学生時代を振り返って話しながら歩いたのだが、これは思いの外盛り上がり、沈黙が訪れることはなかった。名前の家の近くまで送ってくれた無免ライダーは、「名前さんとはまた話がしたいと思っていたんだ」と破顔した。顔全体は解らないが、その口の形は遠い昔に恋焦がれたもので、その思いは今も変わらなかった。
 会いたいとそう思っていたのは、もしかして私だけではなかったのでは――突然目を逸らした名前を見て、無免ライダーは不思議そうに首を傾げた。

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