膝を貸す

 切っ掛けは、どうも私の一言だったらしい。
「何だっけかな、いつもお勤め御苦労さまです的な?」
「違う。『番犬マンさん、いつもこの街を守って下さってありがとうございます。あなたが居てくださるので、私達Q市民は安心して暮らせるんです。本当に、いつもありがとうございます』」
「そんな声真似までしなくても……似てないし……」
「君の鳥頭にはつくづく呆れるよ」
 番犬マンはそう言って溜息までついてみせた。名前の膝に彼の吐息がかかる。しかし、溜息をつきたいのは実のところ名前の方だ。いや、実際にやったら彼が気を悪くするだろうから――何せ、番犬マンが体を張ってこのQ市を守ってくれているのは事実だし――何とか堪えるが。
 いつのまにか、Q市の番人は私の恋人になっていた。
 番犬マンが再現してみせたあの台詞、過去に私が言った(らしい)ものなのだが、あの言葉で番犬マンは恋に落ちたのだとか。本当かは知らない。そもそも、名前は本当にそんな風に彼に声を掛けたかすら覚えていないのだ。まあ、番犬マンに感謝しているのは事実なのだが。いつの間にか番犬マンは名前の生活に入り込んでいて、ずるずると流されるように一線を越え、気付けば彼は名前の最も親しい異性というポジションに着いていた。どうしてこうなったんだろう。
 いや、彼のことは好きだ。涼しげな顔付きも、正直に言ってしまえば好みだったし。ただ、そこまで彼に好かれる――というか、懐かれる要素が見当たらない。彼は自身のことをあまり話さないし、そもそもにして表情を変えることが少ないので、番犬マンの言葉を心から信じられるかと聞かれれば、否だ。

 番犬マンはひどく気持ちよさそうな顔付きで、名前の膝に頭を乗せていた。いきなりやって来たかと思えば、第一声が「膝を貸してくれない」なのだから、マイペースというか何というか。もっとも、是非もなく膝を貸した私も私だとは思うが。
「ねえ、私、本当にそんな風に言ったの?」
 目を閉じているので眠っているかとも思ったのだが、番犬マンは緩やかに瞼を開けた。目を閉じていただけらしい。ぱちりぱちりと、ゆっくり二度瞬かせる。実に眠そうだ。まあ、彼は普段からQ市中を歩き回っているのだから、太陽の高い今であったとしても、少しくらい惰眠を貪ったところで罰は当たるまい。
「何だ、本当に覚えてないの」番犬マンはうっすら笑った。「ちょっと盛った」
「やっぱり」
「でも、僕が君の言ったことを嬉しく思ったのは事実だよ。君、全然言葉を飾らず言うんだもの。S級ヒーローになってだいぶ経つけど、名前みたいに馬鹿正直にお礼言う子、そんなに居ないよ。ミーハーっていうのかな、黄色い声を上げる子が多くてね」
 そういうのも嫌いじゃないけどねと口にする番犬マンは、やはり穏やかな微笑を浮かべている。
「それ、褒めてるの?」
「当たり前だろう」

 馬鹿正直に言うのは、どっちなんだ。
 名前が背を逸らし、彼から顔を背けるようにすると、番犬マンがくつくつと笑い出した。「照れてる」
「照れてない」
「嘘。耳、赤くなってる」
 何も言葉を返せなくなっているのが解ったらしく、番犬マンは更に笑い始めた。静かな笑い方だった。同時に私の好きな笑い方でもある。名前はほんのり顔を赤く染めたまま彼を見た。
「いつもお勤め御苦労さまです」
「仕事ですから」番犬マンが言った。「君を守るのが、僕の仕事ですから」


「……どうしてあなたって、そう、照れ臭いこと言えるの……」
「君の真似をしただけさ。馬鹿正直に言えば、伝わるんじゃないかと思ってね。君が僕の好意を疑っているようだったし、仕返しに」率直に気持ちを伝えられるのは照れ臭いもんだろうと、番犬マンは再び笑った。彼は起き上がると、一人赤面している名前を気に掛ける素振りもなく、パトロールに行ってくるよと口にした。
「君だけの番犬で居られなくて悪いね」
「その言い方は……語弊あるんじゃない」
「いや」番犬マンが言った。「間違ってないね」

 番犬マンは名前の髪の毛を掻き混ぜてから、行ってきますと言って出て行った。名前の顔からはなかなか熱が引かなかった。早く来ないかなと考えている自分に気付いてしまい、一人で赤面したのだ。白い毛皮の彼が居ないと、この家はいやに物寂しい。

[ 437/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -