毛布虫

 帰宅してまず目に入ったのは、部屋の隅の毛布の塊だった。
 じんわりと汗が滲むようになってきた今日この頃、薄手とはいえ毛布を使うほど寒がりではない。むしろ、朝晩に布団は出し入れするし、暫く使う機会のないウールの毛布は押し入れの奥にしまっておいた筈だったのだが。
 間違いない、ソニックだ。不法侵入に慣れてしまった自分が嫌だった。
 どうするかなあと頬を掻く。結局、名前は無視しようと決意した。だって、わざわざ声を掛けるのも馬鹿らしい。どうせ面倒事に決まっている。膝を抱えているだろう知人に一言も触れず着替え始めたら、ずずっと鼻を啜りあげる音が部屋に響いた。わざとらしい。そしてうざい。
 仕方なく、名前はボタンを外す手を止めた。
「ソニックでしょ。どうしたの今日は」
「友達がこうして泣いているのを見たなら普通最初に声を掛けるだろう薄情な奴め」
「何、泣いてるの」
「うるさい」
 ソニックの声は涙声だった。ぐずぐずと鼻を鳴らしているが、どうもわざとらしい。まあ本当に泣いているにせよ嘘泣きにせよ、折角干しておいた毛布が湿るなあと、名前はぼんやり考えた。

 幼馴染みだったこいつは普段の言動に似合わず存外努力家で、常に自分自身と戦っていた。名前が鬱陶しいと思いながらもソニックの相手をしているのは、そんな彼を友人として好いているからに他ならない。そして名前のその気持ちが通じたのか、ソニックにとっても名前は好ましい友人であるらしい。自信を喪失した彼は、よく名前の元を訪れる。
 そう、彼は時折、こうしてひどく弱気になるのだ。
 ソニックは、自身の実力を鼻にかけて威張り散らす節がある。しかしそれは、彼がそれに見合うまでの努力をしてきたからだ。もっともその努力を人に見せないから、大概の人間にはうざがられるのだが。速さを追い求めてきた彼は、いつしかS級ヒーローにも劣らない実力者となっていた。しかしそのソニックは、「本当の彼」の一面でしかないのだ。
 彼は自尊心が強いが、同時にひどく打たれ弱かった。普段の彼が偉そうに威張り散らすのがソニックなら、こうして弱気になって泣き喚くのもソニックなのだ。まあ、近頃では喚くまでは行かないが。彼も私と同じにもう二十代半ばであるわけだし。名前は改めて、部屋の隅にある毛布の塊を見遣った。

 どうも最近、ソニックが私の家を訪れる頻度が高い。何でも、自分より身軽に動ける人間と出会ってしまったらしい。何度も勝負を挑みに行っているのだが、その度にあしらわれたり、乗ってくれたと思ったらあっさり負けてしまうのだそうだ。名前は件のサイタマ氏に会ったことはなかったが、彼は彼でこんな阿呆に付き纏われて大変だなあと思っている。
 ソニック、妙にストーカーっぽいところあるからなあ。
 好きな女の子の言動を逐一把握していたこいつには全く呆れてしまう。そして目にも留まらぬ超スピードで動けるソニックよりも更に早いとは、サイタマさんには興味津々だ。まあ、別に会いたいとは思わないが。
 話を聞いてみたところ、やはりサイタマに勝負を挑み、そして負けたのだという。まったく仕方のないやつだ。名前はソニックの隣に屈み込む。
「ソニックはいつも頑張ってるじゃない。偉いよね、ほんと尊敬してる」鼻水を啜り上げる音が止んだ。卵の殻を剥くように、ゆっくりと毛布をめくってやる。ソニックはもう泣いてはいなかったが、その大きな目の縁には涙がたまっていた。親指ですくってやると、頬のペイントがうっすらと指についた。この野郎。「私、そうやって自分に厳しくて、妥協しないで速さを求め続けるソニックのこと、割と好きだよ」
「割ととは何割だ? もっと具体的に言え」
「立ち直り早過ぎてむかつくわ」
 いつもの自信過剰なソニックが戻ってきた。うぜえ。しかし、うじうじしている彼よりもこの高飛車なソニックの方が見ていて好ましく感じる私も、大概毒されている。


「おい名前、とっとと立て」気付けばソニックは目の前で仁王立ちしている。毛布はどこへ行ったと少し探せば、既にベランダに干されていた。こいつやりおる。「今日は気分が良いから、奢ってやらないこともない」
「じゃあうな重よろしくー」
「貴様は遠慮というものを知らんのか」

 うなぎ様は実においしかったです。

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