07

 何と言うか、デビには本当に頭が下がる。そう素直な心情を吐露すれば、気持ちが悪いと罵られた。失敬な奴だ。
 名前殿に自身の姿を隠さなくてもよくなった事は、私にとってこの上ない喜びだった。彼女と話ができる、それだけでは私は満足できなくなっていたのだ。私にとって、名前殿は感謝すべき恩人であり、そして大切な友だった。その友人に隠し事をし続けなければならないのは、実のところ私にとって大きな苦痛だった。
 そして彼女に対し嘘をついていたという負い目を、デビは吹き飛ばしてくれた。
「私、一角さんが私の知るイッカクだったなんて、本当に気が付かなかったんです。こんな私でも、また一緒に居てくれますか」
 そう言った彼女が差し出した手を、私はそっと握った。小さな手だった。私はもう、彼女と口を利ける。こうして手も握ることができる。私が涙を流しながら「当然だ!」と言うと、名前殿は照れたようにそっと微笑んだ。私のよく知る名前殿の顔だった。


 名前殿が本格的に丑三ッ時水族館の一員となってから、それまで行われていた会議に無論彼女も出席することになった。人間である名前殿は水中で息が出来ない為、元来の会議室だった場所は使用を諦め、代わりに鉄火マキの居る回遊魚ゾーンが会議場所として選ばれた。此処ならば、鉄火マキが酸素不足で溺れることもない。巨大な魚達が群れを成して泳ぐ中、会議は行われた。
 専らの議題は、今現在の丑三ッ時をいかにして人間達に見せるかということだった。以前は私達以外の従業員が居たわけで、それが今は六人しか居ない。何をするにも人手が足りないのだ。名前殿の他にも人間の従業員を雇うという意見も出るには出たが、結局却下された。この超巨大なテーマパークを運営していくには、何十人もの人間が必要だ。私達のこの姿を見て平然として居られる人間がそんなに見付けられる筈もなく、ほぼ満場一致で否決された。館長無しでやっていけるわけがない、開館を限定的なものとする、人間を雇う……意見は堂々巡りとなった。
「あの……」名前殿が言った。「以前はどうして運営できてたんですか? 普通の人間が沢山居たんですか?」
 私は隣に居たドーラク殿と目を見交わした。
「そうじゃあ、名前どんは知らんのじゃったなあ!」とカイゾウ殿が叫ぶ。
「前は、私達の他にも擬人化した魚達が居たのだ。この水族館はほぼ人外の者だけで運営されていたと言っても良い」
 そう言うと、名前殿は目を見開いた。彼女はおそらく、変身する生き物が私達五人だけだと思っていたのではあるまいか。思った通り、彼女は「一角さん達だけじゃなかったんですか」と不思議そうに言った。
「名前、あんたそんな事も知らないのねー」
 円形のフロアを泳ぎ続けている為、鉄火マキの言葉は尻すぼみだった。えー、と小さく消えていく。お前喋る時くらいは止まってろよとドーラク殿が呆れたように口にした。
「じゃあ、今はどうして他の人達は変身しないんですか? 変身できなくなっちゃったんですか?」
「おお俺達をへ変身させさせるのは、館ちょ長の役目なんんだよ」
「ずっとお留守だという、館長さんですか」
 どうも、名前殿には要領が掴めていないらしい。私達は簡単に説明した。館長の持つ魔力が、我々海洋生物を変身させているのだということを。呪いの件については省く。元々私達自身、伊佐奈殿の呪いのことについて詳しく知っているわけではないのだ。解っているのは、この水族館の人気を高めることこそが、彼の呪いを解く鍵だということだけ。
「大量にリストラしたのだとばかり……」
「お前馬鹿だろ、ギシギシ」
 笑い始めたドーラク殿に、カイゾウ殿が怒り出した。それに乗じてデビもぶつぶつと小言を漏らし出す。鉄火マキは泳ぎながらけたけたと笑っているし、とても会議どころではない。わあわあと喧しくなった会議の場、しかし名前殿は顎に手をやったままじっと考えている。彼女はこの騒音が気にならないのだろうか。名前殿が「やっぱり」と口を開いた。私は他の皆に向けて静粛にと怒鳴ったが、彼らは耳を貸しもしなかった。名前殿が私を見上げた。
「この人手不足はどうにかしなきゃですよ」
「もちろん、それは解っているとも!」
 私が勢いよくそう言うと、彼女は首を振って左手を前に差し出す。私は思わず動きを止めた。彼女が無意識にやっているそれは、昔よく見た動作だった。落ち着かない私に対しての、制止の合図。もちろん普通のイッカクだった私が言う事を聞く筈もないのだが、彼女はよく、「犬の躾みたいだ」と言いながら待てやらおあずけやらと指示をし、笑っていた。
「別に、館をこのまま開館させることはできるんですよ。正直な話、水族館というのは展示された生き物を客が勝手に見ていくという作りじゃないですか。そんな中に館の人間が歩き回っていても無粋だし、飼育員は基本表舞台に出ませんから、この人数でも開館させるだけなら可能なんです。
 でも、それじゃ駄目だ。この人数では、客に対しての配慮が出来ません。入場者を迎えるのだけでもまず困難だし、何か問題が起こった際に駆け付けることもできないでしょう。それに今は客を入れていませんから補えていますが、掃除も追い付かないでしょうね。こんなレジャー施設、汚すなと言う方が無理な話です。今までは、それでも掃除の手があった」
 私は頷く。
「だったらもう、皆さんが言われていたように他の人間を雇うか、でなきゃ、そういう機械を導入するかでしょうね。ただ一角さん達のことを隠し通して接するとなると、やっぱりどこかしらぼろが出るかと」

 此処以外に人間以外の手で運営されている水族館でもあれば、参考にもできるんですが、流石にそれはないですよねと名前殿は苦笑した。私の脳裏に浮かんでいたのはもちろん例の動物園の事で。そもそも彼らとの接触は、伊佐奈殿が魔力のブレを察知したからだった。魔力のブレ、つまりあの兎の彼の一部分が人間に戻ったことを示す。人間に戻ったとはつまり呪いが解けたということで、彼らは彼らだけで園を運営できているということ。
 喧騒の止まない中、私は一人宙を見上げた。

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