俺はただ、

 俺が例のニュースを見た時に感じたのは、言い知れない怒りだった。
 彼女の行為は、裏切りだった。
 俺を認め、俺が怪人になりたがっていることを知っている彼女が、どうしてヒーローになったのか。理解できなかったし、理解したくもなかった。ただ解るのは、彼女が俺を裏切り、ヒーローになったのだということだけ。無機質な液晶が映し出した女の顔は、俺の知っている人でありながら全然知らない人のようでもあった。
 かあっと、体中の血が沸き立つようだった。俺という人間の奥底から、彼女への恨みや憎しみが一挙に押し寄せてきた。どうせ、あの女は適当に話を合わせていただけに違いない。でなければ、ヒーローになどなるものか。俺がヒーローを嫌っているのを知っているのに。それとも、あいつの中で俺という存在が取るに足らないものなのか――俺はそう思った。その時は、名前さんが憎くて仕方がなかった。俺は俄かに立ち上がり、テレビを消すことも忘れ、鍵を掛けることも忘れ、ただひたすらに走った。

 すぐに行き着いた彼女の家。記憶と違わず、こじんまりとしたごく普通の家だった。ためらいなく呼び鈴を鳴らし、誰かが出てくるのを待つ。もっとも、塾で教師をしている彼女がこんな昼間に家に居る筈がない、そう気が付いたのはインターホンを押してからだった。確か、彼女の親は共働きで、昼間は家に居ないのではなかったか。ならば、誰も出ないかもしれない。しかし俺の予想に反し、名前さんの家には人が居た。名前さんその人が。
 はあい、と静かな返事をしてドアを開けたのは、名前さんだった。彼女は来訪者が誰なのかに気付き、俺が怒り狂っていることを悟ると、「まあ、入って」と俺を中へ通した。家の中も、俺の記憶と寸分違わない様相だった。変わっているのは、名前さんだった。俺はやはり居間へ通され、彼女は何か飲むかと俺に尋ねた。
「あんた、ヒーローになったんだってなァ」
 俺は名前さんの質問に答えなかった。
 俺を見上げる名前さんはやはり表情をさほど変えることがなく、俺は無性に腹が立った。この女の鉄面皮を引っぺがしてやりたいと思った。こんな女、今の俺なら簡単に倒せる。彼女を殴り、傷一つない床に這いつくばらせてやって、謝らせてやったら、どれだけ心がすっとするだろう。泣いて縋らせてやれば、どれだけ気持ちが良いだろう。
 謝らせる? 何に?
「さぞ良い気分だろうなァ、あんた、超能力は使わないって言ってなかったっけか? それが偶然ちやほやされて、気持ち良いだろうよ」
「よく覚えてたね」名前さんの声は、やはり淡々としていた。「そんな昔のこと」
 俺が普段通りであったならば、彼女の異様な落ち着きように感化され、もう少し冷静でいられただろう。しかしその時の俺は頭に血が昇っている状態で、彼女が何を言っても耳を傾ける気はなかった。
 名前さんは覚えていた彼女の姿より小さく、少し握れば簡単に折れてしまいそうだった。身長もすっかり抜かしていて、彼女が縮んだのではと思ったほどだ。何の感情も読み取れない目は健在だったが、俺の何もかもを見透かしているようで腹が立った。ただ、彼女のその表情だけは妙に記憶と違っていた。どこか陰気なその顔は、俺にとって見覚えのないものだった。
「俺がヒーロー嫌いって知ってるくせによォ」俺の口は止まらなかった。「あんた、俺のことなんてどうでも良いんだろ。さぞ愉快だったろうなァ、ガキをからかうのはよ。俺があんたがヒーローになったって知って、どんな気分になったか知ってっか?」

 名前さんは俺が捲し立てている間、口を利かなかった。元から俺に聞く気はなかったが、それでも彼女は何も言わなかった。俺の口から不平不満が尽きた時、漸く名前さんが言った。
「嫌いになってくれても良いよ」


「……あ?」
「私のこと、嫌いになってくれて良いよ」
 淡々とした、声だった。
 俺が名前さんの目を見詰めると、彼女も俺を見詰め返した。その目には怒りもなく、さもなくば嘲りの色もなく、しいて挙げるなら微かな悲しみが滲んでいた。
「全部言い訳にしかならないんだけど」名前さんが言った。「私、ヒーローになんてなる気なかった」
「なりたくないって言ったんだけど、私の家、そんなお金持ちじゃないし、援助もしてくれるって言うから仕方なくなったの。それに、どうでも良いなんて思ってない。ガロウに嫌われるって思ったら、ヒーローなんて絶対嫌だって思った。でも、殆ど強制的にならされて」
 超能力者なんて、そう居ないからねと彼女は付け足した。
「……ホントに言い訳じゃねえか」
「そう最初に言ったでしょ」名前さんが笑みを浮かべた。自嘲的なその笑いは、俺の心を揺さぶった。俺が嫌いな作り笑いではなかったが、こんな風に彼女に笑って欲しいわけではなかった。「ヒーローになんて、なりたくなかった」
「面白いことに、半ば強制でね。仕事も辞めさせられた」
「面白くなんてねぇだろうが」
「まあね」
 再び、自嘲染みた笑い。その笑い方やめろと言うと、彼女は少し驚いたように笑うのをやめ、それから少しだけ笑った。作り笑いではない、心からの微笑みだった。
 俺は彼女が教職に就こうと努力しているのを知っていた。彼女に対する怒りは失せていた。むしろ、彼女がどういう気持ちだったのか考えもせず、一方的に侮蔑の言葉を投げた自分を恥じた。名前さんはそんな俺に気付いているのかいないのか、「ねえガロウ」と俺に呼び掛けた。
 彼女が名前を呼ぶのは珍しい。目を向けると、名前さんはしっかりと俺を見ていた。
「ガロウは、まだ怪人になりたいんでしょ」
「……当たり前だろ」
「そう」
 名前さんが言った。
「それじゃ、怪人になったら私を殺しに来て」

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