やがて、俺は知ることになる。

 成長するに従い、名前さんと会う機会は減っていった。彼女は隣町の進学校に入学し、毎日忙しなく勉強しているようだった。どうやら高校では僅かながら友達ができたようで、その頃から彼女の無表情にも変化が現れ始めていた。笑うまではいかずとも、微笑むことが多くなっていたように思う。
 俺が中学へ上がると、ますます名前さんと会うことはなくなっていた。流石に中学にもなって彼女と一緒に遊びたいとは思わなかったが、家に名前さんが居ないことが当たり前の事になっていた。両親も、彼女の事を忘れてしまったかのようだった。おそらく、中学時代に名前さんと会ったのは数えるほどではないだろうか。下手をすると両手で足りるかもしれない。

 見慣れた後ろ姿に俺は思わず駆け出し、声を掛けた。振り返った名前さんは俺を見て少しだけ目を丸くし、「ガロウ?」と呟いた。少々気まずくもあったが、それ以上に彼女に会えた嬉しさが勝っていた。息を切らしながら肯定すると、彼女は小さくくつくつと笑い出した。俺は彼女のこの笑みが大嫌いだったが、言わなかった。
 義務教育を終えた名前さんは、もうスカートを履かなくなった。髪を括らなくなった。うっすらと化粧をするようになった。俺を見て微笑むようになった。名前さんは――俺の友達だった。たった一人の友達で、たった一人の大切な人だった。
「中学、どう」
「別に……名前さんはどうだったんだ?」
 共に歩きながら、彼女の問い掛けに思わず視線を逸らした。中学校は楽しくない。ただ、それをすんなり言って彼女に余計な心配を掛けたいとは思わなかった。しかし聞き返してから、彼女の中学時代が楽しいわけがないと思い至る。俺はハッとなったが、言葉は取り消せない。
「私も、別に、だったなあ……」
 昔と変わらない淡々とした声。俺は安堵すると同時に、彼女の声をずっと聴いていたくなった。
 名前さんは隣の市の大学に通っているらしい。通学に二時間かかると彼女は笑った。どうしてこんな時間に歩いていたのかと問えば、アルバイトなのだという。高校生の家へ行って、家庭教師をやるのだと。
「私、先生になりたいんだ」
「……ハァ? 名前さんが?」
 俺は隣を歩く彼女を見た。もう見上げることはなくなっていた。じきに彼女の背を抜かすだろう。俺はきっと彼女を見下ろすようになり、彼女は俺を見上げるようになるのだろう。
 学校嫌いなくせに、という言葉は飲み込んだ。
「変かな」
「別に……勝手にしたらいいんじゃねえの」
 中学生で捻くれていた俺は、出掛った言葉を捻じ曲げてそう答えた。その時咄嗟に浮かんでいたのは英語の若い女教師のことで、彼女のように名前さんが生徒に物を教えるのは存外似合っているのではないかと思っていた。ただ、それを素直に口に出すのは憚られて。もっとも、名前さんは気にした様子もなく、ただ淡々と「別に、か」と言って微笑を浮かべただけだった。
 俺は彼女の背などすぐに追い抜かすだろうと思っていたのだが、実際に名前さんの背を越したのは中学を卒業してからだった。


 中学校を卒業した俺は、各地の道場を転々とするようになった。高校へ進学する気は最初からなかった。俺は怪人になりたかった。出会ったばかりの頃の名前さんと同い年になった俺は、ますます人間が腐っていて、ろくでもないもののように思えてならなかった。どいつもこいつも、偽善を振り回す。中学校を卒業したところでそれは変わらず、俺は最強の怪人になる為の修業を始めたのだった。俺は各地の道場を渡り歩き、数々の流派を物にした。
 名前さんはというと、どうやら教師にはなれなかったらしい。よく知らないが、教師になる為には試験があって、その試験に落ちたのだとか。俺が大丈夫なのかと問うた時、彼女は塾の講師として働きながら採用試験の勉強をすると笑っていた。その作り物染みた笑い顔はやはり好きになれなかったが、彼女がさほどダメージを受けていないことに安堵した覚えがある。多分、俺が諸流派の達人達に弟子入りしている間、彼女は高校ではないが、教壇に立っていたのだろうと思う。しかし結局、俺が彼女の教師姿を見ることは一度もなかった。
 そんな頃だったのだ、ヒーロー協会が設立されたのは。

 ヒーロー協会は、発生が上昇傾向にあった“怪人”を駆除するべく、設立された組織だった。ヒーローにはAからCまでの階級があり、ランクに応じて怪人やその他の災害から市民を守るのがその役目なのだとか。最初は一個人の作った組織でしかなかったが、その需要は膨大で、設立から半年も経つ頃には巨大な団体へと成り代わっていた。近頃では、税金をヒーロー協会の運営資金にまで充てるという案も出ているのだとか。反吐が出た。
 連中の強さ比べはその実力と、市民からの人気で構成されているのだとか。様々なメディアに露出するようになってきていて、その頃には嫌でも四六時中ヒーローの話題が目に入ってくるようになっていた。それだけ、連中の活動は一般市民の生活に食い込んでいるのだ。“ヒーロー”というだけで気に食わないし、協会が支持されているのも気に食わなかった。俺からしてみれば、ヒーロー協会などただのヒーローごっこにしか見えなかった。ああして、自分の満足感を煽るのだ。証拠に、連中の顔写真はどこかしら得意げな、厭らしい目付きをしているじゃないか。多数派であることを盾にとって、良い事をしている気分に浸っているだけの馬鹿者共。俺はますます修行に力を入れるようになった。


 俺はその日、特に何をやるでもなくテレビを眺めていた。少し前に通っていた道場がまったくの外れで、すぐにやめてやった。やはり、もっと名の知られた所へ行くべきなのだろうか。武術界の大御所といえば、達人兄弟の道場が思い浮かぶが、あれの弟の方は確かヒーローになったのではなかったか。それだけで癪だったし、何よりZ市は遠く、なかなか決断に踏み切れなかった。
 チャンネルを次々と変えながら、俺は段々と苛立ちを募らせていた。偶然にもその時、どの番組もヒーローの話題で持ち切りだったのだ。腹立たしい。こんなテレビぶっ壊してやろうか、そう思いながら電源ボタンを押そうとした時、俺の手が動きを止めた。見たことのある顔がテレビに映し出されていた。

 何てことはない、どこぞのヒーローが怪人から市民を救ったという、ただそれだけのありふれたニュース。何でも、一般人だったそいつをヒーロー協会がスカウトして、ヒーローに仕立て上げたのだとか。ランクはBランクで、その容姿からかじわじわと人気を得ているという。俺は唖然とした。
 ニュースでは、偶然撮影されたというそいつが人々を救ったシーンが何度も映し出されていた。吹き飛ばされた大型バスが突如として動きを止め、ゆっくりと軟着陸したところ。バスを放り投げた怪人が鉄パイプで縛られ、動けなくなったところ。崩壊しかけたビルが倒れず、人々が避難しているところ。
 ヒーロー協会が寄せたのだろう写真は、いつもの鉄面皮に加え、憮然とした面持ちをした名前さんの顔だった。

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