友達だった。

 家までの道を二人で歩きながら、俺は名前さんに学校でのことを話した。つっかえながらだったが、彼女は黙って俺の話を聞いてくれた。手を繋ぐこともなく、相槌を打つことさえなかったが、俺は名前さんが隣を歩き、俺の話に耳を傾けている、それだけで段々と心が鎮まっていった。
「僕、友達居ないんだ」
 彼女にその事を打ち明けたのは、この時が初めてだった。
 俺には友達が居なかった。俺は同い年の連中に馴染めなかった。彼らはヒーローが大好きで、正義を振りかざすのが大好きな、偽善の塊のような連中だった。連中は自分達の行動にこそ正義があると疑わない。吐き気がした。例え彼らの間に正義がなくとも、大多数が賛同するというただそれだけで、彼らは正義と成り得たのだ。狭い教室の中では特に――多数派であることこそが正義であり、少数派である俺は悪者だった。
 悪者で居ること自体は、嫌ではないのだ。ただ、多数派の彼らに俺が潰されることが嫌だった。
 名前さんに友達が居ないことを言い出せなかったのは、俺が唯一彼女に対して隠しておきたかった事だったからだ。小さな見栄だった。俺は自身が少数派であることは知っていたし、その事に対してさほど執着はなかった。ただ、名前さんにその事を話せるかというと別の問題になる。
 しかし、俺は考えてみるべきだったのだろう。名前さんは俺に友達が居ようと居なかろうと、さして気にしないだろうということを。
「友達居ないの」
 特に驚いた様子も、かといって軽蔑するようなこともなかった。いつもの通り、淡々とした口調だった。俺が黙っていると、名前さんは「ふうん」と呟いた。
「私、友達じゃなかったのか」

「ち、ちがうよ! 名前さんは――!」
 俺が吃驚して名前さんを見上げると、彼女の方も俺を見ているところだった。彼女が少しだけ目尻を下げる。
「私達、友達でしょ」
「……うん!」
 俺は嬉しかった。彼女が俺を友達だと言ってくれたことも、俺に友達が居ないことを不思議がりも驚いたりもしなかったことも、彼女がたっちゃんの件で俺を否定しなかったことも、何もかも。


「ねえ」名前さんが言った。ちょうど、小学校からの通学路で、彼女の家と、俺の家との別れ道に差し掛かる時だった。「何時までに帰ってきなさいとか、言われるの」
「え、ううん。でも、夕飯までには帰ってこいって」
「夕ご飯、いつも何時なの」
「七時くらい」
「ふうん」呟くような声音。
 俺はこの、名前さんの聞いているんだか聞いていないんだか解らない「ふうん」がとても好きだった。
「ねえ、ちょっとだけ家に来ない」
「えっ」

 名前さんの家に訪れたのはその時が初めてだった。それ以前に、確かに家の前まで来たことはあったが、敷居までは跨いでいない。彼女の家はどこにでもあるような今風の造りで、小さな庭があった。物干し竿が置くのがやっとという様子で、その時は何も掛かっていない鉄のパイプが寂しげに屹立していた。家の中も至って普通で、名前さんが普段どんな生活をしているのか想像できなかった俺は、やはり拍子抜けしてしまった。
 ただ、彼女の家はいやにがらんとしていて、嫌でも先の庭が思い出された。物が少ない。玄関には靴が一足もなく、名前さんが脱いだばかりのローファーが、草臥れた調子で並べられただけだ。そして物が少ないのは玄関だけではなく、他の部屋も同様だった。質素な家。住人がそういう趣味だと言われればそれまでだが、俺やいやに落ち着かなかった。
 居間に通された俺は、「誰も居ないの……?」と此方に背を向けている名前さんに問い掛けた。その背中が寂しそうに見えたことを覚えている。コップを二つと、冷蔵庫から出された麦茶を盆に載せ、名前さんは帰ってきた。「親はどっちも仕事でね」
「名前さん、いつも一人なの?」
「いつもってわけじゃないよ」
 彼女の声にどこか冷めた響きを感じ取った俺は、その事について尋ねるのはやめにした。
 名前さんは円筒形のグラスに茶を注ぎ、「ちょっと待っててね」と言って部屋を出ていった。戻ってきたのは数分経ってからで、彼女は「お母さんに連絡しておいたから。夕食までには帰るって」と言った。俺の家に電話を掛けていたらしい。俺は頷くと、ただ黙って名前さんが自分のコップに麦茶を注ぐのを見ていた。彼女がこくこくと茶を飲むのを見てから、俺も手付かずだった茶に手を伸ばした。ごくありふれた味のそれは少しぬるくなっていて、やけに美味しかった。

 二人ともそれからは暫くの間黙っていた。元から名前さんは口数が多い方じゃなかったし、俺は俺で彼女に無理に喋ってもらうよりは、彼女の家の中を眺めている方がよほど楽しかった。彼女が再び口を開いたのは、麦茶の容器に大粒の水滴が結露し始めた頃だった。垂れてゆくそれを見ながら、その向こう側にあるカレンダーに目を向けていると、名前さんの淡々とした声が、俺の鼓膜を揺らした。
「私は、間違ってはいないと思うよ」
 独り言のように呟かれたそれに、俺が目を向けると、彼女は俺の方を見てすらいなかった。本当に独り言だったのかもしれない。俺が彼女から視線を外し、下を向くと、名前さんは「泣くの」と言った。
「別に……泣かない、よ」
「そう」
 俺は結局、彼女にただ一言そう言って欲しかったのだ。
 名前さんは俺が何よりも欲しい言葉をくれた。俺は嬉しかった。彼女なら俺を認めてくれると、心のどこかで確信していたのだ。もはや今となっては、彼女に言われたことが嬉しいのか、受け入れて貰えたことが嬉しいのか判断が付かない。ただ、その日名前さんが俺にとって本当に大切な人になったことは間違いない。
 帰り際、名前さんは俺を家まで送ってくれた。俺が誰にも負けない怪人になりたいと言うと、彼女はふうんと頷き、頑張ってねと口にした。手は繋いでくれなかったが、俺は嬉しかった。
「僕、理不尽が何なのか、解ったよ」
「そう」
「少数派も解ったよ。僕は少数派なんだ。名前さんも」
「ふうん」
 実際よりも数倍背が高い影法師を見詰めながら、俺達は歩いた。その日、家に帰った俺は母親から教室での事を咎められなかった。多分、名前さんが上手く言ってくれたのだろうと思う。母親は夕食ができていることを告げ、さっさと手を洗うように促しただけだった。

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