彼女は俺の味方であり、

 いつだっただろう、ついに俺は怒りを爆発させた。
 自分がたっちゃんの言うことを聞いているのは「理不尽」だった。俺はたっちゃんが嫌いだった。俺を悪者にしたがるたっちゃん。人気者のたっちゃん。弱い者いじめが大好きなたっちゃん。たっちゃんが再び俺をヒーローごっこに誘った時、俺の脳裏には、通学路で、何も言わないまま三人の鞄を持たされていた名前さんの姿が蘇っていた。いつものように、俺を悪者にしてヒーローごっこを始めたたっちゃんは、実に愉快げに笑っていて。
「たっちゃん! 僕と勝負しろ!」
 俺は、理不尽が嫌いだったのだ。このまま俺が理不尽を受け入れていれば、俺は所詮それまでになってしまう。それに、俺が理不尽を受け入れるということは、つまり、俺が名前さんが理不尽を受け入れていることを認めてしまうことになってしまうのだ。
 名前さんは確かに、あの三人に従っていた。恐らく、彼女は俺以上にいじめられているのではないか。彼女はあれ以来、中学校に関する話題を避けた。いじめがひどくなったのかもしれなかった。俺は名前さんが同級生と一緒に居るのを一度たりとも見た覚えがない。
 しかし、彼女は決して理不尽を受け入れているわけではなかった。俺は彼女が自分をいじめている連中に屈さず、自分を貫いていることを知っている。でなければ、彼女の目があんなに強い光を湛えているわけがない。
 俺がたっちゃんやその他の友達から受ける理不尽を受け入れるということは、つまり、名前さんのことまでをも仕方がないこととして受け止めることになってしまうのだ。名前さんは俺の友達だった。俺は名前さんであり、名前さんは俺だった。名前さんが理不尽を受け入れていないのならば、俺も、そうあるべきなのだ。

 もちろん、結果は散々だった。
 俺は圧倒的弱者だった。誰もがたっちゃんの味方をした。恐らくそれは、俺に友達が居ないからではないのだろう。教室に居た全員がたっちゃんの友達というわけではない。たっちゃんの暴虐ぶりを見かねている連中だって少なからず居たのだ。しかしそういった連中も、俺の味方をすることは終ぞなかった。連中にとっても、俺は悪者だったのだ。彼らには、俺がヒーローごっこでマジギレしたようにしか映らなかった。
 たっちゃんや、彼に従順な友人達は俺が常日頃からいじられ役であることを知っている。俺の癇癪が単なる逆ギレではないことを知っていた筈だ。連中は俺が暴れるのをせせら笑っていただけだ。誰も味方は居なかった。
 無論、教師でさえも俺の言うことを聞きはしなかった。たっちゃん一味に押さえられた後、すぐに担任の教師が駆け付けた。人だかり、中心で暴れようとする俺、冷めた顔でそれを眺めている傍観者。教師は騒ぎの原因が俺である、と、すぐに間違った目星を付けた。周りの連中はやれ「ガロウがヒーローごっこでキレた」だの、やれ「たっちゃんを殴ろうとした」だのと喚き立てた。俺は一人別の教室に連れてこられ、教師からの理不尽に耐えた。担任である教師にとって、俺は教室の秩序を乱す問題児でしかなかったのだろう。奴が俺が常習的にいじめられていることに気付いていたのかどうかは知らないが、担任は俺が悪いと一方的に決め付け、俺を叱った。
 俺はたっちゃんに謝らせられた。暴れてすまなかったと。遊びと割り切れずにすまなかったと。迷惑をかけてすまなかったと。たっちゃんやその友達は逐一俺をなじったり、文句を垂れたりしたが、教師が一喝したのでその日はそれでおしまいになった。


 俺はその日、一人で通学路を歩いた。たっちゃん達はどうやら、俺を「友達」の域に括らなくなったらしい。俺はその日からクラスメイト公認のいじめられ役となったのだった。しかし、理不尽を受け入れるよりはよほど良い。元から友達が居たわけでもない。中途半端にいじられ役としてあの不愉快な集団に属しているより、孤立して彼らの悪口に耐えた方がよほどマシだった。
 俺はぐっと唇を噛んだ。
 その時だ、不意に前方を歩いている中学生に気が付いたのは。

 見慣れた後ろ姿だった。膝丈のスカートに、軽く梳かされただけの柔らかな黒髪。鞄には装飾品の一つもなく、姿勢は真っ直ぐとしていて美しかった。
「名前さん!」
 俺は立ち止まり、叫んだ。
 振り返った女子中学生はやはり名前さんで、彼女は俺が駆け寄って抱き着くと、少しだけ目を見開いた。
「名前さん、名前さん」
「何、どうしたの」
 名前さんが優しく、俺の頭に手を置いた。堪え切れず俺が嗚咽を漏らし始めると、彼女は珍しいことに驚いたようで、再び「どうしたの」と言った。その声にはいつもの淡々とした調子はなく、微かな困惑が滲んでいるように感じられた。
 俺は口を利くことができず、ただ黙って彼女の腰にぐっと抱き着いた。セーラー服に、涙が滲んでいく。名前さんはそれ以上俺に尋ねることはせず、ゆっくりと頭を撫ぜてくれた。ゆっくり、ゆっくりと。

 俺の呼吸が比較的に楽になった頃、名前さんは俺を撫でるのをやめた。
「男の子だから、なんて言わないけど」彼女の声は既にいつも通りの淡々とした調子を取り戻していた。「あんまり、泣いちゃあ駄目」
 彼女のその言葉に、俺は一瞬涙が引っ込んだ。俺はてっきり、彼女だけは何があっても俺の味方で居てくれると思い込んでいたのだ。この人も俺を敵にするのか――。俺はそう思い、少しだけ彼女から身を離した。名前さんの無表情が――そこはかとなく、優しげな顔が――俺を見下ろしていた。
「私が哀しくなるから」

「……え、」
 本当に涙が引っ込んだ。
 彼女が何を言ったのか、一瞬解らなかった。彼女の表情が優しげに見えたのは一瞬のことで、気付けば普段通りの鉄面皮に戻っていた。しかし、俺はその時確かに聞いたのだ。私が哀しくなるからと。
 彼女の感情に俺が影響するのか――それだけで、俺はいやに晴れがましい気分になった。
「なんだ、もう泣かないの」
「泣かないよ。僕、男なんだから」
「ふうん。私は中学生だけど、泣くよ」
「えっ!」
 名前さんの顔を見上げても、「動きにくいから、そろそろ離れてくれる」と言っただけだった。名前さんが泣く? それは本当だろうか?
 当時の俺には解らなかった。小学一年生だった俺にとって、中学生の彼女は大人に等しかったのだ。むしろ、俺の知る大人よりも数段落ち着いている彼女は、誰よりも大人だった。そんな彼女が泣くなんて。想像できなかったし、何より信じられなかった。今になって思えば、彼女のそれは嘘だったのかもしれない。嘘というか、彼女なりのジョークだったのだろう。名前さんとの付き合いは十年にも及ぶが、彼女が泣いているのは一度たりとも見た覚えがなかった。

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