俺は彼女にひかれていた。

 俺にとって、名前さんは強くて優しい人だった。俺の初めての友達で、家族と同じように、もしくは家族以上に大切にしたい人だった。だから俺は彼女がいじめられているのを見た時、絶望に打ちひしがれると同時に、頭にカッと血が昇った。


 四人の女子中学生が帰路に付いていて、その内の一人が名前さんだった。他の三人から数歩遅れて後ろを歩く名前さんの顔はいつにも増して無表情で、俺は少しだけ怖かった。彼女が持っている鞄は、一個、二個、三個、四個。きゃははははと姦しい笑い声を立てている連中は、明らかに名前さんを除け者にし、それどころかあれはいじめだった。
 公園で一人本を読んでいる自分と、彼女の姿が重なる。
 俺は体中の血がふつふつと沸いてくるのを感じた。どうして、あの下品な女達は名前さんをいじめるんだ? どうして、名前さんは何も言わずに従っているんだ? どうして? どうして?
 俺の中で名前さんは、不本意なことにヒーローのような存在だった。弱い者いじめを止めてくれた名前さん。俺の味方をしてくれる名前さん。俺の友達になってくれた名前さん。
 多分、俺は盲目的に彼女を好きだったのだ。だから小学生の俺には目の前に起きている出来事を受け止めることができなかったし、そもそも受け止める気もなかった。もっとも、例えそれが今の出来事であっても変わりはしないだろうが。

 俺には名前さん達四人の中で、どのようなやりとりが行われているのか解らなかった。ただ、一見して彼女は絶対的弱者であり、絶対的弱者である彼女は俺の友達だった。いくら俺だって、見ず知らずの女子中学生が、見ず知らずの女子中学生達にいじめられていたって止めに入ったりはしなかっただろう。更に付け加えるならば俺は小学一年生で、彼女達は中学生なのだから。しかし俺は弱い者いじめが嫌いで、大人数で寄って集っていじめるのは殊更嫌いだ。何より俺には、名前さんが虐げられているその様が我慢できなかった。
 俺の存在に気付いたらしい名前さんが、少しだけ目を見開いたのを俺は目撃した。それが何を意味するのかは、考えもしなかったが。

「い、いじめはやっちゃいけないんだ! 自分の鞄くらい、じぶ、自分で持ちなよ!」
 そう言って三人の前に立ちはだかった俺を、名前さんをいじめていた三人はぽかんとしながら見ていた。馬鹿笑いは失せている。やがて、彼女達のくすくす笑いが始まった。正義漢気取りの小学生への嘲笑。俺はますますカッとなって、「名前さんに謝れよ!」と叫んだ。

 名前さんを、助けたかった。
 弱い者いじめされているのも、三人対一人であることも関係なく、ただ――彼女のヒーロー、に、なりたかったのだ。

 俺の存在をまるまる無視しようとした三人に、俺はもう一度「名前さんに謝れ」と怒鳴ろうとした。しかし、あたかも瞬間接着剤で糊付けされたかのように口が開かなかった。名前さんだ。俺は必死になって口をこじ開けようとしたが、無駄だった。幸いにも三人は俺の異変に気付かなかったようで、厭らしい笑みを張り付けたまま名前さんの方を見た。
「こいつ、あんたの弟?」
「似てなくない? 学校で良い顔できないからさあ、小学生手下に付けて自己満感じちゃってるんじゃないの?」
「言えてるー!」
 明らかに嘲りの色を浮かべている彼女達を真っ向から見ているだろうに、名前さんは顔色一つ変えなかった。いつもよりも緊張しているような面持ちではあるが、三人の言葉に傷付いた様子もなく、連中もそれを悟ったのだろう、標的を俺に変えた。やれ不細工なガキだの、中学生に喧嘩売るなんて馬鹿でしかないだの、名前と仲が良いくらいだから碌なガキではないだの、色々と。俺は女達の口から名前さんの名前が出た時、その女を滅茶苦茶にしてやりたいと思った。名前さんが何も言わないからって、好き勝手振る舞うその連中を。しかし俺が癇癪を爆発させる前に、彼女達の頭の上に通学鞄がふっと現れた。
 勝手にジッパーが開いたそれは、中身をぶちまけながら重力に従い落ちていき、持ち主の頭に大雨を降らした。教科書はあまり入っていなかったようだが、開いたペンケースから飛び出たシャープペンシルやら、持ち込み禁止であろうMDプレイヤーなどが音を立てて地面に激突した。彼女達は痛みと、それから高価な電子機器が墜落したことへ悲鳴を上げた。
 空っぽの通学鞄が三人の頭に落ちたのを皮切りに、名前さんがすたすたと歩き出した。俺は呆気に取られていたが、急いで彼女を追い掛ける。名前さんには女子生徒達を少しも気に掛けた様子がなかった。後方からは「化物!」とか「何てことしてくれたのよ!」とか、ヒステリックな叫び声が聞こえていた。俺は既に口を動かせるようになっていたのに、一言も喋れなかった。漸く口を利けるようになったのは、それからかなり離れた場所でだった。俺は名前さんを見上げる。
「名前さんは、くやしくないの?」
「悔しくはないよ」
 返事はすぐに返ってきたが、前を歩く彼女がどんな顔をしているかは解らなかった。
「理不尽に腹を立てても仕方がないもの」
 彼女の口から、以前にも聞いた言葉が飛び出した。
「私達は少数派だから」その時の彼女の声も、やはりいつも通り、淡々とした調子だった。「仕方がないんだよ」

 彼女が何を思って、あの女達と一緒に居たのかは解らない。しかし、彼女が言わんとしていることは何となく解った。彼女は俺と同じだったのだ。俺は「理不尽」も「少数派」も解らなかったが、どうして俺が一方的に名前さんを慕っているのか、その時初めて理解できた気がした。
 俺は名前さんの袖を掴んだ。
「僕、ずっと名前さんの味方だよ」
「……ありがとう」


 その日、俺は父親に「理不尽」が何たるかを聞いた。

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