彼女の手は優しく温かで、

「僕、怪人になりたいんだ」
 二人でジャスティスマンの再放送を見ていた時、俺は気付けばそう口走っていた。誰にも言ったことがなかった。いや、過去にはあったかもしれない。しかし「怪人になりたい」などという願いが、倫理的におかしいことくらいは当時の俺でも解っていた。怪人とは災害であり、人ならざる者のことだ。年々発生率が上がっていて、毎年何人もの人が犠牲になっている災害。
 俺は咄嗟に口を噤んだ。宣伝の大音量に流されて、彼女に聞こえなければ良いと思った。恐る恐る名前さんを見ると、彼女は別段いつもと変わった様子はない。聞こえなかったのだろうか――そう思っていると、彼女が不意に俺の方を見た。俺は心底どっきりして、彼女の黒い瞳を見詰め返した。その両眼からは何の気持ちも汲みとれない。
「いいんじゃない」
 好きにしたら、いいんじゃない。彼女はそう言った。馬鹿にするでもなく、不気味がるでもなく。俺は驚いて、「ほ、ほんと!」と叫ぶように聞き返した。既に名前さんは俺から視線を外していて、「ほら、始まるよ」と言うだけだった。
 残りの十数分間、俺は彼女の言葉の真意について考えていた。デビル伯爵達の攻防は、既にBGMと成り果てている。真剣に見ていたとしても、どうせ伯爵はジャスティスマンに勝てないのだから意味がないのだ。
 名前さんは、どういった意味でああ言ったのか?
 無論、答えは出なかった。

 ジャスティスマンが終わると、名前さんはゆっくり立ち上がった。いつものことだ。俺は玄関まで名前さんを見送り、また会う約束を取り付ける。しかしこの日、俺は「名前さん、家まで送ってく」と言ったのだった。それは何故か。どうしても、彼女の真意を知りたかったからだ。恐らく、名前さんに家に残ってもらうことはできない。俺は何となく彼女の考え方を理解していた。どこまでなら許容してくれるのかを。
 家に留まってもらって話をすることはできないだろうが、彼女の家へ行く道々に話をすることはできる。
 名前さんはほんの一瞬だけ眉を寄せたようだったが、いつものように淡々と「そう」と言っただけだった。


 その日、辺りは夕焼けに染まっていた。どこもかしこも不気味に赤く、たった徒歩数分の距離で、しばしば隣を歩く名前さんを見上げたのを覚えている。彼女の向こう側を、赤く染まった軽自動車が走っていく。俺が何度も彼女の方へ視線を向けるのが鬱陶しくなったのか、名前さんは俺の手を引いて歩いてくれた。手を繋いだのはこの時限りだったが、俺の手よりも大きく温かな彼女の手はとても柔らかかった。
「僕、悪役が好きなんだ」俺は言った。「ジャスティスマンも、ジャスティスマンよりデビル伯爵の方がずっと好きなんだ」
「だって、伯爵の方がかっこいいんだ」
「ふうん」
 彼女の返事は素っ気なかったが、俺は嬉しかった。否定せず、俺の話を聞いてくれることが。誰に言っても、自分はおかしいと認識させられるだけだった。みんなジャスティスマンが好きだったのだ。何より、繋いだ手が暖かく、彼女と本当の意味で繋がっているような、そんな他愛のない思いが俺の満たされなかった心を癒した。
「私も」名前さんが呟くように言った。小さな声だった。「悪役の方が、好きだよ」
「……ほんと!」
 返事の代わりに、彼女は俺の手を優しく握った。
「でも、悪役は絶対に負けちゃうんだ。だって、悪役だから」
「理由になってないね、それ」彼女はそう言って薄っすら笑う。
「でも、そうだね」
「絶対に、負けちゃうんだ……」
 俺がそう呟くと、彼女はやはりいつもの淡々とした調子で言った。「理不尽だよねえ」
「り……ふじん?」
「んー……」珍しく、その時の名前さんは言葉を詰まらせた。「まあ、その内に解るよ」
 そうして、その話題は終わりになった。俺にはまだ尋ねたいことが沢山あったが、同時に充分であるような気がしていた。
 彼女は俺を、解ってくれた。
 その時の俺には「理不尽」が何なのか解らなかったが、自分が抱いていた思いのその一部分でも誰かが理解してくれている、それが何よりも嬉しかった。俺はますます名前さんに親しみを感じた。口数も少なく、表情も乏しく、年上で、女である彼女は、俺の一番の味方のようであり、姉のようであり、友達だった。

 彼女の家は何の変哲もない一軒家で、俺は妙に拍子抜けしてしまった。名前さんは「ちょっと待ってて」と俺に言い、一人家の中へ入っていった。待つこと数分、彼女は飴の包みを持っていて、俺に差し出してくれた。
「さ、行くよ」
「……え? でも、名前さんの家は……」
「こんな時間に、小学生を一人で帰らせたりしないよ」
 彼女は再び俺の手を引いて歩き出した。今度は二人とも何も喋らなかった。彼女がくれた飴は甘く、いちごの味がした。

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