俺はいつも彼女を見上げていた。

 公園での事があってから、名前さんとはちょくちょく顔を合わせるようになった。と言っても、俺が一方的に彼女の側へ近付こうとしていただけだ。俺にとって、自分の話を聞いてくれるのは名前さんただ一人だけだった。名前さんだけが、俺の夢を馬鹿にもせず、かといって不気味がりもせずに聞いてくれた。彼女は基本的に自分以外のものに興味がないようで、小学生が一人付き纏っていても、特に気にした風もなかった。
 いや、彼女は自分に対しても、一切の関心を抱いていなかった。
 俺が彼女の名前を知ったのは、出会って一週間ほどが経った頃だった。俺と彼女との間に、それぞれを表す固有名詞は別段必要ではなかったのだ。彼女は俺のことを名前で呼ばなかったし、俺も下手に彼女の名前を知ってしまうと、ますます離れ難くなることが幼いながら解っていた。名を知る切っ掛けとなったのは、俺の家に名前さんが遊びに来ていた時、たまたま母親が家に居たからだった。
 名前さんはよく、俺に付き合って一緒にテレビを見たり、本を読んだりしてくれた。勿論それは家の中で行われることだ。彼女としては「小学生に付き合ってやっている」くらいの気持ちだったのかもしれないが、俺はひどく嬉しかった。友達を家に招いたことはない。自分の家に、家族でない他の誰かが――しかも親しくなりたいと思っている他の誰かが――居るのは素晴らしいことだった。
 当時、俺の父母は俺に同年代の友達が居ないことを危惧していた。名前さんは同年代ではなかったが、母からしてみれば子どもであり、俺の友達に映ったのだろう。その日偶然家に居た彼女は、勿論名前さんの名前を知りたがった。
「名前といいます。お邪魔しています」
 そう言って頭を下げた名前さんを見て、母は「ああ、一丁目の」と納得した風だった。名前さんの名前を知れたことは嬉しかったが、その反面悔しくもあった。どうして、母は彼女を知っているのか。俺は知らなかったのに。
 それからは、俺よりもむしろ母や父が名前さんを家へ呼びたがった。多分、誰とも遊ばない俺を心配してのことだったのだろう。パートから帰った母は真っ先に「名前ちゃんと遊んだ?」と尋ねるようになったし、父までもが仕事から帰ると「名前ちゃんと仲良くしてるか?」と問い掛ける始末だった。
 名前。それが彼女の名前だった。恐らく俺の一生の中で、一番多く呼んだ名前だろう。それまでも、これからも。

 彼女が超能力者だと知ったのは、彼女の名前を知ったすぐ後だった。その日の晩、珍しく早く帰ってきた父親と三人で食卓を囲んだのだが、その時に名前さんの話題になった。
「確か……超能力が使える? とかいう子だったか?」
「そんな噂もあったわね。もう中学二年生ですって」
「早いもんだなあ」
 その時の俺には「超能力」がいまいち解らなかったし、二人の口振りからいって、その「超能力」が眉唾ものであることは確かだった。しかし名前さんに「超能力が使えるって本当なの?」と尋ねると、彼女は一、二度目を瞬かせて、「本当だけど、誰に聞いたの」と静かに言った。
「お父さんとお母さんが話してたんだよ」
「ふうん」あまり興味がなさそうな口振りだ。
「名前さん、スプーン曲げられるの?」
「……まあ……」
 珍しく、歯切れの悪い返事だったように思う
 超能力っていうと、スプーンなんだねと、彼女は薄っすら笑った。
 超能力を見せて欲しいとせがむと、彼女は指をちょいと動かしただけで俺を宙に浮かべてみせた。その浮遊感がいやに気持ちが悪く、俺はすぐに下ろしてと頼んだ。彼女は俺を元通りソファーに座らせると、「あんまり良いもんじゃないでしょ」と、いつもの淡々とした調子で述べた。その時は気が付かなかったが、名前さんはおそらく、超能力が使えることに苦い思い出があるのだろう。ほんの少しだけ、口元が歪んでいた気がする。
 俺は宙に浮かんでいる僅かな時間だけ、彼女の力を恐ろしいと思った。しかしそれが終わると、彼女のその力がとても素晴らしいものに思えてならなかった。
「この間、たっちゃんを止めたのも、名前さんだったんだね」
「たっちゃん」
「公園で、僕を蹴ろうとしてた奴だよ」
「ああ……」
 興味がなさそうな声色だった。

「ねえ、名前さんはどうして普段から超能力を使わないの?」
「別に、良いんだよ」
 俺が尋ねると、名前さんはテレビから目を離さないままそう答えた。ジャスティスマンの再放送。俺は内容を知っていながらも、よくこの再放送を見ていた。二人でジャスティスマンを見て、それから名前さんは帰っていく。いつもの、気に食わない成敗BGMが流れ始めた。毎回毎回、最初は上手く行っていたのに、最後には必ず倒されるお決まりのパターン。何度も繰り返されるそれは、恐らく視聴者に受けるのだろう。たまには違う筋書きを放映してもいいじゃないか――悪役が勝つ、そんなシナリオを。
「ねえ」俺は答えを急かした。
 超能力なんてものがあれば、きっと誰からもいじめられないに違いない。たっちゃんからも、誰からも。俺はその時には、「超能力」が生まれながらの能力、天賦の才能であることには気が付いていた。そもそも頭に超が付くのだから、単純に考えても凄いものなのだと解ったのだ。別に、自分が超能力を使えるようになりたいとは思わなかった。ただ、目の前の女子中学生が、有名になるでもなく、ただひっそりと自分の力を隠しているのが何故だか無性に気に食わなかった。
「ねえ、名前さん」
「私のこの力はね」名前さんが口を開いたが、彼女はじっとジャスティスマンを眺めていた。「誰か大事な人が困ってる時だけに使うって、決めてるんだよ」
「大事な人?」
「ガロウとかね」
 いつもの通り、淡々とした言葉。しかし俺は、彼女の大事な人の中に自分が含まれていると知って、ひどく嬉しかった。彼女の超能力など、もうどうでも良くなっていた。今となっては彼女の言葉がどこまで真実なのかは解らない。小学生を黙らせる為に、わざと俺が喜びそうなことを言ったのかもしれない。ただ、その時の俺にとっては彼女の言葉は絶対的な真実でしかなく、その言葉は嬉しくてたまらなかった。ある種の興奮すら感じていた。
 名前さんは「ほら、もう終わっちゃうよ」と言って、俺の注意をテレビに向けさせた。デビル伯爵が捨て台詞を吐いて退いていく。伯爵の野望を打ち砕いたジャスティスマン達が、円満なラストを迎える。いつもは腹立たしい光景も、この時はさほど気にならなかった。

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