貴方の目はとても綺麗なのね、私、知らなかったわ

※夢主が怪人になりかけ

 ぼんやりと窓の外を眺めていた時、インターホンが来客を知らせた。いったい誰だろう。名前はぼんやりそう考えたが、出迎えることはしなかった。来客の予定はない。変わらずどんより曇った空を眺めていると、後方からガチャガチャと喧しい音が聞こえてきた。それから、扉の開く音。ダンダンと走るようにして家の中に入ってきた誰かは、そのままの勢いで「名前!」と叫んだ。
 振り返ってみれば、赤い瞳の男と目が合う。
「あー……ゾンビマン」
「びびらせんじゃねえよ! 携帯は繋がらねぇし電話には出ねぇし! 何かあったかと思っただろ!」
 はぁーっと脱力した恋人を、名前はぼんやり眺めていた。そう言われてみれば、ここ数日のあいだ五月蠅いくらいに電話が鳴っていたような気がする。何度も何度も。あれはゾンビマンだったのか。
 彼がどうして怒っているのか、いまいち解らなかった。
「携帯――あー……電源、切れたんだった」
「充電しろこの馬鹿!」
 ごすんと軽く頭を殴られた。久々に感じる感覚だった。

 フローリングに座り込んでいた名前の隣に、ゾンビマンも同じようにぺたりと座り込む。それから大きな溜息。それほど心配させていたのかと思うと、少しだけ罪悪感が沸いた。ごめんねと言うと、うるせえ黙って抱き締めさせろと怒られた。言われるがまま、彼の抱擁を受け入れる。どくり、どくりと、心臓の鼓動が触れ合った胸から直接伝わってくるようだ。
「一ヶ月も音沙汰無しとかどういうつもりだ馬鹿野郎」
「そんなに?」
「そんなに!」
 確かにゾンビマンの顔を見たのは久しぶりに感じたが、それほどの間会っていなかっただろうか。名前は首を捻る。抱き締められている状態では難しいから、気分だけだ。つい昨日、彼と会ったばかりのような気もするのに。
「ったく……無事ならいいんだよ。あんま心配させんな」
「ごめんね」
 もう一度そう言うと、ゾンビマンは腕にぐっと力を入れた。
「つか暗ぇよ電気つけろ馬鹿」
「うん……」
「それに何だお前臭いぞ。まさか風呂入ってねえんじゃねえだろうな!」
「うーん……?」
「即刻入れ!」

 バスタブに湯が注がれるのを黙って見ていると、部屋の方から「名前!」という罵声が飛んできた。すぐにどたどたと足音がして、浴室の扉からゾンビマンが顔を覗かせた。何の躊躇もない。もっとも、名前はまだ服を着ているが。「てめえ名前! あの冷蔵庫どうなってんだ! 全部腐ってんじゃねぇか!」
「お前、何食って生きてたんだ」
「……え? 別に、何も」
「なにも」
「最後に食べたの……いつだったかなあ……」
 名前が考え込むと、ゾンビマンは口を噤んだ。
「……解った、食う物は俺が何とかしてやるから、今は取り敢えずさっさと風呂入れ。な?」
 ったく今にも死にそうな顔色しやがって、とぶつぶつ言いながら、ゾンビマンは視界から消えた。名前は再び湯船に目を落とした。最後に食べたの、いつだったかなあ。そうぼんやり考えながら。後方からばたばたと慌ただしい音が聞こえてきて、ガチャリと鍵の閉まる音を最後に何も聞こえなくなった。ゾンビマンが出掛けたらしい。静かな家の中、湯が注がれる音だけが耳に響く。

 名前が湯に浸かっていると、浴室の戸が最初は軽く、やがてバンバンと大きな音がするくらいに強く叩かれた。それから不躾に扉が開かれる。顔を出したのはやはりゾンビマンで、「返事くらいしろこの馬鹿!」と怒鳴られた。湯気が逃げていく。
「ごめん……」
 湯船に埋まるようにして浸かっている名前を見て、ゾンビマンは一瞬言葉を失くしたようだった。彼の顔が赤く染まっている。いつも血の気の無い顔をしているのに。
「というかお前、長風呂にも程があるだろ。もう飯の用意もできてんだぞ。いつまで入ってんだ――っていうかそれ、髪洗ったのか?」
「うーん……?」
「洗え馬鹿!」
 名前が尚も動かずじっとしていると、業を煮やしたのかゾンビマンがずんずんと浴室に入ってきて、シャワーを手に取るとそのまま名前の頭を洗い始めた。「くせえ!」とか「泡が全然立たねえ!」とか一人で喚いている。わしわしと彼が手を動かす度、ぐわんぐわんと頭が揺れる。それが妙に心地よかった。
「おい名前、体はちゃんと自分で洗え! いいな?」
「んー……」
「あああああもう!」
 結局、ゾンビマンは何だかんだと文句を言いながら体の隅々まで洗ってくれた。


 目の前にずいっとスプーンが押し付けられる。お粥のようなものが乗っていて、微かにコンソメの匂いが漂うそれはリゾットなのだろう。自分から動こうとしない名前を見て何を思ったのか、ゾンビマンは徹底的に介護に努めようと決意したらしい。体を拭くのも、服を着せるのも、髪を乾かすのも、何もかもやってくれた。彼の手にするそれを食べたいとは思わなかったが、ぎらつくゾンビマンの目を見ていると無理やり口をこじ開けられる気がしたので、仕方なく名前は口を開けた。
 良い具合に暖められたリゾットは、妙に味気なかった。
「……おいしくない」
「ああ? お前これ好きって言ってたじゃねえか」
「そうだっけ?」ようやくごくんと飲み込んだ。「美味しいけど、美味しくない……」
「頭イカレたか? 病院行くか?」
 名前が首を振ると、ゾンビマンは小さな溜息を漏らした。ゆっくりでいいからもう少し食べろ、そう優しく言って。



 リゾットを三分の一ほど食べたところで、名前はギブアップした。胃袋の中に入らないどころか、せり上がってきそうだった。ゾンビマンはもう少し食べろと言ったが、顔色を悪くした名前を見てそれ以上は何も言わなかった。ベッドに仰向けに横たわると、ゾンビマンも心配そうな顔付きでついてきた。
「ねえ、一緒に寝てくれる?」
「何だ? 名前、本当にどうしたんだ?」
「ねえ」
「……解ったよ」
 ゾンビマンはそう言うと、もう少し奥へ行くよう促し、名前の隣に寝そべった。繋いでくれた彼の手は血色は悪いのに随分と暖かい。ぐっと握ると、「いてて」と声がした。

 不意に――そう不意に、彼の白い首筋が目に留まった。ちょうど手を伸ばした位置にあるそれは白く、筋張っている。時々喉仏が上下に動いて、ゾンビマンが生きていることをこれでもかと主張しているようだった。

 ごほっとゾンビマンが咳き込んだ時、名前は我に返った。ぱっと手を離すと、彼の白い首筋に赤く手形がついている。手の中には、先程まで掴んでいた彼の首の感触。げほげほと涙目になって咽込んでいるゾンビマンに、「ご、ごめんね」と泣きそうになりながら謝った。私は今、いったい何をしていたんだ? 首を絞めていた? 誰が? 誰の? 私が? ゾンビマンの?
「ッごほっ……何だ? 急に、どうした?」
「わか――わかんない」
「……そう、か」ゾンビマンが言った。「まあ相手が俺で良かったな。俺じゃなけりゃ、下手したら死んでたかもしれないぜ」
「うん……」
 再びごめんねと言うと、ゾンビマンはいいよと微笑んだ。
「多分、お前疲れてるんだ。さっさと寝ろ。な?」
「……うん」


 静かな部屋、窓から差し込む日差しは紅く、名前の部屋の中さえも紅く染め上げた。逢魔時だ。しかし何よりも赤いのは、ゾンビマンの瞳だった。血のように赤い。
「――ゾンビマンの」
「何だ?」
「ゾンビマンの目、綺麗だね」
「そうか? ありがとよ」
「うん」名前は呟いた。「きれい」

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