あなたの香りで満たされる

※若干下品

 これ洗濯しといて、と例のコスチュームを手渡された。脱皮してる!とぎょっとしたのが顔に出ていたのか、訝しげに名前を見詰めていた番犬マンだったが、やがてどこかへ行ってしまった。ごく当たり前の恰好をしている彼より、番犬マンとして白いコスチュームを身に着けている姿の方が見慣れているとは、何とも不思議なものだ。

 洗濯機に放り込む前にふと思い至って、番犬マンのスーツを広げてみる。名前の身の丈よりも大きく、肩の部分を持つだけでは足の方が床に擦れてしまっていた。真っ白である筈のそれは、今は砂埃やら何やらで薄汚れている。大雑把に二つ折りにしてみると、脱いだばかりなのだろう微かなぬくもりを感じた。ほんのりと温かなそれは、同時に何やら湿っている。
「返り血……いや、汗かな」
 先程見た限りでは、赤くはなかった。するとこのしっとりとした感じは、彼の体液が付着したものだろう。涼しげな顔をしているのに、やはり汗はかくのか。我が恋人殿は汗水垂らしながら、このQ市を守ってくれているのだ。何故だか無性に嬉しくなって、思わず手にしていたコスチュームをぎゅっと抱き締めた。すると、当たり前だが男臭い匂いが鼻をつく。
「あ……」
 ――番犬マンの匂いだ。
 少しだけ腕を緩め、名前はもう一度その白い犬のスーツをまじまじと見てみる。番犬マンが四六時中身に纏っているそれは、勿論番犬マンの匂いが染み付いている。名前は黙って白色のそれを眺めていたが、再びそっと抱き抱えた。心なしか、さっきよりも顔を近付けて。
 汗の饐えたような匂いがする。しかし同時に、一番嗅ぎ慣れた他人の匂い、つまり番犬マンの匂いが名前の鼻を刺激した。ひどく安心する匂いだ。思い切って顔を埋めてみると、まるで番犬マンを抱き締めているかのような、不思議な心地になった。


 すん、と一嗅ぎした時、後方からカタっと小さな音が聞こえてきて、名前は飛び上らんばかりに驚いた。弾みでコスチュームが落ちる。恐る恐る振り返ると、いつもと変わらない退屈そうな顔をした番犬マンが、じっと此方を眺めていた。
 ――見られてた!
 名前が顔を真っ赤にさせると、番犬マンは寄り掛かっていた壁から身を起こし、「邪魔して悪かったね」とだけ言った。
「な、見、いつっ……」
「なかなか戻って来ないと思って」番犬マンが言った。「僕は人の嗜好に口出ししたりしないけど、流石に自分の服嗅がれてるのには驚いたよ」
 名前が口をぱくぱくさせていると、すたすたと歩いてきた番犬マンは、我関せずといった調子で落ちていた犬のスーツを拾い上げた。それからそのまま洗濯機の中へ放り込む。ごうんごうんと、洗濯機が独りでに音を立て始めた。
 もしかして、嫌われたのでは――名前は紅潮していた自分の顔から、急激に血の気が引いていくのを感じた。そりゃ、そうだ。誰だって自分の匂い嗅いでる変態女は願い下げだ。別に名前は匂いフェチじゃない。ただ……そう、出来心だったのだ。思わずやってしまっただけだ。彼の匂いを嗅いで興奮していたわけじゃないのだ。それでも、傍目からはただの変態行為でしかないわけで。
 名前の表情を読み取ったのか、番犬マンは「まあ」と口を開いた。
「僕は別に、名前が匂いフェチだろうと引かないよ」
「ば、番犬マン……」
「君も、僕が君の残り香でオナニーしてるって言っても引くなよ」
「ありが――うん?」


 今こいつ何て言った?
「……え?」
「君がやらせてくれないから溜まるんだよ」
「…………いやいやいやいや。残り香って何? それでオナニーってどういう事? というかやらせてなくないじゃん多いくらいじゃん」
「足りない」
「いやいやいやいや。番犬マンが満足するまでやってたら死ぬからね私が」
「解ってる。でも溜まるんだよ」
「……いやいや……それでも残り香でするのは……おかしい……」
「うるさいな……」
 番犬マンはそういうや否や、名前をぐっと抱き上げた。
「ちょっ」
 細い体をしている割に、流石S級ヒーローであるだけあって腕力がある。軽々と抱えられた名前は、ごく間近に番犬マンの顔があることと、いつもと違い自分が見下ろす側であることに心臓を脈打たせた。互いに無言のまま見詰め合うこと数秒。番犬マンの頭が動き、そのまま名前の首元に顔を埋めた。
「っ……ちょ、」
 すんすんすん。彼の鼻息が聞こえてくる。特に荒いわけではないのだが、彼は明らかに音がするように鼻を鳴らしている。彼の息遣いをその身で感じる。彼の鼻息が羞恥心を煽り、名前は再び顔を赤く染めた。身を捩らせて逃れようとするも、がっちりホールドされていて動くことは叶わない。むしろより強く抱き締められるは、彼の両手まで不穏な動きを見せ始めるはで、結局名前はそれからの数分間ずっと耐え忍ぶことに努めた。もうやだこの人。

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