無防備な同居人

 一緒に暮らし始めてから気付いたが。
「ただいま、名前さん」
 そう言って笑ってみせた無免ライダーの頬は青く変色しており、名前は思わず目元をひくつかせた――こいつ、とてつもなく弱い。


 溜息をつきながら脱脂綿を消毒液に浸していると、無免ライダーは何がおかしいのかへらへらと笑っていた。無性に腹が立って、必要以上の力で綿の塊を頬に押し付けてやる。途端に「いてててて」と声がして、名前は少しだけすっきりした。

 名前は怪人だった。それも、人間達の定めた災害レベルで表すなら“鬼”という、高レベルの怪人だ。それがどうして人間の男、しかもC級ヒーローなんかと同棲しているかというと、話は三か月前に遡る。
 その日、名前は死にそうになっていた。S級ヒーローの手によってだ。最後の力を振り絞って土下座をかまし、命乞いしたところ、ヒーローは呆気にとられ隙が生まれた。名前は命からがら逃げ出したのだが、それ以来「ヒーロー」がトラウマになっている。
 無免ライダーと出会ったのはその日の暮れ方で、名前を見付けた無免ライダーは自らをヒーローと名乗り、名前と戦う姿勢を取った。しかし名前の脳裏には先のヒーローが蘇り、今度こそ殺されるのではと思い、気が付けば土下座をしていた。
「も、本っ当にすみませんでした! もう悪さはしません! 命だけは助けて下さい!」
 そんなことを叫んだ気がする。災害レベル“鬼”が、C級ヒーローに向かって。
 無免ライダーはきょとんとし、それから名前に「更生」の道を勧めてくれた。今からでも遅くない、人並みに生きることはできる筈だと。何だかんだで丸め込まれ、いつの間にか一緒に暮らしている。

 しかし、すぐに名前は気付いた。こいつ、滅茶苦茶弱いと。

 無免ライダーは生傷が絶えなかった。ヒーロー稼業がどれだけ厳しいものなのか、確かに名前は知らない。しかし話を聞いてみれば、猫を助けようと木に登れば足を滑らせ足を捻ったというし、チンピラを懲らしめようとしたら逆にのされてしまったこともあった。強いヒーローなら、絶対にそんな怪我を負いはしないだろう。
 ヒーローに階級があることは知っていたが、無免ライダーは下位に位置するヒーローだった。おそらく、名前なら一瞬で殺せてしまうのではないか。そんなヒーローに土下座をかましてしまったことを思うと恥ずかしかったし、何より情けなかった。


 無防備に患部を手当てさせるこの男は、名前が怪人だということを忘れているのではないだろうか。もう一度溜息を――今度はどことなく大きめに――吐けば、無免ライダーは「幸せが逃げてしまうぞ」と言った。
「あんたが私が怪人だって忘れてるんじゃないかと思って」
「んん?」
 無免ライダーが小首を傾げた。大の大人がやっても、少したりとも可愛くない。さっさと服を脱げと言うと、無免ライダーは黙ったまま何やら思案し始めた。仕方なく、彼が考え終わるのを待つ。治療は早いに越した方が良いと思うのだが、何故だか逆らえないのでどうしようもない。やがて、無免ライダーはぽんと手を叩いた。
「ほら」そう言って彼が何やら差し出した。
 それは無免ライダーがいつも身に着けているゴーグルで、名前は何が何だか解らなかった。付けてみろと促され、訳も解らず言われるがままに装着する。視界が限られ、一色に染まるそれは、今目の前にいる男がどんな表情をしているのかも読み取り辛かった。無免ライダーは――笑っている。
「こうすれば、君は殆ど人間じゃないか。一緒だよ、俺も、君も」
 な、と笑う無免ライダーは、やはり名前が怪人であることを忘れているらしい。

 名前にとって少々大きいそのゴーグルのおかげで、頬を染めたのは気付かれていない。と、思う。もう一度、名前は小さな溜息をこぼした。絶対に私に敵わないだろうこの人から逃げられないのは、私がこの人に弱いからなのだろうか。
 怪我をしているだろう肩をばしりと叩けば、無免ライダーはぎゃっと悲鳴を上げた。


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