ねがわくば

 ヒーローの中で誰が好きか。そう尋ねると、異口同音にアマイマスクだと返ってくる。名前もそうだ。友達に尋ねられれば、イケメン仮面が一番好きだと答えるだろう。しかし実のところ、名前が好きなヒーローは別に居る。彼女達の前で偽りを口にするのは、教室内で築かれる小集団から除かれたくないからという、実に単純な理由からだった。
 ――大丈夫か? おい、別に礼なんて――ああ俺? 俺は趣味でヒーローをやっている者だ。じゃあな。
 友達の誰も知らないとしても、私にとって、彼は最高のヒーローだった。


 二年前、怪人に殺されそうになっていた私を助けてくれた彼は、サイタマという名の青年だった。名前が彼の名を知っているのは、それ以来、何度か彼と顔を合わせているからだ。名前もサイタマもZ市に住んでいた。
 怪人の出現率が高く、居住区が限られている現在のZ市では、当然行動範囲も限られている。どうやらサイタマは居住禁止区域に住み続けているようだったが、人が居ない以上、そこだけで生活するわけにもいくまい。彼が行き付けにしているスーパーマーケットは、名前が住むマンションのすぐ近くにある。
 そして最近、彼は正式なヒーローになったらしい。サイタマが語ったことによると、それまではヒーロー協会の存在を知らなかったのだとか。知っていたなら教えてくれたら良かったのにと言って名前を小突いた彼に、名前は思わず笑ってしまった。

 先日、Z市を巨大な隕石が襲った。肉眼でも簡単に捉えられたそれは、本来ならZ市を全て破壊する筈だった。名前も、それがやってくるのを見ながら、死を覚悟していた。しかし、Z市は依然として原型を留めているし、名前も生きている。墜落する筈だった巨大隕石を、ヒーローが破壊し、被害を抑えてくれたからだ。隕石は砕かれ、街にはばらばらになった隕石の破片が降り注いだ。しかし、死傷者は出なかったという。
 名前は直接その現場を見ていたわけではない。隕石を破壊してくれたのは、サイタマだったそうだ。人伝に聞いた。そして同時に、彼への非難も。
 名前は悔しかった。もし隕石を破壊したのが知名度の高いS級ヒーローだったならば、このように非難されることはなかったのではあるまいか。もしもサイタマが隕石を破壊していなければ、Z市はもっと被害を受けていた筈なのに。サイタマは今、Z市を壊滅に追い込んだ張本人であると罵られている。実際に先日、名前は彼が町の人々に罵倒されている場面に出くわしていた。しかしながら、名前には何も言えなかった。それが何よりも悔しかった。


「お、よお名前」
「あっ……サイタマさん……」
 こんにちは、と頭を下げる。
 名前の中には、この間のサイタマの姿がしっかりと焼き付いていた。彼のせいで町が破壊されたと信じ切っている人達の、ヒーローを辞めろという言葉。サイタマはそれに少しも怯んでいなかったが、それでも、名前にはそれらの言葉の数々は胸に突き刺さっていた。彼は本当は強いのに。誰よりも、すごいヒーローなのに。

 サイタマがぎょっとした。
「おおおおお!? ど、どうした名前」
 突然泣き始めた名前に、サイタマは手を伸ばそうかどうしようか迷ったようで、結局中途半端なところで手を停止させた。泣くつもりなどなかった。しかし、いつもと同じ飄々とした彼の顔を見た途端、涙が溢れ出てきた。悔しかった。
「わた、わたしは、」
「おう」
「ちゃ、ぢゃんど知ってます、サ、サイタマさんが、ほんどはすっご、すっごく強くって、すごいヒーローだってこと、わた、わたし、知ってます」
「……サンキュ」
 ぽすん、と頭に何かが乗せられる。サイタマの手だ。一撃で怪人を倒してしまうその右手は、名前の頭をゆっくりと撫ぜた。ゆっくり、ゆっくりと。
 サイタマが苦笑しているのが解る。周りに居た人達がひそひそと此方を見ているのが解る。サイタマが泣かせたように見えたのかもしれない。泣き止まなければと思うのに、涙は後から溢れてきて、終いには声を上げて泣き出してしまった。

 ああ私、この人が好きなんだ。

 サイタマは名前が泣き止むまで、ずっと頭を撫で続けてくれた。彼のその優しい手に、ひどく安心を覚えた。願わくば、この人がこれ以上傷付くことのないように。

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