誰が為にそれは鳴る
・キリサキングの過去等捏造
・夢主はキリサキングの妹
・死人が出る
怪人協会という組織も、最初は馬鹿馬鹿しいと思っていた。人間の殲滅など、自分一人だって容易いことだと、そう思っていたのだ。しかし、なかなかどうしてこの団体に属しているのも楽しいと思えた。怪人の、しかも自分と同等以上の者達とは話も合う。怪人協会に居る限り、退屈は紛れた。
ただ、キリサキングには協会の連中に言えない秘密があった。
――自分には、人間の妹が居る。
怪人にはいくつかのタイプがある。人間が怪人になったタイプ、環境因子による突然変異のタイプ、生まれながらにして怪人だったタイプ。キリサキングは元人間だった怪人だ。元が人間ということは、つまり人間だった時の家族が存在しているということだ。
問題は、キリサキングがその元の家族の一人と連絡を取り続けている事にある。連絡を取っていると言っても、電話で互いの安否を確認するくらいだ。妹――名前はキリサキングが家を出てから怪人化したことを知らないし、これからだって教えるつもりはない。ただ、この事が協会に知られると面倒なことになるのは必至だった。名前が殺されるのは構わないが、協会内で信用を失うのは痛い。協会にはキリサキングよりも強い怪人がごろごろ居る。連中が同時に襲い掛かってきたら、いくらキリサキングでも対処し切れないだろう。
キリサキングは人間という存在を嫌悪していた。しかし未だに名前という人間を殺していないのは他でもない、兄としての情があったからだった。ほんの僅かなそれは、彼女を殺すのは人間を殲滅し、最後の一人になった時で構わないだろうという結論を下した。名前が自分を怒らせたりしない限り、彼女を殺そうとは思わないだろう。そして、そんな時は一生来ないに違いない。
男が震える指で、言われた通りの順番でボタンを押す。近頃ではめっきり公衆電話が少なくなった。名前への連絡も数か月ぶりか。漸く見つけたそれで、行きずりの人間に電話を掛けさせる。何せこの手だ、ボタンは押せない。身振り手振りで受話器を持ち上げさせた。腹から血を流しながらもサラリーマンが命令に従うのは、偏に殺されたくないからだろう。キリサキングの両腕の切れ味を、身を持って体感したのだから。
二コール、三コール。
名前がなかなか携帯に出ない。しかし自動音声のアナウンスが聞こえてこない以上、電源が切れているわけでも、電波が届いていないわけでもない筈だが。携帯電話の番号を変えたのだろうか。いや、それならやはり音声アナウンスが入るだろう。また別の日に掛け直すかと、キリサキングが苛立ち混じりの溜息を吐き出した時、呼び出し音が止んだ。
「名前?」
「お兄ちゃん?」
妹の声によく似た電子音がキリサキングに問い掛ける。
「どうしたの。なかなか出ないから、心配しちゃったじゃない」
「お兄ちゃん、ちょっと家に帰ってこられないかな」
「家に?」
男の呼吸音が五月蠅くなってきた為、面倒になって首を切り落としてやった。一緒に扉も切り裂いてしまったが、受話器は無事だ。がつんがつんとガラスの壁にぶち当たっている。キリサキングは屈み込んだ。視界に、息絶えた男の首が転がっている。ぴゅうぴゅうと噴き出る血が、電話ボックスを悲惨な光景へと演出していた。
「ごめんね。何だって?」
「家に帰ってこられないかな。ちょっとで良いんだけど」
キリサキングは妹の声音に僅かな違和感を抱いた。スピーカーから耐えがたい衝撃音を聞いた筈だが。怒りもせず、それどころか咎めるような調子もない。名前は先程と同じ言葉を繰り返しただけだ。
名前はキリサキングが怪人であることは知らないが、キリサキングが実家に辟易して失踪したことは知っている筈だ。あの劣悪な環境。今思い返すだけでも反吐が出る。借金を背負い込んで蒸発した父親。その父親に似ているからと息子を嫌い、娘だけを愛するようになった母親。妹だけはまあ生かしてやっても良いが、あの母親は殺しておいても良かったかもしれない。
そうだ、殺してやれば良いのだ。キリサキングの中に、残忍な感情が湧き上がった。いつも感じる殺戮衝動ではなかった。妹がどう思うかなど知ったことではない。五月蠅く騒ぐようなら、奴も殺してやればいいのだ。
別に、嫌なら良いよ。と、何の未練もないような声で名前がそう言った。その平坦な声に少しだけ苛立つが、母親を殺してやるという楽しみに比べれば些細なものだ。
「良いよ。帰ってあげても。何、名前。何かあったの」
「ないよ」妹の声は、やはり別段変わった様子もなかった。
「ありがとう、お兄ちゃん。できるだけ早く来てくれると嬉しいな」
できるだけ早く――その言葉につられたわけではないと思うが、キリサキングが生家に姿を見せたのは、妹に電話を掛けてからさほど時間が経過していない時だった。黄昏時、数年ぶりに実家の前に立った。しんと静まり返っている日本家屋。あの女は留守なのだろうか。妹は?
インターホンを鳴らすべきかどうか、キリサキングは少しの間逡巡した。鳴らそうにも指がない。まあ自分の家に入るのに、鳴らすも何もないだろうか。別に切り裂いてやっても良かったのだが何となく躊躇して、キリサキングは足で玄関の戸を開けた。鍵は掛かっていない。がらがらとスライドしていく引き戸は、以前と変わらず滑りが悪かった。
並べられている靴はどれも女物だ。数は少なく、妹のものだろうと思われるローファーは埃で薄汚れている。どうやら慎ましやかな生活を続けているようだ。
ふと、キリサキングは嗅ぎ慣れた臭いを嗅ぎ分けた。
自分の鼻を刺激するそれは、この家の中で嗅ぐ筈の無い臭いだ。妹に声を掛けるのも忘れ、キリサキングは歩み出した。きしりきしりと、廊下が音を立てる。
最初、キリサキングは住人が家を空けているのだと思った。何の物音もしなかったからだ。しかし、それは間違いだった。妹も、そして母親も家に居た。ただ、母親の方は既に事切れている。死んでから幾日かが経っているようだ。キリサキングの鼻を刺激したのはその腐敗臭だった。どうやら母親を殺したのは妹らしい。横たわる女の死体の傍らに、名前が座り込んでいる。手には携帯が握られていた。先程通話をしてから、ずっとそのままだったのか。
――私が殺そうと思っていたのだがなあ。
名前、と名を呼べば、妹は振り返った。
生気のない目。
しかし、キリサキングは言い様のない高揚に襲われた。ぞくり、とした。
「お兄ちゃん」
キリサキングの姿を見て何の動揺も見せなかった妹は、何の戸惑いもなく兄と呼んだ。髪をざんばらに伸ばし、包帯を巻き付け、両腕が刀に変化している、この姿を見て。キリサキングの方が、自分の姿を忘れてしまったくらいだ。
妹はぼんやりとキリサキングを見詰めていたが、やがてぽつりと言った。
「お兄ちゃん、私、どうすれば良いかな」
やっちゃった、と名前が呟いた。
彼女がどうして母親を殺したのか、キリサキングには解らない。どうやって殺したのかは想像がつくが。キリサキングは名前と視線を合わせるように、そっとしゃがみ込んだ。虚ろな目が、一人の怪人を捉える。キリサキングは名前を切り裂いてしまわないように、ゆっくりとその手を彼女に近付けた。刀の峰で、妹の顎を持ち上げる。
「だったらさ、名前も怪人になっちゃえば良いんだよ」
やがて名前は、「うん」と頷いた。その顔には笑みがある。先程までの生気の抜けたような顔をした名前はもう居ない。キリサキングも、彼女と同様ににっこりと微笑んだ。
「ありがとう、お兄ちゃん」
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