この日、名前は柄にもなく焦っていた。それは朝一番で怪人に遭遇したからではない。いや、確かに怪人に会ってかなり驚いたし、脈拍数が物凄く上がったことは事実だ。しかし近頃では怪人に遭うのは日常茶飯事なのだ。ヒーローも比較的早い段階で駆け付けてくれたから、大事にもならなかった。名前は「怪人に遭ったこと」に対して、今更驚きはしない。
 問題は、今日が期末試験の初日であり、授業開始までもう十五分を切っていることだ。
 電車はもう出てしまった。昨日夜中まで勉強していたから今日の朝すっかり寝坊してしまい、普段使っている電車よりも一本遅らせたのだが、それが仇となってしまった。まさか、怪人の出現まで計算に入れておかなければならないとは。次の電車では、一時間目に間に合わないことは確実だろう。
 名前が溜息をつくと、すぐ傍に立っていたヒーローが意外そうな顔をした。
「なんだ? 助かったというのに、随分と暗い顔をしているな」
 S級ヒーロー閃光のフラッシュは、そう言って名前を見た。既に刀は収めている。その名の通り、閃光のような早業だった。
「あー……今日テストなんですけど、もう間に合わないなと。電車が出てしまって」
「ああ」フラッシュは頷いた。「そんな時期なのだな」
「期末考査か。懐かしいな」
 そう言って懐かしげに遠くを見つめるフラッシュは、大層絵になった。しかし、今の名前は絶望でいっぱいだ。高校三年生の前期期末、高校三年間の中で一番重要なテストだと言っても過言ではない。それを逃してしまうとは何という失態。これがせめて電車に乗った後、怪人による遅延であればまだ救いはあったのに。一応、追試験を受けることはできるが、評価が下がってしまうことは確実だ。
 名前が再び溜息をつくと、フラッシュが「ふむ」と呟いた。というかこの人、まだ居たのか。お礼はちゃんと言ったと思うのだが、それともヒーローに助けられるのがいつもの事過ぎてうっかり忘れてしまっただろうか。名前がもう一度礼を言った方が良いのかと悩んでいると、フラッシュが言った。
「君、その制服は隣の市の東高じゃなかったかな?」
「え、ああ、そうです」
 名前が答えると、再び閃光のフラッシュは「ふむ」と呟いた。
「良いかい君、ちゃんと掴まっていなさい」
「はい?」

 唐突に訪れた浮遊感。
 びゅんびゅんと景色が移り変わっていく。名前は次々と流れていく見慣れた町を見送りながら、自分の身に起こった出来事について改めて考えた。肩と膝裏がしっかりと掴まれている。フラッシュの小奇麗な顔がすぐ間近にある。異様な浮遊感と、勢いよく打ち付ける風。それに何より、見える景色が自分の視界より数倍高い。
 屋根の上を走るのって、漫画だけじゃなかったんだ。
「あ、あ、あの、フラッシュさん」
「黙っていなさい。舌を噛むぞ」
 名前は口を噤んだ。

 高校の校門前で、フラッシュは名前を下ろしてくれた。名前以外にも何人かの生徒がぶらぶらと歩いていたが、人数は少ない。今居るのはテスト前だろうと何だろうと気にせず自分のペースで登校してきた生徒達だ。彼らは皆、突然のS級ヒーローの登場に目を見開いていた。
 ほんの数分ほどだったのだろうが、初めての空中飛行は名前には何十分にも何時間にも感じられた。高速移動に酔ってしまい、どうにも足元が覚束なかったが、それでも名前はフラッシュに礼を言った。閃光のフラッシュは微笑み、「試験、頑張れよ」と言って瞬く間に消えてしまった。

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