それから、見慣れた天井

※ゾンビマンが病んでます
※直接的な描写はありませんが、カニバです
※夢主は死ぬ


 思わず――思わず、名前は身を竦ませた。
 仕事が終わり、やっと一息つけると自宅のドアを開けた途端、すぐ目の前にゾンビマンが立っていたからだ。それも無表情で。びっくり、した。
「た、だ、いま」
「おかえり」
 にこり、とゾンビマンが微笑む。
 名前が一瞬びくついたことに、彼は気が付いているのだろうか。それともまったく気が付かなかったのだろうか。ゾンビマンは何も言わなかった。

 近頃この恋人はどこかおかしい。どこ、と問われると即答できないのだが、それでも、明らかにおかしい。名前は不安に似た何かを感じ取っていた。気が付いてはいけない何かを。
「何やってるんだ? さっさと入れよ。寒いだろ?」
「う、うん……」
 何気ない言葉。当たり前の台詞。名前の勘違いだったのだろうか? 最近の素行がおかしいと、名前が勝手に思っているだけで彼は何も変わりがないのだろうか?「お邪魔します」と思わず呟けば、「名前の家でもあるだろ」と、ゾンビマンはからから笑った。
 鍵を閉める鈍い音が、いやに耳に響いた。


 やっぱり、勘違いではなかったのだ。

 名前がそうと気付いたのは、夕食の後、固いフローリングに押し倒されてからだった。視界に入るのは、ゾンビマンの端正な顔と、見慣れた天井だけ。今日も、彼の顔色は悪い。
 映画を見ている最中にも、彼の視線が此方にばかり向いていたことには気が付いていた。しかし、無視していた。理由を尋ねたくなかったからだ。ハードボイルドが売りの人気俳優も、今やただのBGMと成り果てている。自分が死ぬか、仲間が死ぬか――そんな緊迫した場面であっても、目の前に居るゾンビマンが赤い目を爛々と光らせているこの状況では、喜劇としか感じられなかった。
「なあ、名前」ゾンビマンが言った。微笑んでいる。
「俺と一つにならないか」

「俺は不死身だろ? でも、お前はそうじゃない。だからいっそ、俺がお前を食っちまえば、お前もずっと生きられるんじゃねえかと思ってな」
 なんて綺麗な笑顔。狂人の笑みが美しいというのは本当だったのか。
 名前は頭を振った。ゾンビマンの笑顔が僅かに蔭る。
「おね……がい、お願いだから、やめて」
「それはできねえな」ゾンビマンが一蹴した。まるで、駄々を捏ねている子供を相手にしているかのような声で。「だって、不安だろ? お前が盗られたりでもしたら、俺はどうしたらいいんだ? お前が死んだりでもしたら、俺はどうやって生きていけばいいんだ?」

 この男は狂っている。
 名前は気が付いていたのだ。彼の内包する狂気に。目の端に、鈍色に光る手斧が見えた。押さえ付けられている右肩に、ぐっと力が込められる。折角のアカデミー賞受賞作品だったのになと、名前はぼんやりと考えていた。
「大丈夫、痛くないようにしてやるから。俺が今までどれだけ怪我してきたか、名前は知ってるだろ? どのくらいの傷を負えば死ねるのか、俺はちゃんと解ってるんだ。だから……な?」

 この世の見納めは、最も愛する男の微笑みだった。

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