とんとんと、名前の部屋にノックが響き渡る。部屋と言ってもろくなものではないが、確かにこの空間は名前の為に用意されたものであり、やはり部屋と称するより他にない。「開いてますよー」と間延びした声を出せば、顔を出したのはホームレス帝だった。もっとも、やはり名前はドアの方を見てすらいないが。
 ホームレス帝は、控えめに部屋に入ってきた。
「今……大丈夫かね?」
「いつでも暇ですよー」

 名前はいつぞやと同じように、簡易ベッドに寝そべりながら天井を眺めていた。ひび割れただけのコンクリートの天井を。ホームレス帝はそんな名前を暫く見詰めてから、不意に「この頃地上へ出ていないようだが」と言った。やはりその事かと思いつつ、名前は彼の方を見なかった。
「ま、そうですねー」
「以前はもっと頻繁に外へ出ていたと思うが?」
「それがあなたと何か関係が?」
 ホームレス帝はその問いについては何も答えなかった。怪人としては気が長いというか。怪人になって日が浅いからか、元からの気質からか。どっちだって構わないが。
「殺しをしていないと落ち着かないのではなかったのか? そのうちに私達を襲うようになっては敵わん」
「はは。それ、嘘でしょ」名前はくすくすと笑った。「私が他の連中を殺しにかかったところで、返り討ちにすれば済む話でしょ」
 起き上がってホームレス帝を見れば、彼も笑みを漏らしていた。なんて邪悪な笑い方。ただのホームレスにしか見えなくても、彼も立派な怪人なのである。
「流石に私も、徒党を組まれちゃ形無しですよ。再生が追い付かない。大方、サイコスさんにでも吹き込まれたってとこですかー。別に奴が心配するようなことは何もないですよ。もちろんホームレス帝、あなたもね。――暫く毎日殺しまくってたでしょ。だからそれで、殺し溜めができたというか……ま、いきなりあなたの頭を捩じ切ったりはしないんで安心して下さいよー」


 二度目にジェノスに会ってからというもの、名前は「殺し」をしていなかった。それが、彼の出した条件だったのだ。――俺を好きだと言うなら、誠意を見せろ。人間を襲うのをやめろ。名前はすぐに頷いた。もっとも、心の中では不可能だろうと思いながら。
 名前は怪人なのだ。人間を殺すのが仕事だし、そのために怪人になったのだ。自分の殺人衝動が、抑えられるとは到底思えなかった。
 しかし、いざやってみると、それがなかなかどうして続けられたのだ。なんと、今なお無殺害記録を更新中である。もう二週間はアジトでじっとしているだろうか。無論、怪人協会の怪人連中だって一人として殺していない。
 人を殺したいと思うのは怪人の性で、生きていく為に必要な欲求の一つだと思っていた。事実、キリサキングだってそう言っていたのだ。殺したい時に殺す、それが怪人であると。しかしその前提は呆気なく崩れ去った。不意に誰かを殺したいと思っても、暫くじっとしているとその気持ちは収まっていった。やってみればできるもんだ。
 まあ、ひとたび人間の前に立った時に、同じように堪えられるかは解らないが。
「お前に大事が無いのなら、それで良いのだ」
「ホームレス帝さん、存外まだ人間の部分が残ってますねー」名前はけらけらと笑った。「そんな人間みたいにヤワじゃないんで。お気遣いどーも」

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