「この台詞、使う機会があるとは思わなかったな」
「うるさいな……」
「名前氏」キングは別に、笑っているわけではなかった。その事に少しだけ安心する。彼の目にあるのは、同情心だ。「これは卵焼きじゃないよ。可哀想な卵だよ」
「知ってますうー!」
 かああっと、顔が朱に染まる。名前だって解っているのだ。何だこれ。何だこれ。

 銀魂で見るように、モザイクが要るほどではない。ほどではないが、名前作の卵焼きの壮絶さときたら、筆舌し難いものがあった。まず、黄色くない。全体的に茶色かった。形も歪だし、途中で巻くのを諦めたのか、端の方はぐちゃぐちゃだ。そしてキングは口にこそ出さなかったが、たぶんこれ、中は焼けてないんだろうなあと思っていた。
「というか名前氏さ、素麺に乗せる金糸卵を作ってたんじゃなかったの? 何で丸いの?」
「これを細く切れば出来上がりでしょ!」
「いや……いやいやいや」
 一旦、名前は鍋から目を離した。鉄製鍋の中では白く細長い糸が踊っている。あと四十秒ほどで出来上がりだ。
「普通は、薄っぺらいのを作ってそれを切るんじゃないかな」
「そうなの?」
「多分」
 キングが言うならそうなのだろう。名前は頭の中で思い浮かべてみる。薄い卵焼きというと、あれだろうか。お好み焼きみたいな感じになるのだろうか。それを、細く、切る?
 訳が解らず悩んでいると、隣でがたがたと音がした。キングがまな板を用意している。そして、その上に卵焼き……可哀想な卵を置く。
「え、食べるの?」
「食べられるでしょ。俺が切っとくから、名前氏は麺だけ茹でててくれればいいよ」
 大きな手で、三つの卵だった犠牲者たちを切り分けていくキング。名前のように慎重を期し過ぎて時間が掛かり過ぎることもなければ、すっぱりと自分の手を切ることもなかった。軽快に、とはいかないが、とん、とん、と一定のリズムで包丁が動いている。まな板も包丁も小さく見えたが、かといって不自然ではない。そのアンバランスさに、名前は何とも不思議な気持ちになった。何だこれ。
「名前氏、キュウリとかなかったっけ?」
「んー……あった気がする」
「冷蔵庫、勝手に開けるよ」
 うんと返事を返しながら、慌ててコンロの火を止めた。


 いつもの素麺に、今日はキュウリとトマト、それからハムが乗っていた。やはり薬味は無い。名前が作った可哀想な卵は細く切られることはなく、二センチほどの厚さを保って切り分けられていた。少しだけ、卵焼きっぽくなった。と、思う。名前は麺つゆ(ストレート)とトマトが存外相性が良いことを、この日初めて知った。

「あ」
「うん?」
 ひょい、と持ち上げられた卵焼きは、そのままキングの口の中に運ばれていた。というかこの人食べた。あの茶色い卵焼きを。あの可哀想な卵を。
「食べるんだ……」
「食べちゃ駄目なの」
「いや駄目とかでなく」
 口籠る名前の様子をキングは眺めていたが、やがて一言、「おいしいよ」と言った。


「おいしい、けど、名前氏は味付けしない派なの」
「あじつけ」
「……ちょっと料理の基本のさしすせそを言ってみて」
「さしすせそ? 触らない、死なない、簀巻きにしない、切開しない、そげぶしない?」
「名前氏、この家に調味料は」
「そんなサービスないよ」
「知ってた」

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