イル兄が振り向いて、じっとこちらを見つめた。彼が何を言おうとしているかなんて、聞かなくたってわかる。待つ、と言ってくれた彼に自分は甘えていたのだ。答えを探しながらも、本の世界に逃げていたのも、甘えだ。 彼の霧のかかった瞳の奥には複雑な感情が渦を作っていた。普段、闇に包まれているその瞳に余計な感情を生ませてしまったのは自分だ。殺し屋の家に生まれ、彼が必死に心の奥底に閉じ込めた人間らしさ、―――それは純粋で隙の多いもののことだ。それをこじ開けてしまったのだ。 「昔よりも髪、伸びたね」 『イルミもね』 「そろそろ切りそろえようと思うんだ」 『私も少し切ろうと思う、昔くらいに』 「もったいないよ」 『うっとおしくなってきたんだ。あんまりくぐるのとかは好きじゃあないから。肩より少し短いくらいまで切ろうかな』 なんでもない話から始めてくれたのは彼なりの気遣いだろう。 「オレはね、カンナに話さないといけないことがある。でもそれまでにケジメをつけないといけないことも沢山ある」 来た、と思ってしまった。 そんなことを思うのは、よくないことだ。よくないこと、というのは詳しく言えば、今だに自分の心にかかっているフィルターを、かかっていないふりをして。私は答えを探しているんじゃない。探しているふりをしているんだと、この時わかった。 私自身が大事なのは、なんなのだろう。それは探している答えではない。私自身が大豆なのは家族だ。イル兄のことを考えると、お母さんやお父さんの顔が浮かぶ。お父さんはどうだろうか。きっとまず最初に私の話を聞いてくれるだろう。お父さんはいつだって、まず最初に順序を作ってくれる。もし、お母さんが、私たちが兄弟の一線を越えてしまったことをしれば、きっとヒステリーを起こして私をどこかに閉じ込めて、もう外にでれないようにしかねない。 「オレが何を言いたいか、わかるだろう?」 静寂に包まれた空気は、まるでずっしりと身体に伸し掛かるように重く、居心地が悪い。ざわざわ、と森が揺れているけれど、その音は耳に入らず、イル兄の澄んだ声だけを聞きとった、 「待ったつもりだけど」 『…っ、…』 「認めてないのは、カンナだけだよ」 『………っ、…ぁ、の…』 返事を迫られ、頭のなかで選択肢がぐるぐるとかけめぐっていた。イエス、ノーの2つだけではない。そんな単純なものではなく、その答えの先を想像して決断することができないでいる。自分の気持ちがわからない。イルミのことをもう単純に「兄」として見れていないのは確かだった。 「オレが触れるだけで、どこもかしこも赤くして、」 『…っ、…』 「この前みたいに、曖昧な返事は望んでない。イエスかノー、好きか嫌いかで、ちゃんと言って」 声が、震える。 『わたしは……、』 「……」 『……ぁ、……だめだ・・』 「違う、そうじゃない。だめじゃなくて、答えが聞きたいんだ・・・」 『答えだなんて、それは、……』 「兄貴だとか、妹だとか、・・・そんなことじゃない。お願いだから、カンナの真意が聞きたいんだ」 『……、…』 「…・・」 『……』 「オレはカンナのことを連れ去って、ふたりでゆっくり暮らせばいいと思ってる。カンナがただ笑ってくれれば、そばで笑ってくれれば、それでいい。それしかいらない」 『…そんな・・、わ、たし・・・・・…』 「………・・」 『イル兄のこと…、…っ、好きだよ、…っ…かもじゃない。ちゃんと、…好き…』 「………っ、」 『ひゃっ、』 「ありがとう、死ぬほど嬉しい…!」 ああ、もうダメだ。泣きそうなイル兄は、初めてで。抱き着いてきたイル兄の腕が嬉しくて、なんでこんなに嬉しいんだろう、と。きっと彼は泣くことはないだろうけれど、きっとこの腕を振りほどいてしまえばダメな気がして。泣いてしまう気がして。けれど、泣きそうなのはこっちのほうだった。いや、もう泣いていた。 |