「おまえさ、いいかげんふらふらすんのやめとけよ」


わたしはたしかに、坂田銀時というこの男を愛していたのだと思う。けれどそれは幼稚な意地やマイナス思考に沈んだ結果、すっかりすりへってなくなってしまったはずだった。
それでもこうして、彼といっしょのベッドシーツに身を沈めて泳ぐのは、ほかでもない彼がわたしを愛しているからだ。ルームランプの下でたたずむウィスキーがひどい汗をかいて、そのあたりいっぱいを水浸しにしていた。


『銀ちゃんにいわれたくないよ』


それでも、彼がわたしを愛しているから、だなんてこじつけのいいわけをしたときわたしはいつもかなしくなって、そうして彼にさようならをする。けれどそのままではどうしてももやもやしてしまって、結局もういちど、彼にこんにちはをしてしまうのだ。
そのサイクルのいいわけが、彼がわたしを愛しているから、なのだ。まったくもって凄惨な女である。
ぷつり。枝わかれした髪の毛を一本ひきぬいてゴミ箱に捨てた。


「おまえね、わかってんだろ」
『なにを』
「俺がどんだけ大事にしてっか」
『だからなにを』
「おまえをだろ」


真剣な瞳を受けとめるのがこわくなって、わたしは一拍おいたあと笑ってわかんない、とおどけた。すこし身体をうごかすたびにきしむスプリングの音が、やけに耳につく。
そのときの銀ちゃんは心底あきれたふうで、わたしが手をのばした先のウィスキーをうばいとるようにのみほした。のこされた氷だけがからんと音をたてて沈む。
そうして彼はわたしを見つめ、また真剣な顔。すこし前の態勢に逆もどりだ。


『なあに、銀ちゃん』
「いいかげん俺のもんになれば?」
『いや』
「俺のこと好きなのに?」
『いや』
「俺もやだ」


おおきな銀ちゃんの手がわたしの手の上にかぶさる。その体温がどうにもやるせなかった。だから、なんとかはなしてもらおうとむりやり手をひく。けれど彼は、それに反してぎゅうっとわたしの手をにぎったのだった。
子どもみたいだなあ、と笑う。銀ちゃんじゃあなくて、わたしのほうが。身体だけがおおきくなって、中身はいじっぱりな思春期でちょうどとまってしまったみたい。
上にかさねられた彼の手はどこまでもあたたかいのに、その下のわたしの手はどうしても貧相に冷めきっている。うつむいて、ただただその手をながめた。
わたしは、どうしたいんだろうか。


『銀ちゃん、いたいよ』
「どこが」
『心臓のまんなか』
「なんで」
『銀ちゃんのせい』


骨のきしむ音がきこえた気がした。それでも、つよくにぎられた右手はなぜか、ちっともいたくなんかないのでわたしはすこしだけおどろく。
そのくせなんにもないはずの心臓のまんなかはとってもいたくて、息をすることさえ億劫だ。
もしもの話だけれど、この息ぐるしさを愛だとするならば、それは本当にわずらわしいものでしかないと思うのだ。いつだってそう思わずにはいられないのに、どうにもわたしはかぎりなくおおきく、あるいはやさしく波うつようにたゆたう愛のようなそれに、頭からつま先までおぼれきってしまっているのである。
そのふわふわの銀髪も、死んだみたいなでもどこかやさしい瞳の奥も、あたたかい手のひらも、ひくい声も。本当はぜんぶぜんぶ、とても。
ああ、いいや、なんでもない。
銀ちゃんがわたしにほんのすこし体重をかけたせいでまた、趣味のわるい真っ青なダブルベッドのスプリングが安っぽくきしんで音をたてた。


「俺おまえいないとむりだから」
『わたしも銀ちゃんがいないと、』


ああ、わたし、今なにをいうつもりだったの。
そう自分に問うまでもなく、その次につづくはずだった言葉をあわててのみこんで銀ちゃんを見あげたのだけれど、そのときにはもうすでに手おくれだったらしい。
だってわたしはいつだって、どうしようもなく彼を愛していたのだ。


「つっかまえた」


いたずらっぽく笑った銀ちゃんの顔が、曖昧なランプの光に照らされていた。
にぎられた手のひらに溶けるたしかな愛というものを、昨日までのわたしは愚直に受け容れることなんてできずにいた。こわかったのだ。
けれどそのとき見あげた銀ちゃんの瞳がひどくやさしかったので、わたしは長年の虚勢におそるおそるさようならをいい、彼の左手に自分の右手をかさねて泣いた。
散々の遠まわりはしたけれど、わたしはだれにも知られることなく彼といっしょになるためにうまれたきたのだと思った。





海の哭声

たゆたふ愛は、海に消ゆ。







::曰はく、さまに提出
素敵な企画をありがとうございました。