『好きですよ、坂田さん』

「そいつぁどうも」


どんな言葉にだって坂田さんは笑ってうなずいたり、あきれたように馬鹿だといったりするのに、好き、という言葉だけは決まってきれいに受けながす。それでもわたしは飽きることなくずうっと、好き、といいつづけるのだ。
言葉にしたってとどかないこともあるのだ、ということは、ここにきてからよくわかった気がする。こんなにちかくにいるのに、とどかないんだものねえ。
坂田さんのしっかりとしたうでにそうっとわたしのうでをからめる。こうやって見てみると、わたしのうではとっても貧相だ。


『つれませんねえ』

「そんな営業くせえこといわれてもな」

『そんな。本心ですよ』


わたしがにこりと笑うと坂田さんは、営業スマイルほどしんじられないものはない、といってお猪口にはいった酒を一息で飲みほした。ゆらりと光る和室の中はあいかわらず甘ったるい香水のにおいが充満していて、それがうっとうしいほど身体にまとわりつくのにはほとほと嫌気がさす。
空っぽになったお猪口にもう一度酒をつごうとしたところ、坂田さんはもういいや、と一言おきざりにして立ちあがったので、わたしはいそいでその背中をおいかけた。やっぱり派手に着かさねた着物が邪魔だった。
和室をぬけて、わたり廊下をぬけて、客間をぬける。暗闇に濡れた夜の街が見えたところでわたしはたちどまった。ここから先は、いっしょにはゆけないものね。


『またいらしてくださいね』

「ああ、そのうちな」

『はい』

「じゃーな」


ひらひらと片手をふる気だるげなうしろ姿が、夜に溶けてなくなってしまうまで飽きることなくそれをながめた。どんどんと彼の背中がちいさくなっていくさまは、いつもわたしの中の不安感だけを上手に切りとってくすぐる。
件の若い男に、はやく次のお客さまの相手をしてやってくれ、といわれたのだけれど、お客さまを見おくることもだいじな仕事なのですよ、と。そうしたら男は、あのお客さまはもうこちらをふりかえることなんてないのにか、といったので、わたしは、それでもです、と。

女はね、待つことが仕事なのですよ。ずうっと昔に母がそういっていた。母はとてもきれいな人で、遊び人の父にはもったいないような気さえしていたのだが、それでも母と父はほかのだれよりしあわせそうな顔して笑うから、わたしはそんな父を最期まできらいにはなりきれなかったのである。
だからわたしも、あの人がわたしをつれていってくれるまでいつまでも待ちつづけたいのだ。そういうと、男はありえないことだと笑ってわたしの手をひいた。
そうして次の瞬間には、遊郭の女が恋だの愛だのを語るんじゃない、と、とても冷めた声でいうものだから、わたしはまたきれいな夢というものから醒めてしまったのである。

それでも、心の片隅でねがうことだけはどうしてもやめられないのだ。




醒めない夢は売れるのか







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